英国人は中国人労働者を名目上は「自由な」存在として描いたが、「苦力」
たちはアフリカ人奴隷を運んだのとまさに同じ船で目的地へと送り出された。ある者は病にかかり、命を落とし、暴虐に耐え、反乱を起こした。
三ヶ月にわたる航海を生き延びた者には、到着と同時に強制的な監禁状態が待っていた。この意味で、「原始的奴隷制」から「自由労働」
への転換の決定を宣言する英国の政治的言説は、近代功利主義の所作だったのかもしれない。奴隷制廃止は便宜的なものだったのであって、
たまたま同時代の「啓蒙的」空気に合った解決であったにすぎないのである。年季契約移民労働が「自由に」契約されたものであるという表象は、
かつての奴隷への自由というリベラルな約束を裏支えするものとして現れたが、その一方で、プランターがいわゆる
「奴隷制から自由労働への転換」から -すなわち実際には、借用奴隷から分益小作農、囚人奴隷、日雇い労働、債務奴隷、出来高払い制、
年季契約移民にいたる、幅広い強制的労働の媒介的な形式から- 利益を得ることを可能にするものであった。中国人は、
この十九世紀前半の植民地言説の中でひとつの形象として、「自由」ではあるが人種化された年季契約移民という幻想として、
道具主義的に利用されていたが、自らの身体や仕事、生と死の所有からあらかじめ排除されていたことは、奴隷化された者たちにとっても、
年季契約で連れてこられた者たちにとっても同様であった。
(『人種化された労働』 リサ・ロウ 浜邦彦訳 現代思想 2007年6月号 青土社)