2007/06/25

ティモシー・マクヴィー

写真を、現実の痕跡としてではなく、純粋に象徴とみなす行為は、視覚の矮小化である-


視覚的原理主義者、とでもいおうか。いうまでもないが、十年前、アメリカの湾岸戦争の写真にたいするふるまいは、
まさにこうした行為だった。乗り物や人家や橋をコンピューター・ゲームの標的のように破壊していく「スマートな」爆弾、
退却中に殲滅されるイラク軍、バグダッドのアミリヤ防空壕がアメリカの手で容赦なく爆撃されて、家族を失いすすり泣くイラクの女たち。


9月11日、こうしたイメージの波が記憶に環ってくるとともに思い出されるのは、幽霊のごとき存在、中西部生まれの国産テロリスト、
湾岸戦争上がりの退役兵だった男が、米軍攻撃によるイラクの子どもたちの死を引き合いにだしつつ、
自分が殺したオクラホマの子どもたちについて皮肉に「付帯的損害(コラレタル・ダメージ)」だと語ったこと、警察に尋問されて、
米軍の戦争捕虜マニュアルにのっとった答えを返したことである。アメリカでは、この幽霊、ティモシー・
マクヴィーが処刑されてから一年もたっていないことを、誰もあえて口にはしなかった。しかし彼の暴力行為が許しがたいばかりか、
そのニヒリズムが、9・11のニヒリズムと並行関係にあるのは間違いない。両者を関係づけることで、国内よりもむしろグローバルな、
政治行為の文脈が読みとれるだろう。あの時点では、こうして敵と味方のあいだの国境線はぼやけさせるのは、あまりに恐ろしかったのだ。


(『テロルを考える』「グローバルな公共圏?」 スーザン・バック=モース 村山敏勝訳 みすず書房 P38)


補足:ティモシー・マクヴィー

アメリカ合衆国オクラホマ州オクラホマシティで発生し、168名の人命が失われたオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の主犯。
11の連邦法違反により有罪を宣告され、2001年6月11日、連邦刑務所内で死刑が執行された。

(Wikipedia "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%99%E3%82%A4">
ティモシー・マクベイ
より)