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2008/11/30

法外の法

日本では、満場一致の決議さえ、その議決者をも完全に拘束するわけでもないし、国権の最高機関と定められた国会の法律でさえ、百パーセント国民に施行されるわけでもないから、厳守すれば必ず餓死する法律が出来ても、別に誰も異論はとなえない。法律を守った人間はニュースになるが、破った人間はもちろん話題にものぼらない。といって全日本が無法状態なのではない。ここに日本独自の「法外の法」があり、「満場一致の議決も法外の法を無視することを得ず」という断固たる不文律があるからである。従って裁判もそうであって「法」と「法外の法」との両方が勘案されて判決が下され、情状酌量、人間味あふれる名判決となる。

(『日本人とユダヤ人』イザヤ・ベンダサン)



2008/03/17

動物の愛護及び管理に関する法律ー動物を殺す場合の方法

第4章 雑則

(動物を殺す場合の方法)

第23条 動物を殺さなければならない場合には、できる限りその動物に苦痛を与えない方法によつてしなければならない。

2 環境大臣は、関係行政機関の長と協議して、前項の方法に関し必要な事項を定めることができる。

(動物を科学上の利用に供する場合の方法及び事後措置)

第24条 動物を教育、試験研究又は生物学的製剤の製造の用その他の科学上の利用に供する場合には、その利用の必要な限度において、できる限りその動物に苦痛を与えない方法によつてしなければならない。

2 動物が科学上の利用に供された後において回復の見込みのない状態に陥つている場合には、その科学上の利用に供した者は、直ちに、できる限り苦痛を与えない方法によつてその動物を処分しなければならない。

3 環境大臣は、関係行政機関の長と協議して、第1項の方法及び前項の措置に関しよるべき基準を定めることができる。

 

昭和48年10月1日
法律第105号
一部改正 昭和58年12月2日
平成11年7月16日
平成11年12月22日



2008/01/15

「自由な主体」で有らねばならない、という極めて”不自由”な状態

精神分析的な視点からの近代家族史研究家であるエリ・ザレツキーは、「自己決定」を特徴とする近代的「主体性」は。実は西欧人の
「気のみじかさshort-temperedness」の現れだ、という面白い指摘をしている。つまり、人間は様々な状況の中で、
外から与えられる刺激に対してそれなりに反応しているわけだが、刺激と反応の間の時間的間隔が短ければ主体的に「決断」しているように見え、
長ければ主体性がなくてぐずぐずしているように見えるわけである。実際にその人物の「内面」でどのような判断のプロセスがあったかは「外」
からは直接知ることはできないので、周りの人々は、「(他者からの介入を受けることなく)早く判断に至った」という外見だけを頼りに、
その人物の「主体性」を事後的に再構成することになるわけである。その意味で、「主体性」とは「気短さ」に対して後から
(エクリチュール的に)取って付けられた名称である、ということになる。


これは、我々が漠然と「主体性」と呼んでいるものの正体を極めて巧みに言い当てている説明だと言えよう。先に述べたように、「自己」
をめぐる諸関係性のネットワークを視野に入れ、「決断」の際の選択肢によって、それらの関係性がどう変化するかシミュレーションしていたら、
なかなか「自分だけで」決めるということはできない。むしろ自分で決められる部分はごく少ないことが分かってくるはずである。
ザレツキーは筆者に対しこの問題を、「安楽死」をめぐる臨床的な問題に即して説明してくれた。安楽死するか否かを、「もっと生きたいか、
もう死にたいか」という気分だけで決定する人は、現実にはほとんどいないという。周りの人たちが、自分が生き続けることについてどう考え、
死ぬことについてどう考えるか、様々なやり取りを通して顔色をうかがい、自分の「状況」をそれなりに把握したうえで、
「自分が何を望んでいるのか」を知るに至る、というのである。「他者」を「鏡」にしないと、「自己」を最終的に知ることはできないのである。


しかしながら、そうした「自己」を取り巻く関係性についての複雑な思考の流れは、
回転効率を重視する資本主義的な生産体制に貫かれている「近代」においては、軽視されがちである。むしろ、邪魔である。迅速に方針を決めて、
生産サイクルをできる限り速くし、生産物(商品)を交換しなければ、資本主義体制の中で、生産・交換「主体」として生き残ることはできない。
近代の貨幣経済は、それぞれの自己を形成している種々の文脈を捨象して、「物」にラベリングされる客観化された「価値」だけを基準とする
「交換」形態を発展させてきた。相手とどういう関係にあるのか、また、これから行われる「交換」
によってそれがどう変わるのかといったことは一切考慮せず、「物」の「価値」に合致する「貨幣」を持っているか否かで、「交換」
の成否が決まる。「交換」が終わるごとに、関係性はいったん終了する。”余計なこと”についていつまでもくよくよ考えないで、
スムーズに交換し続けられるのが「主体」である。


