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2008/05/06

「自由の新たな空間」より

しかし、経済不安以外に日々のマスーメディアによる情報も、問題を誤認させる危険を帯びているのではないか?自由の上にのしかかっているのは本当に現実の経済危機状況なのだろうか?あるいはむしろ、革新的な潜在力の集団的な受動化、意気喪失、方向感覚喪失、崩壊があり、そこに生じた社会的荒廃の諸結果から新たな“野生の資本主義”は好き勝手に利益を上げるにいたっているのではないか?第一、経済危機という言葉はこの十年来世界を、なによりもまず第三世界を脅かしている連鎖的なカタストロフの性格を示すには如何にも不充分である。また、経済状況のみに関わる諸現象にその用法を限るのは明らかに不当だ。数えきれぬほどの人々が飢餓の中に死に瀕し、数十億もの人々が年を追ってしだいに貧困と絶望の中に押し込められつつある現状を前に、ひとは穏やかにわれわれに説明してくれる。経済の問題です、この経済危機が終わらぬ限り状況の改善は期待できないでしょう!手のほどこしようもありません!まるで霰かホルテンス台風みたいに経済危機が天から降って来て大地を走り回っているかのような言いぐさだ!かの気象占師どもだけが――ときめく経済人どもだけが――この現状について語る言葉を持っているというわけだ。しかし実際、これほどに卑劣と馬鹿々々しさが共生している場所はない!というのも結局のところ、産業と経済の転換が ――それが世界規模のものであり、社会構成と生産手段の根底的な組み換えをはらんでいるとしても――これほどの泥沼状態をその償いとして要請する如何なる必然性があるというのか!いますぐにでも問題を考えるやり方を百八十度転倒する必要性があり、今すぐにでも再考し直さなければならぬということを改めてはっきりさせよう。政治こそが経済の上に立って全てを進行させているのだ。けっしてその逆ではない!現在の状況において、あらゆる細部で、政治こそが経済危機を作り出しているということを断定するのは成る程易しくはないにしても――というのも事実、例えば、経済的荒廃と生態系の厄災の間には、あるいは別の理念的オーダーだが、金融と石油市場の間には、誰もコントロールし得ないカタストロフィックな誘因、相互作用があるからだが――ともあれ政治が現在のひどく悪性の社会的結果の責任を免れるなどということはない。この経済危機からの出口は、あるいはお望みならこの暗黒の系譜からの出口は、政治と社会にこそあるのだ。そこから始めなければ人間は予測し難い内破に向けて進み続けることになろう。

(『自由の新たな空間―闘争機械 (ポストモダン叢書 (12)) (単行本)』フェリックス・ガタリ、トニ・ネグリ 丹生谷 貴志訳)



2008/03/17

動物の愛護及び管理に関する法律ー動物を殺す場合の方法

第4章 雑則

(動物を殺す場合の方法)

第23条 動物を殺さなければならない場合には、できる限りその動物に苦痛を与えない方法によつてしなければならない。

2 環境大臣は、関係行政機関の長と協議して、前項の方法に関し必要な事項を定めることができる。

(動物を科学上の利用に供する場合の方法及び事後措置)

第24条 動物を教育、試験研究又は生物学的製剤の製造の用その他の科学上の利用に供する場合には、その利用の必要な限度において、できる限りその動物に苦痛を与えない方法によつてしなければならない。

2 動物が科学上の利用に供された後において回復の見込みのない状態に陥つている場合には、その科学上の利用に供した者は、直ちに、できる限り苦痛を与えない方法によつてその動物を処分しなければならない。

3 環境大臣は、関係行政機関の長と協議して、第1項の方法及び前項の措置に関しよるべき基準を定めることができる。

 

