ニーチェは、「存在することは行動することと同じことである」として行為そのものと行為者を区別しない。
この行為こそすべてであるという彼の考え方はアーレントに大きな示唆を与えた。彼女もまた政治概念の中心に「活動」を置き、
ニーチェと同じようにこの創始的な「活動」の基本的に革新的な性格を肯定する。そして重要なのは、彼女が、
政治上の出来事における偶然性の契機を肯定し、すべての目的論的秩序と功利的基準を退けていることである。
つまり活動は生命の必然と歴史の予測可能性を越えた輝かしい能力の証なのである。活動(行為)は目的と手段のカテゴリーの外側にあり、
「行為」そのものが一個の作品、一つの出来事であって、この作品、この出来事を形成するギリシア語の「行為する」を表す「アルケイン」
(archein)は同時に「始める」の意味を持つ。「行為」は、アーレントにとって相互の平等性を前提としながら、
互いに複数性と差異性を持つ仲間の前で公的なステージに立つことを意味する。ここで人は私的自我を背後に残し、公的仮面を着け、
公的自我を創造するのである。行為者が公的自我(市民的、政治的自我)と私的自我(物質的、肉体的欲求によって動かされる自我)
との区別に熟達している場合にのみ、そこに自律的空間が存在することができる。
(「ハンナ・アーレント入門」 杉浦敏子 藤原出版)