1970年代初頭には、個人的自由や社会的公正を追求する人々は、
多くの者が共通する敵とみなすものと対峙することで共通の大儀をつくり上げることができた。
介入主義的国家と同盟する強力な企業集団がこの世界を支配しており、個人に対する抑圧と社会的不公正を生み出しているとみなされた。
ベトナム戦争は不満の爆発をもたらす最もはっきりとした触媒であったが、企業と国家による環境破壊、愚劣な消費主義の推進、
個々の社会問題に対する軽視、人々の多様性に対する十分な配慮が欠如していること、個々人の可能性や個人の自由な行動が国家の規制や「伝統」
なるものによって厳しく制限されていること、こうしたこともまた広範な憤りを生んだ。
公民権が争点になり、セクシュアリティや「性と生殖に関する諸権利」も重要な役割を果たした。
68年の運動に携わったほとんどすべての者にとって、社会の隅々に侵入してくる国家は敵であり、変革すべき対象であった。
そして新自由主義者もその点には容易に同意することができたろう。
しかし、資本主義企業や、ビジネス界、市場システムもまた、是正されるべき主要敵とみなされていたし、
場合によっては革命的変革の対象でさえあった。それゆえ、68年の運動は資本家階級の権力にとっても脅威であった。そこで、
個人的自由の理想を乗っ取り、それを国家の介入主義や規制政策への対立物に転じることで、資本家階級は自分たちの地位を守り、
ひいてはそれを回復することさえできると考えた。新自由主義はこうしたイデオロギー的任務を果たす上で格好のものだった。だがそのためには、
消費者の選択の自由-特定の生産物に対してだけではなく、ライフスタイルや表現様式、多種多様な文化実践に対するそれ-
を強調する実際的な戦略によるバックアップが必要であった。
新自由主義化にとって政治的にも経済的にも必要だったのは、
差異化された消費主義と個人的リバタリアニズムの新自由主義的ポピュリズム文化を市場ベースで構築することであった。このことはまさに、
新自由主義が、長年舞台の袖に潜んでいて今日まさに文化の領域でも知の領域でも支配的潮流として全面開花している「ポストモダニズム」
と呼ばれる文化的推進力と少なからぬ親和性があることをはっきりと示している。
(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P63-64)