昭和48年10月1日
法律第105号
一部改正 昭和58年12月2日
平成11年7月16日
平成11年12月22日



2007/11/05

セキュリティの上昇

セキュリティという言葉は、さまざまなニュアンスを有しているが、近代においてセキュリティの基軸となったのは、social
security と national
security だろう。つまり主権国家の枠を前提とし、外に向かっては国家安全保障として、内に向かっては社会保障として作動するセキュリティの装置である。フーコーは、おそらく、社会保障を念頭におきながら、近代の人口という集合体レヴェルを通して作動するマクロな権力行使の主要な場所をセキュリティの装置として特徴づけた。ヤングの図式でいえば、そこではセキュリティの装置は内包・統合という作用と密接にむすびついて動員されていたといえよう。だがいま、そこではセキュリティの上昇とみなされうる事態で最大に焦点化しているのは、もはや一見「穏やか」な社会保障ではない。セキュリティは一方で<社会的なもの>の持ち分を離れ、市場化されプライヴァタイズされていく。他方で、それは、いわば「内向きの軍事化」としても浮上してきている。その<内>の境界もいまや不分明化しており、それが現代社会を考えるとききわめて重要になるわけだが・・・・・・



いまここで大ざっぱな輪郭を描いておけば、従来の内包ないしは統合を旨とした社会編制は、<人口>を対象とするマクロな規制のレヴェルで作動する権力の編制の場であるセキュリティの装置とミクロな身体にかかわる規律の装置の二つの異質な権力装置の接合がその土台を形成していたと言えるだろう。他方、セキュリティが<排除>へというベクトルを積極的に描き出すためには、セキュリティの装置と規律の装置のむすびつきの後退、そしておそらく「管理統御権力」と名指され徐々にその仕組みが明らかにされているような装置との新たなむすびつきが必要となるのではないだろうか。


(『自由論』 酒井隆史 青土社 P.261)



2007/10/21

「暴力はいけません」という言表

「暴力はいけません」というモラルなら、だれでもいえるし、実際、あふれています。ブッシュ大統領だって、
核武装を唱える日本の政治家だってそういうはずです。むしろ、「暴力はいけません」といいながら、「だから暴力には暴力を」と、
より大きな暴力の配備を正当化しているのがこうした人たちなのでしょう。「暴力はいけません」という言表は、
決して人の暴力に対する許しがたさの感覚を養っていることを狙ったものではないとおもうのです。そもそもこの言表は逆説をはらんでいます。
暴力はいけない、だから暴力を憎むのだ、暴力をふるう者を憎むのだ、暴力をふるう者に暴力を-このような言表の連鎖を、「暴力はいけません」
という言表は決して排除するものではない。

しかもしばしば(とりわけ今では)、「暴力をふるう者」は「暴力をふるいそうな者」へと広がっていき、
現実的には暴力が生じていないところに暴力が生じそうだからという理由で暴力が振るわれるという奇妙な事態が生じてくる。そこでは現実には、
この「暴力はいけません」と叫びながら振るわれる凄まじい暴力しか存在しない、ということもありえます。つまり、このようなモラルは、
好戦的な、しばしば残忍ですらある暴力を退ける要素をはらんでいるわけでは決してない。むしろそれは濃密にはらむことさえあるのです。
いま流通するようなかたちでこのようなお説教的な言表がもくろんでいることは、
この世界に満ちているさまざまな力を感受し腑分けする能力をつぶすことです。そのことによって、
人は暴力に対する感覚を摩耗されているのです。


(『暴力の哲学』 酒井隆史 河出書房新社 P10-P11)