近代的な「主体性」は、そのように気短に短縮された関係性の中で、姿を現してくる。こうした「主体」は、建前上は、他者の影響から”
自由に”自己決定する能力があることになっている。しかし、その背景を考えれば、むしろ、「他者との関係性についていちいち考えないで、
さっさと”自己決定”するよう」強制されていると言える。言わば、市場における効率性の原理に従って。「主体」
であることを強いられているのである。我々は、「自由な主体」で有らねばならない、という極めて”不自由”な状態に置かれているのである。


(『「不自由」論-「何でも自己決定」の限定』 仲正昌樹 ちくま新書)



効率性を重視する「新自由主義」の経済思想と、「自己決定」論とは親和性がある

「決定」するに先立って、いちいち「自己」を再想像していれば時間はかかる。特に、「医師と患者」、「教師と生徒」、
「弁護士と依頼人」のような、暫定的な契約に基づく関係性ではそれほど時間をかけることはできない。時間をかければ経済的効率が悪いので、
前者の側から後者の側に対して、「早く自己決定するように」という圧力がかかることが多い。
専門的な経験の豊富な前者が後者になり代わってその利益を代行する形で決定することを、一般的に「パターナリズム(paternalism:
温情的干渉主義)」と言うが、様々な文脈で「説明責任accountability」が声高に叫ばれている現状では、後者に「責任」
のほとんどを専門的知識を当人に正確に提供しさえすれば専門家としての「責任」を果たしたことになる「自己決定」論の方が、
業務を加速することができる。効率性を重視する「新自由主義」の経済思想と、「自己決定」論とは親和性があるのである。


無論、当人が納得しているのであれば、極端な「パターナリズム」か、極端な「自己決定」のいずれかの”極”に振れてしまうような”
自己決定”がなされるのも致し方ないが、当人が「自己」を取り巻く「状況」を十分把握しないまま、形式的に「責任」
の帰属主体が決まってしまうことが多々ある。もう一度、医者と患者の関係で言えば、
難病の治療に際して新薬や新療法を用いる可能性があるような場合、医者の方がなるべく簡単で、「自己」変容がさほど伴わない(かの)ような
「問題設定」にしてしまうことが多々ある。端的に言えば、患者があまり事態を飲み込まないうちに、「臨床試験」(人体実験)を受けるという”
自己決定”をするよう促すケースである。


(『「不自由」論-「何でも自己決定」の限定』 仲正昌樹 ちくま新書)



2007/11/06

公共空間の「浄化」


さらに問題は、その戦略がディズニーランドには「暴力がない」という論理を逆手にとったものでしかないということだ。ここには現代のきわめて困難なひとつの逆接がある。暴力の抑止は、クリーンな海沿いの娯楽の場で解消された。それは私たちを安堵させる。だがその安堵は同時に、恐怖からの開放の願いが、公共空間を「浄化」する動きに統合されたことにほかならない。暴力、恐怖からの解放の願いは、それが驚くほどの微細な差異をはらんだコンテクスト、思想的質に由来したものであろうと、セキュリティの装置の回路を通してのっぺりとした安全への要求として吸い上げられてしまう。そしてセキュリティの装置は、自らの相貌を変容させながらどこまでも肥大していくというわけだ。



公共空間の「浄化」によって、たしかに一方では、公共空間の明るみからは暴力が消えていく。理論上はそうだ。だがセキュリティの論理による「暴力の終焉」は、現実上では最大の暴力を-「警察の蛮行」、「失踪者」の大量生産(消滅のテクノロジーによる)、組織されない予測不可能な暴力、ひたすら自滅に向かう暴力など-付随するという逆説を私たちはいま、そのリミットにおいて目撃しつつある。


(「自由論」 酒井隆史 青土社)



2007/11/05

セキュリティの上昇

セキュリティという言葉は、さまざまなニュアンスを有しているが、近代においてセキュリティの基軸となったのは、social
security と national
security だろう。つまり主権国家の枠を前提とし、外に向かっては国家安全保障として、内に向かっては社会保障として作動するセキュリティの装置である。フーコーは、おそらく、社会保障を念頭におきながら、近代の人口という集合体レヴェルを通して作動するマクロな権力行使の主要な場所をセキュリティの装置として特徴づけた。ヤングの図式でいえば、そこではセキュリティの装置は内包・統合という作用と密接にむすびついて動員されていたといえよう。だがいま、そこではセキュリティの上昇とみなされうる事態で最大に焦点化しているのは、もはや一見「穏やか」な社会保障ではない。セキュリティは一方で<社会的なもの>の持ち分を離れ、市場化されプライヴァタイズされていく。他方で、それは、いわば「内向きの軍事化」としても浮上してきている。その<内>の境界もいまや不分明化しており、それが現代社会を考えるとききわめて重要になるわけだが・・・・・・



