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2007/05/16

格差とアンフェア

淺野史郎:では、日本の格差社会の問題はどうですか。


宋文洲:正直言って、国に富がたまると格差が自然に広がる。これはどうしようもない。逆に貧乏な社会は格差が少ない。


淺野:僕がいまいちばん気になるのは、同じような仕事をしながら、たまたま正社員として遇されるのと非正規雇用とでは、
報酬や処遇がまったく違う。これはそのままにしてはいけない格差でしょう。


宋:僕も全く同じ見方です。ただし、その場合は「格差」とは言わない。これは「アンフェア」だと言っているんです。不公平なんです。
しかも違法性がある。これは許せないと思う。格差じゃない、これはアンフェアですよ。


淺野:アンフェアと格差は違う。


宋:違う。格差というのは、あくまでチャンスが均等の下でもたらせられるものです。


淺野:たまたま結果がそうなった、ということですね。


宋:そうです。たとえば世襲も格差じゃない。自民党はほとんど世襲制でしょう、今。そこから生まれた格差は格差じゃない。
これはアンフェアです。それから、経営者の二代目が全部また経営を相続した上で会社のお金を自由に自由に使うというのも格差じゃないね。
これは社会システムのアンフェアです。法律で直すべきです。


淺野:なるほどね。どれが許される格差なのか、結果としての格差なのか、
それともアンフェアなのかということを見極める目も必要だということですね。


淺野:話は変わりますが、日本と中国の関係について、新しい展望みたいなものはお持ちですか。


宋:僕は、日本と中国のこの二、三年間の国民感情の悪化をもたらした唯一の理由は政治だと思っています。簡単です。
政治によって悪くなった環境は、政治によってまたすぐ回復する。日中の国民同士は、
お互いに許せないという気持ちを持っているわけでは決してないと思う。たとえば、もし中国人が本当に日本人のことが嫌いだったら、
はっきり言って、日本製品は中国であんなに売れるわけがない。本当に感情的なレベルで対立の根が深いのならば。

あと、僕は北京にも家があるんですが、北京で生活している北京の街の日本人の多さに気づきます。日本料理屋さんの多さ。
ごく普通のように日本人が溶け込んでいる状況。もちろんデータを見ても、日中の貿易額は、香港を除いた数字ですが日米の貿易額を越えている。
日中の貿易はどうして成り立ったのか。一つひとつの電話、一つひとつのファックス、一つひとつのメール、一つひとつの面談の結果なんです。
要は、経済に関わっていない人間には理解できない深い結びつきの根が、そこに張っているんですよ。

これまでの日中関係というのは、田中角栄さんや周恩来さんによって、ただ政治によって訴えられた日中友好から、
だんだん政治と関係ない経済のレベルや文化のレベルで、隅々までお互いに絡み合ってくるようになってきました。
政治の側が悪くしようと思っても、なかなかできないような状況になってきました。それを、
今回明らかに政治の側はもっと悪くしたかったんですよ。でも国民は、これ以上はもうやめてくれ、と。
国民世論は政治に対してノーを言い出しているから、政治家も軌道修正をせざるを得ない。これは日中双方がそうなんだよ。


淺野:お互いがお互いを必要としている関係が、経済的にも、もう後戻りできないくらいにできてしまったということですね。


宋:そうです。仲良くするいちばんの方法は、お互いの利益を、お互いが共有することです。口で言っているだけではやっぱり危ない。
夫婦関係で言うと、子どもができたら離婚しにくいのと一緒よ。


淺野史郎:慶應義塾大学総合政策学部教授。前宮城知事

ソウ・ブンシュウ:1963年、中国山東省生まれ、ソフトブレーン株式会社マネジメント・アドバイザー、工学博士


(「世界」 2007年1月号 「合理主義で日本を変える」)



2007/03/28

二種類の資本主義

マルクスは、資本主義が西洋で自滅するだろうと予想しましたが、逆に東洋においてマルクス主義の下、開花しています。たしかに、
今日最大の矛盾の一つは、極東のマルクス主義的な資本主義の存在でしょう。

したがって、21世紀の企業は必然的に、資本主義のこの新しい顔をしっかり認識しなければなりません。そこでは、
弁証法が富と利潤に仕えているのです。戦いはもはや資本主義対社会主義ではなく、資本主義における二種類のマネジメント・
スタイルの間に存在します。


第一の欧米型は、ニューロン・タイプのマネジメント・スタイルを発展させ、企業組織は脳と同じく、中枢部がなく、
固定した権力のないまま結合体のように機能します。

第二の中国型は、はるかに明確に序列化されたモデルを土台としており、自由な発意と強力な国家の存在を巧みに組み合わせています。


この例からもわかるように、グローバル化とはストレンジネス効果と相容れないものではありません。
世界はグローバル化されているとはいえ、依然多極であり、アメリカの資本主義と中国の資本主義との間には構造的な不一致が存在します。


日本は必然的に、これらの二つの間に自分の場所を見出していかなければなりません。
欧米の資本主義と極東の資本主義のどちらを選択するのではなく、日本は弁証法という力を巧みに操り、両者の間をうまく貫くべきであると、
私は考えます。


これら二つの構造を可塑的に弁証法化しうるようなモデルが見出せれば、全体的な市場の自由化(欧米)と高度な国家管理主義(極東)
との間に新たな均衡を提唱することになるでしょう。その意味において、たしかに驚くような発明になると思われます。


今後日本は間違いなく、これら二種類の資本主義の両方を同時に見据えていかなければならないでしょう。新たな思弁的な挑戦です。
労働の可塑性が労働の柔軟性に代替できるとしたら、それはおそらく、二種類の資本主義を統合することにおいてでしょう。



(哲学者 カトリーヌ・マラブー氏インタビュー ダイアモンド・ハーバード・ビジネスレビュー 2007年4月号)