2007/06/21

資本主義的な帝国主義

資本主義的な帝国主義は、二つの権力論理、すなわち領土的な論理と資本主義的な論理との弁証法的関係のなかから生まれてくる。
この二つの論理は別々のもので、どちらかに還元することなどできないが、たがいに緊密に結び合わされており、
たがいに内的な関係を形作っていると考えることもできよう。しかしそこから生み出されてくる結果は、空間と時間によって大きく異なる。
どちらの論理も矛盾をはらんでいるが、どちらか一方が作り出した矛盾は他方によって押さえ込まれなくてはならない。
たとえば終わりなき資本蓄積が領土的論理の内部で定期的に危機を醸成するのは、それと並行して政治的・
軍事的な力の蓄積を行う必要があるからである。あるいは領土的論理のなかで政治支配者が変わった場合には、
資本の流れも同様に変わらなくてはならない。国家は自らの記憶と伝統にしたがってその業務を遂行し、独自の統治スタイルを編み出す。
こうして不均衡な地理的発展と地政的闘争、そしてさまざまに異なる帝国主義政治形態の基盤が作り出される。


(『ニュー・インペリアリズム』 デヴィッド・ハーヴェイ 本橋哲也訳 青木書店 P183)



2007/06/14

経済学・別の視点

人間は経済的刺激に対していつでもどこでも決まった方法で反応するとする考えは、
社会や歴史について我々が築き上げてきた知識からしても不自然である、とベルチのような非正統の経済学者は主張している。
市場は制度的文脈によってかたちを変えるのであって、市場の動きは、市場を取り巻く法制度、政治制度、血縁的つながり、社会習慣、
歴史的記憶といった広大な非市場領域との関係によって理解されるものである。ここで社会的記憶にかかわる研究のパイオニアだった、
フランスのモーリス・アルヴァックスの言葉を思い出すべきだろう。需給関係や生産費用に基づいた経済の価格機構に関する考え方を、
アルヴァックスは断固として拒絶した。アルヴァックスによれば、価格は記憶や歴史と密接な関係がある。我々が物品につける相対価値は、
(しばしば無意識的に)人間の幸福や繁栄、社会組織化の手段をめぐる何世紀にもおよぶ社会的交渉と抗争の産物であった。


「経済システムは(ホモエコノミクスといった)同質の欲望の地平によって作用せず、多元的な欲望によって繁栄し、
それぞれ多様なイメージや嗜好によって形成されることを認めるべきである。経済宇宙には、
それぞれの関心や行動様式を持つ個人が存在しており、経済的な機能分化の歴史的過程がある。それゆえ個々人は・・・・・・摩擦の主体である」
とベルチは指摘した。


以上のことが示唆するのは、差異ある歴史的文脈に基づいた領域横断的な方法こそが、
現代社会における経済的変化の過程を理解する鍵であるという点だ。そして、その変化は、
非市場セクターから市場セクターへの社会的再生産の領域の移行や、
市場と非市場の力の結合による社会的再生産の根幹の管理を含むものでもある。


(『自由を耐え忍ぶ』 テッサ・モーリス-スズキ 辛島理人訳 岩波書店 P175)


補足:アルヴァックス(Maurice Halbwachs)、ベルチ(Lapo Berti)



自由市場をすべての問題の万能薬とする空虚なイデオロギー

市場の社会的深化は矛盾に満ちた結果を生じさせた。「自由競争」のイデオロギーが支配的になり、
企業は自由市場の名のもとで社会の再生産や管理といったものにより深く浸透する。その一方で、市場の社会的深化によって、
国家と企業の複合的な連携と結合が強まり、生や知にかかわる私的所有の領域は拡大し、それは排他的独占的な障壁で守られることになった。
こうしてみると、「民営化」や企業市場の権力の増大は、「選択の自由」の幅を広げるどころか、逆に狭めるものと考えられるだろう。
とするなら、経済理論と新自由主義による日々の実践は、ますます乖離してしまう。おかしなことに、理論と実践との間に、
生きた経験から生み出された乖離の存在がありながら、新自由主義理論の信奉者たちは自分たちへの批判を「ユートピアを語っている」
と切り捨て、新自由主義が世界で唯一の「現実」であると主張する。自由市場をすべての問題の万能薬とする空虚なイデオロギーは、政治的、
社会的、文化的自由にかかわる豊穣かつ複合的な事象を、単に「企業の成長の自由」という概念へと矮小化した。