いまここで大ざっぱな輪郭を描いておけば、従来の内包ないしは統合を旨とした社会編制は、<人口>を対象とするマクロな規制のレヴェルで作動する権力の編制の場であるセキュリティの装置とミクロな身体にかかわる規律の装置の二つの異質な権力装置の接合がその土台を形成していたと言えるだろう。他方、セキュリティが<排除>へというベクトルを積極的に描き出すためには、セキュリティの装置と規律の装置のむすびつきの後退、そしておそらく「管理統御権力」と名指され徐々にその仕組みが明らかにされているような装置との新たなむすびつきが必要となるのではないだろうか。


(『自由論』 酒井隆史 青土社 P.261)



2007/10/29

ポストフォーディズムにおいては

ポストフォーディズムにおいては、生産性の上昇はもはや完全雇用とは相関関係のうちにはない。
効率性と生産性を上昇させるために必要なのはむしろ解雇、レイオフ、配属転換、パートタイム化などの多様な形態をとる人員の削減をとおした
「ダウンサイジング」なのである。カステルはさらに、彼が「情報社会」
と呼ぶ新しい資本の編制のもとでの階級関係がはらむ主要な特徴としての<排除>について、それを「大衆としての大衆と労働者/
消費者としての大衆の分離」。と定義している。つまり、ネーションの範囲内のほとんど全人口を潜在的な労働者あるいは・
かつ消費者として見なしていた時代は決定的に終わったということだ。新しい資本の編制は、生産者が同時に消費者であることを期待していない。
あるいは万人が(潜在的な)生産者であることを期待していない。現代の資本主義においては、労働コストをどこまで下げるかが、
利潤の要となる源泉であり、グローバル化、情報ネットワーク化によって資本は、
地域やそこに居住する生産者の論理をまったく考慮することなく、生産点をフレキシブルに移転する。移転したあと、
残された人びとはもはや単なる「無用な人間」となるわけだ。

ジグムント・バウマンは次のようにいう。今日の貧困者を明日の労働者へと調教することはかつては経済的にも政治的にも有意義なものであった。
それは工業を基盤にした経済の車輪に潤滑油をさし、さらに「社会的統合」という任務をも果たしたのであった。ところがこの経済的・
政治的意味は現在ではもはや失われている。労働力とそれにかかわるコストを削減しながらも、
利潤のみならず製品の生産性まで上昇させる方法を学んだ現在の資本は、もはや大量の労働者を必要としていないのだから。
「労働階級から自らを解放する」(マリオ・トロンティ)という資本主義の歴史を貫いてきた資本家階級の夢想はほぼ実現しつつあるのだ。


(『自由論』 酒井隆史 青土社 P.266-267)



2007/10/28

イギリスの犯罪学者ジョック・ヤングの見方

イギリスの犯罪学者ジョック・ヤングは、現代の状況を「多様性(diversity)」と「困難さ(difficulty)」
の上昇として捉え、その上で後者のみがあらゆる手段で抹消されるよう社会の布置が編制されつつある、という。近代から後期近代(late
modernity)へという図式に依拠し、そのうえで内包(包括)社会(inclusive society)から排除社会
(exclusive society)へ、という特性を付与するヤングによれば、
近代社会と後期近代社会は多様性と困難さへの対応においてちょうど反転した立場をとる。近代社会は多様性には不寛容であり、
困難さには比較的寛容である。近代社会は、多様性を、吸収されかつ同化されるものとして捉え、またじっさいに吸収・
同化への努力を試みてきたが、その一方、手に負えない(obdurate)人間や頑強な反逆者の存在や意義申し立てを、
社会が受けとめるべき個人の矯正/更正や社会自身の改革の努力へのさらなる試練として捉えたのである。一方、後期近代社会は、
多様性や差異性を称揚し、それを消費社会というクッションによってたやすく受け入れ無害化する。ところがこの社会は、困難な人間や
「危険や階級」と見なされるものには我慢できない。それゆえ彼らにたいしては最上の洗練された防壁を構築しなければならない・・・・・・
(Young 1999 p.59)。まさにセキュリティの上昇と呼びうる事態は、このような(ヤングの時期区分にのっとるならば)
後期近代社会の特徴の表現である、と言えるだろう。
そしてこの傾向に付随してあらわれるのは近年とりわけ突出しつつある<排除>あるいは<隔離
(incapacitation あるいは segregation)の実践である。


(『自由論』 酒井隆史 青土社 P.260)



