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2007/03/28

ストレンジネス効果の創造

ヘーゲルが「絶対知」と呼ぶものは、現在のグローバル化の予示であり、「歴史の終わり」と共に現れます。精神は、
その発展段階のすべてを経ると、歴史的プロセスの終わりを記す、ある完成状態に到達します。

この完成を、ヘーゲルはどのように定義しているか。それは、本質的に政治的な意味を持っています。歴史は、
最高レベルの自由が実現した時に終わりを遂げます。

人間の内的自由あるいは思考の自由に関していえば、この最高レベルは、ヘーゲルにすれば、プロテスタンティズムによって導かれた
「自省の原則」に相当します。

言い換えれば、みずから自分を裁くことができ、自分の行為に関する責任をきちんと判断できる時、人間は完全に自由なのです。

外的自由、政治的自由、社会的自由に関して言えば、自由の最高レベルは近代民主主義の台頭に相当します。
自己の意識と社会生活において解放された人間は、それ以上望みえないほどの完全な自由を手にします。

歴史が終わったといっても、もちろん何も起こらないという意味ではなく、それから先の出来事においては自己批判と民主主義以上のもの、
それ以上に羨望されるようなものは何ももたらされないという意味です。

絶対知とは、概念の領域でこのような政治的完成に相当するもの、すなわち最高レベルの完成に達した哲学的思考です。すべての問いは、
はたして絶対知が歴史と思考の停止を意味するのかどうかを知ることにあります。

ヘーゲルに批判的な読み手の多くはそう肯定し、たとえばハイデガーは、弁証法的哲学は最終的に時間と歴史を追い出し、その代わり、
国家の絶対権力に表されるような人間の有限性を、神の永遠性と無限性に置き換えたと論証しました。

フランシス・フクヤマは、絶対知にグローバル資本主義の勝利を見て取り、つまりグローバル資本主義に代換するものなどいっさいなく、
地球上における唯一の生産手段として君臨すると述べています。

たしかに、民主主義が資本主義と一体化していることは、今日、地球規模ではっきりうかがえます。

しかし私の考えでは、絶対知の登場によって、解放のプロセスすべて、
つまり人間が完全な自由を獲得するプロセスすべてが停止することを意味しません。ですから、新たな営みとは、
既存システムの外部に存在するもの、すなわち既存システムの内部には存在しないものを見つけることではけっしてありません。

絶対知は閉じた世界の思考であり、超越性はなく、部分修正されることもありません。グローバル化が意味するところはさまさにそこにあります。
各地で戦争や紛争が起こっているにもかかわらず、同じモデルが至るところで君臨しています。

とはいえ、グローバル化は「ストレンジネス(奇妙さ)効果」(同一性に他者性が混ざり合うこと)を妨げるものではありません。
まさにこの点を、私は絶対知に内在している「未来の根源」と呼んでいます。

そしてこれは、ストレンジネス効果の創造、つまり他者性のない世界において他者性を創造することなのです。
この逆説をあくまで維持し実践することが重要です。要は、歴史の終わりが告げられた現在、どうすれば我々は自己変革できるのか、
その術を知ることなのです。


(哲学者 カトリーヌ・マラブー氏インタビュー ダイアモンド・ハーバード・ビジネスレビュー 2007年4月号)



可塑的な脳

>あらゆる現実は可塑的(プラスティック)、すなわちけっして一つの形(フォルム)ではなく、そのことを確認し、
理解するために懐疑するということですね。

あなたはその可塑性の概念をニューロ・サイエンスにまで広げ、それに関する著作もあります。弁証法的に考えることで、
脳はより可塑的に洗練されていくのでしょうか・


神経生物学の分野において、脳を「可塑性がある」と形容するのは、まさに彫刻家や物理学者が扱う材料のように、
脳が過剰な抑圧に抵抗しながらも、しなやかさを兼ね備えているからです。

ニューロン間の結合は、環境と経験の影響下にあって大きさも変われば、構成も変わります。

たとえば、ピアニストの脳は機械整備士の脳と完全に同じ形をしているわけではありません。

教育、習慣、反復が、我々の脳を形づくります。今日の資本主義のイデオロギーは我々の脳が柔軟(フレキシブル)
だと信じさせたがっていますが-柔軟という言葉がいかに繰り返し用いられているか、注意してみてください-実際には、脳は可塑的であり、
すべてを許容するわけではなく、教育や訓練が施されれば施されるほど、批判能力が鍛えられていきます。

繰り返しますが、存在するものすべてはみずからを否定するのです。脳はこの自己否定の好例です。脳は、
末梢や忘却や抵抗の可能性を発展させることなしには、いかなる刻印も受けはしません。この拒絶の可能性なしに知性は存在しないのです。


可塑性を備えた弁証法的な力は、形の作用と、形を爆発し破壊する可能性を一体化させます。私はこの可塑的な弁証法の力が脳において機能し、
今日の新しい武器に立派になりえると確信しています。


 (哲学者 カトリーヌ・マラブー氏インタビュー ダイアモンド・ハーバード・ビジネスレビュー 2007年4月号)



二種類の資本主義

マルクスは、資本主義が西洋で自滅するだろうと予想しましたが、逆に東洋においてマルクス主義の下、開花しています。たしかに、
今日最大の矛盾の一つは、極東のマルクス主義的な資本主義の存在でしょう。

したがって、21世紀の企業は必然的に、資本主義のこの新しい顔をしっかり認識しなければなりません。そこでは、
弁証法が富と利潤に仕えているのです。戦いはもはや資本主義対社会主義ではなく、資本主義における二種類のマネジメント・
スタイルの間に存在します。


第一の欧米型は、ニューロン・タイプのマネジメント・スタイルを発展させ、企業組織は脳と同じく、中枢部がなく、
固定した権力のないまま結合体のように機能します。

第二の中国型は、はるかに明確に序列化されたモデルを土台としており、自由な発意と強力な国家の存在を巧みに組み合わせています。


この例からもわかるように、グローバル化とはストレンジネス効果と相容れないものではありません。
世界はグローバル化されているとはいえ、依然多極であり、アメリカの資本主義と中国の資本主義との間には構造的な不一致が存在します。


日本は必然的に、これらの二つの間に自分の場所を見出していかなければなりません。
欧米の資本主義と極東の資本主義のどちらを選択するのではなく、日本は弁証法という力を巧みに操り、両者の間をうまく貫くべきであると、
私は考えます。


これら二つの構造を可塑的に弁証法化しうるようなモデルが見出せれば、全体的な市場の自由化(欧米)と高度な国家管理主義(極東)
との間に新たな均衡を提唱することになるでしょう。その意味において、たしかに驚くような発明になると思われます。


今後日本は間違いなく、これら二種類の資本主義の両方を同時に見据えていかなければならないでしょう。新たな思弁的な挑戦です。
労働の可塑性が労働の柔軟性に代替できるとしたら、それはおそらく、二種類の資本主義を統合することにおいてでしょう。



(哲学者 カトリーヌ・マラブー氏インタビュー ダイアモンド・ハーバード・ビジネスレビュー 2007年4月号)