(『自由を耐え忍ぶ』 テッサ・モーリス-スズキ 辛島理人訳 岩波書店 P173)



多国籍企業・軍事支援民間企業

2004年3月31日、イラクのファルージャで、四人のアメリカ「民間人」が怒り狂う民衆によって殺害された。
その死体は橋から吊され、残虐ぶりが世界中のメディアによって報道された。アメリカ軍は「民間人」殺害の報復としてファルージャを爆撃し、直後の攻撃だけですくなくとも八百人の市民が殺されている。

イラク戦争でも特記すべきこの事件の元となった四人の「民間人」は、ブラックウォーター・セキュリティ・コンサルタント社に雇用されていた。そのうち二人は、ごく最近にアメリカ陸軍と海兵隊の特殊部隊を除隊したばかりの元兵士だった。

ブラックウォーター・セキュリティ・コンサルタント社は、軍関連の「特殊工作」を主な「営業」領域とする、(その世界では)著名な民間企業である。

また、たとえば日本を母港地とする米第七艦隊所属の潜水艦、コロラドの乗組員263人の半数以上は、米軍籍を有さない「民間人」の技術者や軍事支援民間企業の社員たちである。こういった「戦争の民営化」の実情は、これまで国際法の基礎的想定となっていた、「軍人/戦闘員」と「民間人/非戦闘員」の区別を、以前にも増して困難とさせる。
戦闘が行われている地域におけるカッコなしの民間人たちの安全を保障する、なんらかの国際上の合意が必要なのではないだろうか。

(中略)

多くの民間軍事企業は「国内安全保障」への貢献を広報するのだが、結局のところ多国籍企業の究極の関心は利潤計算表にある。最終的に、これら民間軍事企業は誰の安全を保障するというのだろうか。

(『自由を耐え忍ぶ』 テッサ・モーリス-スズキ 辛島理人訳 岩波書店 P146)

補足:これら民間軍事企業の多くは多国籍企業である。例えば、ワッケンハット社、G4F社(ワッケンハット社と合併)、ACM社(ワッケンハット社の子会社)、ヴィネル・コーポレーション(ノースロップ・グラマン社の子会社)、ヴィクター・ボウト(著名な武器商人)、ブラックウォーター・セキュリティ・コンサルタント社、ダインコープ社、MPRI社、サラディン・セキュリティ社、ケロッグ・ブラウン・ルート(KBR)社、エクゼクティブ・ソリューションズ等々

補足2:ペータ・W・シンガーは2003年に『企業戦士』を出版し、1991年の湾岸戦争で参戦したアメリカ兵の50人に1人から100人に1人は、民間企業からの派遣社員だったと指摘した。
2003年のイラク侵攻に際しては、その割合が10人に1人を超した。

自分の細胞は自分が所有権を主張できない

1990年、カリフォルニア州最高裁判所は、将来にわたる大きな影響を広範囲にあたえる一つの凡例を下した。
人は自身の体内にある遺伝子情報を所有しない、というものだった。


この判決は、カリフォルニア大学医療センターとそこで治療を受けたジョン・ムーアの間で争われた長い裁判の末に出されている。
ムーアは1970年代にその医療センターで白血病の治療を受けていたが、その際に医師は彼に特異な免疫機能があることを発見した。
ムーアに対して告知や承諾の確認もなく、医療チームは彼から細胞を採取し、そして白血病の治療薬の一つにするため細胞を増殖させた。
ムーアは医療センターが自分の細胞を「盗んだ」と裁判に損害賠償を訴えた。
新しい治療薬に用いられている遺伝子物質が自分の身体から摘出された以上、
その新治療法開発から得られる利益の一部を自分は受け取る権利があると、ムーアは主張した。裁判所は、
医療センターが同意なしに細胞を取りだした点に関しムーアの主張を認めた。しかし、
白血病にかかわる新治療法からの受益権をムーアに認めなかった。「連邦法は『人間の独自性』の産物であれば有機体であろうとも特許を認める。
しかし、自然発生的有機体については特許を認めていない」と裁判所は判決を下した。換言すれば、
研究室である人間の細胞を人工的に再生産した科学者はその細胞に対して所有権を主張できるが、
自分の身体が自然に生産した細胞についてその人間は所有権を主張できないということである。