2007/10/21

「暴力はいけません」という言表

「暴力はいけません」というモラルなら、だれでもいえるし、実際、あふれています。ブッシュ大統領だって、
核武装を唱える日本の政治家だってそういうはずです。むしろ、「暴力はいけません」といいながら、「だから暴力には暴力を」と、
より大きな暴力の配備を正当化しているのがこうした人たちなのでしょう。「暴力はいけません」という言表は、
決して人の暴力に対する許しがたさの感覚を養っていることを狙ったものではないとおもうのです。そもそもこの言表は逆説をはらんでいます。
暴力はいけない、だから暴力を憎むのだ、暴力をふるう者を憎むのだ、暴力をふるう者に暴力を-このような言表の連鎖を、「暴力はいけません」
という言表は決して排除するものではない。

しかもしばしば(とりわけ今では)、「暴力をふるう者」は「暴力をふるいそうな者」へと広がっていき、
現実的には暴力が生じていないところに暴力が生じそうだからという理由で暴力が振るわれるという奇妙な事態が生じてくる。そこでは現実には、
この「暴力はいけません」と叫びながら振るわれる凄まじい暴力しか存在しない、ということもありえます。つまり、このようなモラルは、
好戦的な、しばしば残忍ですらある暴力を退ける要素をはらんでいるわけでは決してない。むしろそれは濃密にはらむことさえあるのです。
いま流通するようなかたちでこのようなお説教的な言表がもくろんでいることは、
この世界に満ちているさまざまな力を感受し腑分けする能力をつぶすことです。そのことによって、
人は暴力に対する感覚を摩耗されているのです。


(『暴力の哲学』 酒井隆史 河出書房新社 P10-P11)



2007/08/14

超・格差社会 アメリカの真実

2001年には、全世帯のトップ1%が、全米の富の33.4%を保有し、次の4%が25.8%、要するにトップ5%が60%の富を握り、次の15%が25.2%、合わせてトップ20%が84.4%の富を握っている。


同じ数字を時系列で見ると、約20年前の1983年には、トップ20%の持ち分は全体の81.3%だったから、3.1%増加したことになる。この3.1%は、2番目の20%から1.3%(12.6%から11.3%)、3番目の20%から1.3%(5.2%から3.9%)、そしてボトム40%から0.6%(0.9%から0.3%)ずつを吸い上げたものだ。

そして20年間に一番シェアを増やしたのが、トップ2~5%、資産価値でいうと100万ドル強から500万ドルのアッパーミドルで、株価や不動産価値が上昇した恩恵を享受した。第一章で解説した「プロフェッショナル層」たちである。

次に金融資産だけに限ってみると、上位集中は一層顕著になる。トップ1%がほぼ4割を押さえ、上位5%で3分の2を押さえているから、残り95%の世帯持ち分はさらに小さくなる。これは大半の世帯の主要資産が、持ち家であることを反映している。だから上位20%の金融資産シェアは91.3%に達し、次の20%の持ち分7.8%を足すと99.1%
になる。つまり全世帯の上位40%がほぼ全ての金融資産を持っているわけで、残る60%には金融純資産は全くなく、あるのは借金のみということになる。

さらに金融資産の中から、年金や生命保険などの収入予備的な資産を除き、
投資としての金融証券に限定してみると、トップ1%のシェアは58.6%、次の9%のシェアが30.6%で。トップ10%
の持ち分は実に88.6%に達する。

つまりウォール街は、人口のトップ1%をハッピーにしておけば、全米の金融資産の6割を押さえることができ、10%をハッピーにすれば、9割を押さえることができる。

こうした富の集中は、アメリカの税政策や金融政策に深長な意味を持っている。
なぜなら、民主国家の政策を決めるのは選挙に当選した大統領や議員であり、選挙で勝つための最大の武器は選挙資金だからだ。

大統領選挙では4年ごとに10億ドル近い選挙資金が集められる。
1000億円を集めるためには、小口の資金を集めてもどうにもならない。1億円単位の寄付を、1000近く集めなければならないわけだから、候補者の目がどこに向くのかは言うまでもない。

(『超・格差社会 アメリカの真実』 小林由美 日経BP社)

2007/08/12

上は金持ちの家に生まれたから金持ちなのだ

アメリカは広大な国だし中央集権の度合いが低いから、地域ごとにカルチャーは大きく異なり、異なるカルチャーが共存している。
生活水準も地域ごとに大きく違う。それでもエスタブリッシュメントが集積している地域ほど、高級な商店街があるだけでなく、
富裕層のさまざまな雑用を引き受ける低賃金労働者が集まってきてあからさまな格差を見せつけている。こんな状況がどこでも共通して見られる。


そして-これがいかにもアメリカらしいのだが-どの階層に属している人も、自分よりも下は無能か怠け者だから貧しく、
上は金持ちの家に生まれたから金持ちなのだ、と思っている。


(『超・格差社会 アメリカの真実』 小林由美 日経BP社)


 



2007/07/09

堀江被告を嗤えない

お金は一つの真実を人間につきつける。私はアシスタントの給料を遅配したり、約束よりも安く払ったことは一度もない。「誠意は金で」
というが、生活費はくれない、”親分”に、人はなかなかついてはいけない。だから私は、堀江氏の言葉に頷いた部分があった。


が、やっぱり「お金がすべて」ではない。私はくだんのファンの方からの5千円を受け取ることはしなかった。かわりに「ありがとう。
でもこれは生活費に充ててください。あるいは本当に困っている方への募金にでも。もし一冊私の本を買っていただけたら幸せです」
と記した礼状を出した。


私は、その若者の手紙を何度も泣きながら読んだ。文面から察するに、彼は自信の生活がぎりぎりなせいで、
友人や地域と上手に人間関係がつくれず、悩んでいるようだった。そんな中で私に5千円ものお金を送ってくれたのは、彼が「孤独」
であるということなのだろう。かつての私もそうだった。それはなかなか人に理解されないから、つい「お金をくれない人とは会えない」
などと言ってしまい、また孤独になる。


お金があっても孤独なのは、堀江被告を見れば分かる。人の世にとって「お金じゃない」というのは嘘で、「お金がすべて」
というのも嘘だ。お金やたつきの問題をのりこえて、純粋な人間関係を求められないうちは、私たちも堀江被告を嗤えない。そんな気がする。


(『正論』 2007年5月号 「堀江被告を嗤えない」 さかもと未明(漫画家)」


補足:ここでいう堀江被告の一言とは、「人の心は金で買える」ということ。かつてさかもと未明は以下のように語っていた。
「男性は本当に女性を愛しているなら、お金を出すとか結婚して生活の面倒をみるとか、命を賭けるとか、
具体的に何か大変なものを差し出すべきだ」


この女性の主張は聞く価値はあるとは思うが、別面で見ればこの女性の考えだからこそ、
堀江被告については嗤えないという思いに至るのだろう。僕は無論堀江被告のことを嗤ったことは一度もない、ただ彼のことには興味がない。
(Amehare)



2007/07/03

中華街の歴史過程 その2

しかし、「中華料理のテーマパーク」に至った原因はこれだけではない。実は、それよりも深い根があることも見落とすことができない。
それは、日本の対中国人政策ともいえる歴史に見ることができる。


すでに触れたように、海港当初、外国人の生活、商業活動は居留地に限られていた。
今では同じマンション内や隣に外国人が住んでいることは、珍しいことではなくなってきたが、一世紀前の日本では、日本人が住む「内地」
を外国人にも開放するか否かは大きな議論を呼ぶ問題であった。なかでも、隣国であり、
廉価な労働力を提供する中国人の内地雑居を許可するか否かという問題は論争の焦点となった。


1899年、欧米諸国との改正条約により外国人居留地が撤廃され、外国人が日本人と同じように、どこにでも生活し、
商業活動を行うことができる「内地雑居」が実現する。その際、「勅令352号」が内地雑居する外国人の管理規則として公示された。
文面上では明らかに記してはいないが、これは事実上、中国人を対象としたものと見られている。この勅令は、
中国人の旧居留地以外での居住や経済活動を制限し、また中国からの未熟練労働者の流入を困難にした。これにより、日本に進出する中国人は、
貿易商か「三巴刀(洋服の鋏、理髪店の剃刀、コックの包丁)」の職業に就くという特徴が生み出されたのであった。


日本において職業制限されていた中国人たちは、限られていた選択肢のなかで生活を営む方法を模索せんばならなかった。また、
関東大震災や1937年の日中戦争などにより、貿易商は商売を続けていくことが困難となった。そのため、貿易商たちのなかには職業替えをし、
コックとして修行をして、料理店を始める者が多かった。


「三巴刀」の職業である、テーラー、理髪師、料理人の職業を比較すれば容易に想像することができるだろうが、
洋服を仕立てるのは年に数着、そして髪を切るのも月に一回程度、しかし食事は一日に三食と、人々の生活において最も需要が高い職業であった。
もちろん、客は毎日外食をするわけではないので、一日三食というのは言い過ぎだが、職業を選ぶ側の立場に立って見ても、飲食業は、
理髪やテーラーに比べ魅力的であった。なぜなら、飲食業は、商売をしながら子供の食事の面倒を見ることができたからである。また、
子供達も皿洗いなど家業の手伝いをすることは他の職業にくらべ比較的容易であった。移民は家族経営を始めることが多いが、
職業選びにもこうした点が考慮されている。また、既製品が大量生産されるようになると、テーラーから転職し、中華料理に従事する華僑・
華人がますます増えていったのである。