(『自由を耐え忍ぶ』 テッサ・モーリス-スズキ 辛島理人訳 岩波書店 P79-80)



サハリン残留韓国人への支援について

終戦時、サハリンには約40万人の日本人がいた。昭和21年に結ばれた「米ソ引き上げ協定」によって、日本人ついては、
引き上げが許され(24年までに約30万人が帰国)たが、ソ連にとって終戦と同時に「無国籍者」とされた、朝鮮半島出身者については、
ソ連が出国を認めなかったために、サハリンへの残留が余儀なくされた。


これについて「日本人だけが、さっさと帰って朝鮮半島出身者だけを見捨てた」という悪質なプロパガンダが流されたが、当時、
占領下にあった日本は、そうした決定に関与すらできなかったのである。先にも書いたが、彼らがサハリンに留め置かれたのは、
ソ連が国交のない韓国への出国に難色を示していたからだ。背景には、北朝鮮への配慮があったという。2005年に、
韓国政府が公開した外交文書によれば、1974年にサハリンから日本経由で韓国へ帰国しようとしていた残留韓国人約200人が、
やはり北朝鮮に配慮したと思われるソ連の拒否によって出国が認められなかったケースが明らかになっている。


各国政府が無関心を決め込むなか、当事者の一人で、昭和33年に日本に帰国していた故・朴魯学氏・堀江和子さん夫妻ら、
日本にいた民間人の力によって、一時帰国、永住帰国への道が開かれたことも既に述べた通りだ。そのままなら「美談」に終わるはずの話が、
政治問題・外交問題になってしまったのは、50年12月、残留韓国人4人を原告にして東京地裁に提訴された「サハリン残留者帰還請求訴訟」
がきっかけである。18人の大弁護団の中心的な立場にいたのは、後に「従軍慰安婦」訴訟でも”活躍”した人物だった。


日本政府の見解は一貫して、「法的責任はない」というものだったが、やがて「人道的支援」を行うことに追い込まれる。
そしてこの問題はやがて、人道的支援から、「戦後補償」へとすり替えられて行くのだ。


日本政府に法的責任がない、というのはまったく正しい。昭和40(1965)年の日韓条約で、「解決済み」の問題であり、
先の韓国の外交文書公開では、韓国側が個人補償を行う義務を負っていることも明らかになっている。


しかも”そもそも論”で言えば、戦前、戦時中に朝鮮半島からサハリンへ渡った人たちの多くは、外地手当などによる「高給」
に魅力を感じて企業の「募集」に応じて、自分の意思で行った人たちである。つまり、日本政府に無理矢理連れて行かれたわけではない。
先の新井佐知子氏は「私たちが帰国を支援した人たちも、ほとんどが「募集」でサハリンへ渡った人たちでした。
(1944年から朝鮮半島で実施された)正式な徴用令状で行った人は数百人にも満たないでしょう。当時は『強制連行』
なんて言葉すら無かったのです」と断じている。


実際、安山の『故郷の村』に住んでいる住民(一世)に聞いてみると、多くの人は「募集で行った」と答えている。
帰国運動を行った朴魯学氏(故人)も、昭和18年に樺太人造石油会社の募集に応じて、サハリンへ渡った一人だ。朴氏は、
サハリンで貰った給料で、韓国の家族に、家一軒が建つほどの仕送りが出来たという。妻の堀江和子さんによれば、
何が何でも日本政府の責任を主張する仲間(残留韓国人)に対して、「強制連行などではなかったじゃないか」と、
朴氏が咎めることがたびたびあった。