(『現代思想』 2007年6月号 「危機を機会に変える街 チャイナタウン」 陳天璽 P86-87)



中華街の歴史過程 その1

現在のように、街が中華料理一色の観光地となったのは、実はそう古いことではない。私は、横浜中華街で生まれ育ったが、
かつては八百屋や肉屋、薬局や洋服店など生活に密着した店、そして蕎麦屋やとんかつ屋などがあった。中華街といえども、
街に暮らす6000人の約半数が華僑・華人で、その他の半分が日本人や朝鮮人などであった。幼いころの記憶では、
朝鮮人の人たちも多く暮らしており、現在の市場通りの反対側は「朝鮮人街」と呼ばれていた。キムチや香辛料など韓国食材が売られ、
また山下公園まで台車をひいてアイスクリームを売りにいくオムニたちを見かけることも多かった。子供たちは、国籍や出自にかかわらず、
チャイナタウンの一角にある山下町公園で、缶けりや鬼ごっこなどをして遊んだものだった。街には人々の生活がにじみ出ていた。ちなみに、
山下町公園は、まだ居留地があった頃、会芳楼という劇場があり、そこは居留地の人々の娯楽の場だったそうだ。その後、
跡地に清国領事館が建てられていた。領事館は、関東大震災で倒壊し、戦後、跡地は山下町公園として地元の子が遊び、
夏には盆踊りやのど自慢大会などをすることに使われるようになった。2000年、歴史にちなんで会芳亭という中国風の東屋を建ててからは、
地元の人よりも、むしろ、観光客の憩いの場となっている。


観光地としての色彩が色濃くなる1980年代ごろまでは、街に住む華僑・華人たちが中華料理店を営み、日本人がその材料となる肉や魚、
野菜、酒、食器などを提供するという分業が行われていた。しかし、日本はバブル経済に伴ってグルメブームとなり、
チャイナタウンの料理店がメディアでしばしば紹介されるようになると、街はいっきに「中華料理のテーマパーク」
としてのイメージが強くなっていった。その後、肉屋が豚まん屋に、魚屋が中華の海鮮料理店に転身するなど、日本人が経営していた店が、
軒並み「中華色」を打ち出した商売に変わっていったのである。街に食材をおろすより観光客向けの商売に転向するほうが、
利益率が高いので当然といえば当然である。こうして、チャイナタウンに暮らす日本人が。「中華ブランド」を利用し、かつ自分の
「アイデンティティ」とすることによって、チャイナタウンの「中華色」がいっそう濃くなるという、興味深い現象が起きている。


(『現代思想』 2007年6月号 「危機を機会に変える街 チャイナタウン」 陳天璽 P85-86)



2007/07/02

民族とは「都合」

「民族って何だ? 血って何だ?」

ドクトルがさえぎった。

「教えてやろうか、つまりこういうことだ」

ドクトルは両手を返した。

「たとえば、お前におじさんがいたとしよう。そんなおじさんがいるなんて知らなかったんだけど、ある日突然現れたんだ。
そのおじさんが大金持ちだった。さあ、その人はお前の親戚か? お前は言うだろう、そうです。
この人は私の血のつながった大切なおじさんです、とな。そう言うだろう? じゃあ、もし、それが借金取りに追われたおじさんだったら、
その人はお前の親戚か?」

「・・・・・・・・・・・・」

「見ず知らずの他人だろ」

「まあ・・・・・・」

「血や民族なんてそんなもんだよ。血なんてのは、都合(コンパニエンテ)ってことなんだよ」

「都合?」

「そう、ペルー人でいた方が都合よけりゃペルー人。ニッポン人でいた方がよけりゃニッポン人。それだけのことなんだよ・・・・・・」


「でも、どこかに共通点のようなものがあるような気がするんですけど・・・・・・」

私はかろうじて反論した。

「お前、あいつらが同じニッポン人に見えるのか?」

「まあ、なんと言うか、にじみ出る雰囲気というか存在感というか、ニセ者の話にしたって、瞼の腫れとか、
顔のちょっとしたちがいですぐ差別する。なんでも民族の話にすりかえる。ペルー人を卑下することで自分を守る。そうでもしていないと、
アイデンティティを維持できない核のなさ、陰湿さはこりゃあ百年前からの伝統的ニッポン人体質そのものだと思う」

私は力をこめて言った。

「それはお前だよ」

爪のまわりに垢がたまり、ささくれだった指でドクトルは私を指した。

「えっ」

「みんな、お前に合わせてんだよ」

私は目が回りそうになった。たまらずドクトルの視線をはずして、手もとのコーラをすすった。コーラはぬるくて気がぬけていた。
ドクトルはじっと私を見つめた。長い間で私を追いつめているようだった。

「いいか、ニセ者をつくってるのは、お前なんだよ」

「いや、おれは・・・・・・」

私は必死に否定しようとしたが、うまく弁解できなかった。

「おまえがニッポン文化がどうしただの、ホンモノどこだニセ者どこだって聞いて回っているから、
みんなその期待に応えようとしているんじゃないか」

「いや・・・・・・・おれは別に期待はしてないけど・・・・・・」

「いいか、百年前を思い出してみろ。百年前、貧しかったニッポン人労働者をペルーが受け入れた時、ペルーの戸籍が必要だったか?
 ペルー人のホンモノの血が必要だったか? ペルーは、血の選別をしたか?」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「なんで今、日本は血で人を選ぶんだ? おじいさんの戸籍が必要なんだよ? えっ」

「やはり、血が大切なんだろう・・・・・・」

私は他人事のように言った。

「いいか、ペルーから来ている連中はな、必死にその期待に応えようとしているんじゃないか」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「いいか、あいつらは他に何もないんだよ、ニッポン人ってことしかないんだよ。ニッポン人にしがみついてんだよ。だから一生懸命、
お前に合わせようとしているんじゃねえか」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「お前はね、鏡に映ったお前自身を見てるんだよ」

私は何も言い返せなかった。口ごもるフリもできず、ただ毛細血管が網のように浮き上がったドクトルの目をみて、時の流れるのを待った。
そうしていればどうにかなるだろうと考えている自分が情けなかった。


(『にせニッポン人探訪記-帰ってきた南米日系人たち』 高橋秀美 草思社 P193-197)


追補:本ルポに登場するドクトルとは「日系人」労働者の一人で、彼のあだな。



2007/06/25

ティモシー・マクヴィー

写真を、現実の痕跡としてではなく、純粋に象徴とみなす行為は、視覚の矮小化である-


視覚的原理主義者、とでもいおうか。いうまでもないが、十年前、アメリカの湾岸戦争の写真にたいするふるまいは、
まさにこうした行為だった。乗り物や人家や橋をコンピューター・ゲームの標的のように破壊していく「スマートな」爆弾、
退却中に殲滅されるイラク軍、バグダッドのアミリヤ防空壕がアメリカの手で容赦なく爆撃されて、家族を失いすすり泣くイラクの女たち。


9月11日、こうしたイメージの波が記憶に環ってくるとともに思い出されるのは、幽霊のごとき存在、中西部生まれの国産テロリスト、
湾岸戦争上がりの退役兵だった男が、米軍攻撃によるイラクの子どもたちの死を引き合いにだしつつ、
自分が殺したオクラホマの子どもたちについて皮肉に「付帯的損害(コラレタル・ダメージ)」だと語ったこと、警察に尋問されて、
米軍の戦争捕虜マニュアルにのっとった答えを返したことである。アメリカでは、この幽霊、ティモシー・
マクヴィーが処刑されてから一年もたっていないことを、誰もあえて口にはしなかった。しかし彼の暴力行為が許しがたいばかりか、
そのニヒリズムが、9・11のニヒリズムと並行関係にあるのは間違いない。両者を関係づけることで、国内よりもむしろグローバルな、
政治行為の文脈が読みとれるだろう。あの時点では、こうして敵と味方のあいだの国境線はぼやけさせるのは、あまりに恐ろしかったのだ。


(『テロルを考える』「グローバルな公共圏?」 スーザン・バック=モース 村山敏勝訳 みすず書房 P38)


補足:ティモシー・マクヴィー

アメリカ合衆国オクラホマ州オクラホマシティで発生し、168名の人命が失われたオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の主犯。
11の連邦法違反により有罪を宣告され、2001年6月11日、連邦刑務所内で死刑が執行された。

(Wikipedia "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%99%E3%82%A4">
ティモシー・マクベイ
より)



9・11の行為を象徴的に解釈すれば

9・11の行為を象徴的に解釈し、グローバル資本への攻撃とみなすなら、秘書や用務員、食堂職員、事務員、警備員、
消防士らが殺されたという事実に、どう折り合いをつければいいのか。これが「アメリカ」への攻撃であったなら、
どうしてあれほど異なる国籍の人びと、あれほど多くのアメリカ風でない名前が、犠牲者のなかにいたのだろうか。
この建物がグローバル経済の中枢だったとしたら、どうして小企業の社員や解雇された労働者になったのか。ニューヨークが、
西洋の文化的退廃と性の乱れの象徴だとしたら、どうしてあれほど多くのごく普通の友人たち、家族、子供たちがあとに残されたのか。


(『テロルを考える』「グローバルな公共圏?」 スーザン・バック=モース 村山敏勝訳 みすず書房 P37)