韓国政府や残留韓国人の団体は、こうした見解を認めようとはしない。「たとえ募集や官斡旋で行ったとしても、日本支配下のことであり、
事実上の強制であった」(韓国政府関係者)というのである。そして理論上、苦しくなると、「人道的支援」を持ち出すのだ。


だが、新井氏は、「私たちが世話をした人の中には、募集でサハリンに渡り、お金を稼いで、いったん戻ってきた後、
ばくちでスッテンテンになって、もう一度、自らサハリンへ行った人もいました。もちろん、強制などではありませんでした」と反論している。


結局、日本は外向的摩擦を怖れるあまり、求められるままに、「理由なき支援」を続けてきたのだ。もちろん、
国際社会で責任ある立場として、日本が「人道的支援」を行うのはいい。だが、70億円は、明らかにその範囲を超えている。


(月刊誌『正論』 2007年6月号 「サハリン 残留韓国人への追加支援で密かに盛り込まれた「3億円」」)


補足:「故郷の村」とは、韓国・安山市に2000年2月に完成した、サハリンからの帰国者支援のために建設したアパート群(八棟)。
建設費27億円は日本が出している)

70億円とは、一時帰国支援金・住宅施設建設費(安山アパート、仁川療養所など)・サハリン残留者支援金・永住帰国者支援金などの、
現在までに日本政府が支援した費用総額。



2007/06/11

解放軍

自由。もっとも光輝に満ち、もっとも危険で、そして最も陳腐な言葉。近代以降の侵略軍において、解放軍でないものは存在しただろうか?


(『自由を耐え忍ぶ』 テッサ・モーリス=スズキ 辛島理人訳 岩波書店 P5)



アイヌと日本の分業化

アイヌ社会を「狩猟採集」社会の原型として再構築したのは、まさに初期近代の発展過程にほかならない。
交易の増加が日本とアイヌとのあいだによりはっきりと仕切られた分業を促進した。すなわち、アイヌの生活圏は漁撈と狩猟に特化し、
日本は農業と金属加工に特化した、そのような分業である。この意味で、アイヌ農業の衰退は、
徳川期日本における農業技術の発展と同じひとつの過程をなしていた。すなわち、西日本の綿作地の繁栄は、
アイヌ経済のモロコシや野菜作物の衰退と平行して進んだのだ。経済発展、交易、
いっそう複雑化する分業が数多くの近代社会のうちのある部分に脱産業化を生み出したのとまったくおなじように、
それらはアイヌ社会の脱農業化を促した。もちろん、この過程を経たからこそ、明治国家が「日本」と農業とを同一とする視座で、(未農業化の)
アイヌに農業を「伝える」ことによりアイヌを旧土人化するのが可能だった。


(『辺境から眺める』 テッサ・モーリス=鈴木 大川正彦訳 みすず書房 P61)



2007/06/10

新自由主義における技術革新

新自由主義理論は技術革新を、新しい製品、新しい生産方法、新しい組織形態の追求に駆りたてる競争の強制力にゆだねる。しかし、
この推進力は企業家の常識にあまりに深く埋め込まれているために、物神崇拝の対象さえなっている。
どんな問題にも技術的解決策があるというわけだ。企業ばかりでなく国家機構(とりわけ軍隊)の中にもこの考えが定着するにつれて、
技術革新の強固な自立化傾向が生じ、それは安定性を損ないうるだけでなく、場合によっては逆効果にさえなりかねない。
技術革新を専門とする部門がこれまで市場になかった新製品とその新しい使い方を編み出すような場合(たとえば新薬が生産され、
そのために新しい病気もでっち上げられる)、技術の発展が暴走する可能性がある。そのうえ、有能な新参者が技術革新を動員して、
支配的な社会的諸関係や諸制度を掘りくずすこともある。彼らはその活動を通じて、
自分たちの金儲けに有利になるよう常識さえもつくりかえるかもしれない。このように、技術の発展力学、不安定性、社会的連帯の解体、
環境悪化、脱工業化、時間・空間関係の急激な変化、投機的バブルなどといったことと、
危機を醸成する資本主義内部の一般的傾向とのあいだには、密接なつながりがある。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P99-100)