 



写真は神学的なテクノロジーだ

「写真は神学的なテクノロジーだ」とピーター・オズボーンはいっている。写真は指標記号であり、
物質世界の了解可能性を記す痕跡だからだ。この場合痕跡は、
テロリストが送った意図的なメッセージの多様な意味すらすり抜ける余剰となっている。原理主義的な意味ではなく「神学的」なのである。
原理主義は、バイブルであれコーランであれ、テクストに頼り、世界を意図をもった運命として解釈する。このような解釈は、
写真の物質的な痕跡を排除する。写真の意味は、大いなることばによるあらかじめの決定を乗り越えてしまう。
破壊のイメージのトラウマ的な強度はまさにここにある。まるで映画のように見えはするが、そのイメージは意図されずして真実であり、
否定しがたく物質であり現実である。そしてこの現実は、象徴的なメッセージに泥を塗る。


(『テロルを考える』「グローバルな公共圏?」 スーザン・バック=モース 村山敏勝訳 みすず書房 P37)



2007/06/18

産業革命

産業革命は、かつて分離派信徒たちが心を燃え立たせた改革と同じ急進的で過激な革命のたんなる始まりであるにすぎなかった。
だが新しい教義はまったく唯物主義的であり、人間の諸問題は物財が無限に与えられさえすればすべて解決できると信ずるものであった。


その物語は繰り返し語られてきた。すなわち、市場の拡大、石炭と鉄の存在に加え綿工業に適した湿潤な気候、
十八世紀の新たな囲い込みにより土地を奪われた多数の人々、自由な諸制度の存在、機械の発明、
等々の原因が絡みあって産業革命を生じさせたのである、と。だが、明確になったことは、
そうした連鎖の中からどの一つの原因を取り出してみても、
あの突然で予期しない出来事の真の原因として特記するに足るものはないということである。


では、この革命そのものは一体どう定義すべきか、その根本的特質は何であったのか。それは、工場都市の勃興か、スラムの出現か、
児童の長時間労働か、特定部門の労働者の低賃金か、人口増加率の上昇か、それとも諸産業の集中か。われわれの見解では、
これらはすべて一つの根本的変化すなわち市場経済の確立に付随したものにすぎないのであり、またこの制度の本質は、
機械が商業社会に与えた衝撃を理解しなければ十分に把握することはできないのである。
機械がかの出来事をひき起こしたと主張するつもりはないが、次の点は強調しておかなければならない。すなわち、
精巧な機械設備がひとたび商業社会で生産に用いられるや、自己調整的市場の観念が必然的に姿を現わすということである。


(『大転換』 カール・ポラニー 吉沢英成、野口建彦、長尾史郎、杉村芳美訳 東洋経済新報社 P53)



2007/05/17

過労死は自己管理の問題

自己管理しつつ自分で能力開発をしていけないような人たちは、ハッキリ言って、それなりの処遇でしかない。格差社会と言いますけれど、
格差なんて当然出てきます。仕方がないでしょう。能力には差があるのだから。
結果平等ではなく機会平等へと社会を変えてきたのは私たちですよ。下流社会だの何だの、言葉遊びですよ。
そう言って甘やかすのはいかがなものか、ということです。


さらなる長時間労働、過労死を招くという反発もありますが、だいたい経営者は、過労死するまで働けなんて言いませんからね。
過労死を含めて、これは自己管理だと私は思います。ボクシングの選手と一緒。ベストコンディションでどう戦うかは、
全部自分で管理して挑むわけでしょう。自分でつらいなら、休みたいと自己主張すればいいのに、そんなこと言えない、
とヘンな自己規制をしてしまって、周囲に促されないと休みも取れない。揚げ句、会社が悪い、上司が悪いと他人のせい。


ハッキリ言って、何でもお上に決めてもらわないとできないという、今までの風土がおかしい。たとえば、祝日もいっさいなくすべきです。
24時間365日を自主的に判断して、まとめて働いたらまとめて休むというように、個別に決めていく社会に変わっていくべきだと思いますよ。
同様に労働基準監督署も不要です。個別企業の労使が契約で決めていけばいいこと。「残業が多すぎる、不当だ」と思えば、
労働者が訴えれば民法で済むことじゃないですか。労使間でパッと解決できるような裁判所をつくればいいわけですよ。


もちろん経営側も、代休は取らせるのが当然という風土に変えなければいけない。うちの会社はやっています。だから、
何でこんなくだらないことをいちいち議論しなければいけないのかと思っているわけです。


(2007年1月13日 週刊東洋経済 ザ・アール代表取締役社長 奥谷禮子)


追記:この意見はある意味、新自由主義者の本音に近いのではないか。単に暴言とすまされないように思う。