2007/06/09

北方領土のこと

二十世紀が終わろうとしている1997年、日本政府とロシア政府はようやく重い腰をあげ、アジア・
太平洋戦争以来決着がつかないままになっていた懸案事項の解決に乗り出した。すなわち、和平条約の調印と両国国境の確定に関わる作業である。
両国の交渉で焦点となる事項のうちもっとも重要なものは、いわゆる「北方領土」-国境線のロシア側では、南クリル(千島)として知られる、
ハボマイ(歯舞)、シコタン(色丹)、クナシリ(国後)、エトロフ(択捉)-の統治管轄という問題である。これまで、
この問題をめぐる論争は、国家間の権力政治という古典的な言語を用いておこなわれてきた。ロシア政府の視座からみると、
クリル諸島を自国領だと請求する根拠は、これが十七世紀にロシアの探検隊によって「発見」されたという事実に求められる。他方、
日本の観点からみると、この列島は北海道の地理的延長として定義される。それゆえ、日本政府は「北方領土」を「我が国固有の領土」
の重要部分であるとみなし、これを領土として認知するようにと要求するのである。


現在にいたるまで、交渉の表舞台で繰り広げられてきたのは、首脳外交、つまり御歴々が演ずるドラマであった。しかし、
この舞台の袖から非公式の声がかすかに聞こえはじめている。クリル諸島の現在の居住民は、
ロシア中央政府から長年にわたって受けてきた侮蔑的扱いに憤慨の意を表明し、独自の計画にもとづき、島を日本に貸与すると提案した。一方、
参議院議員(当時)萱野茂(かやのしげる)をはじめとする著名なアイヌの活動家たちは、ロシア人や日本人が「発見」するはるか昔から、
したがって日本政府がロシアに隣接する日本領土として北海道を創出する以前から、すでにこの列島にはアイヌ住民が居住していたのだ、
と政府首脳にむけて主張した。萱野は、アイヌにはこの列島の将来にかかわる交渉に参加する権利があると主張する。しかもこれは同時に、
国境線の北側の先住ニヴフ共同体の指導層からも、正当な主張だと認知されている。ニヴフ共同体の人びとからすれば、
クリル諸島及び近隣のサハリン(樺太)島とは、幾世紀にもわたり、アイヌ共同体とともに形成してきた相互活動領域にほかならないのである。


(『辺境から眺める』 テッサ・モーリス=鈴木 大川正彦訳 みすず書房 P1-2)


補足:北海道は、英国人にとっての北アメリカ同様に先住民から土地を搾取することで領土化された、という明白な事実を時として忘れる。
萱野茂氏は2006年5月6日に79歳の生涯を閉じた。
アイヌの英雄叙事詩ユーカラを紹介するなどアイヌ文化の振興に多くの功績を残された方でもある。



2007/06/07

新自由主義国家に関する一般理論内部のあいまい点や対立点

第一に、独占企業をどのように解釈するのかという問題がある。競争はしばしば独占ないし寡占をもたらす。というのも、
より強い企業がより弱い企業を駆逐するからである。 (中略) いわゆる「自然独占」の場合はそれよりも難しい。電力供給網、ガス・
パイプライン、上下水道システム、さらにはワシントン-ボストン間の鉄道路線などが、それぞれ複数で競合しあっても無意味だろう。
こうした分野では、供給・アクセス・価格設定上の国家規制は不可避である。 (中略)


第二の大きな争点は「市場の失敗」に関する問題である。市場の失敗が起きるのは、
個人や企業が自分たちの責任を市場の外部にはじき出し-専門用語で言えば「外部化」し-、
自分たちにかかってくるコストのすべてを払おうとはしない場合である。この古典的事例が環境汚染である。そのさい、
個人や企業は廃棄物処理費用を免れようと、環境のことなど一顧だにせずに有害廃棄物を投棄する。 (中略)
 新自由主義者たちがこうした問題の存在を認めると、ある者は一定の譲歩をして限定的な国家介入に賛成するが、他の者たちは、
何か治療をしようとすればほとんど確実に病より悪い結果をもたらせるのだから何もしない方が良いと主張する。
何らかの介入が行われるべきとしたら、それは市場メカニズム(たとえば、課税、インセンティブ、汚染物質排出権の市場取引など)
を通じてなされるべきということに、大方の新自由主義者は一致する。「競争の失敗」に対しても同じようなアプローチが選択される。契約関係、
二次契約関係が増えるにつれて、取引コストも増大する。 (中略)


通常、市場の活動主体はみな同一の情報にアクセスできると想定されている。
自己利益にもとづいて合理的な経済的決定を下す諸個人の能力を妨げるような、権力や情報の非対称は存在しないということが想定されている。
だが、実際にはこのような条件はめったにないし、むしろ、情報や権力の非対称性にもとづくいくつかの重要な結果が生じている。
他人よりも情報や権力を多く持っている行為主体にとっては、その利点を利用して、いっそう大きな情報と権力を獲得することさえ容易にできる。
知的所有権(特許権)の確立は、さらなる「レントの追求」を促す。特許権をもつ者はその独占権力を用いて、独占価格を設定するか、
非常に高額の代金が支払われないかぎり技術移転を妨害しようとする。それゆえ国家が対抗処置をとらないかぎり、
非対称な権力関係は減少するどころか、時とともにますます増大する傾向にある。完全な情報や対等な競争環境といった新自由主義の想定は、
無邪気なユートピアであるが、富の集中とその結果としての階級権力の回復を意図的にごまかしているかのどちらかである。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P98-99)


レントに追求:「レント」とは何らかの独占状態から生じる特別の利益のこと、技術の独占から生まれるのが技術使用料、
土地の独占から生まれるのが地代である。「レントの追求」とは、そうした独占事業を維持・拡大することで、レント収入を追求することをいう。


補足:現在において著しいのは、医療関係、たとえばエイズ治療薬は特許の集合である為、
国家が介入しない限りアフリカなどの貧民者が多数を占めるアフリカ諸国では高額のため利用できない状態。もしくは、
最近のバイオテクノロジーにおける状況。医療保険制度の中で製薬会社への支払い割合はおそらくかなり高い。特許・著作権(遺伝子コード)
などの問題は、恐ろしく専門的ではあるが、直接に我々の生活の中に入りこんでいる問題でもあると、僕は認識している(amehare)



新自由主義派の理論家たちは民主主義に対して根深い不信を抱いている

新自由主義派の理論家たちは民主主義に対して根深い不信を抱いている。多数決原理による統治は、
個人の諸権利や憲法で保障された自由にとって潜在的脅威だとみなされている。民主主義はぜいたく品とみなされ、
政治的安定を保障する強力な中産階級の存在と結びついた適度な豊かさのもとでのみ実行できるとされている。したがって、新自由主義者は、
専門家やエリートによる統治を支持する傾向にある。民主主義や議会による意思決定よりも、
行政命令や司法判断による統治の方がずっと好ましい。新自由主義者は中央銀行などの主要機関を民主的な圧力を守ろうとする。
法の支配や立憲体制の厳格な解釈を軸にすえる新自由主義理論の前提では、紛争や対立は法廷で調停すべしということになる。
いかなる問題であれ、その解決策は、法制度を通じて個々人によって追求されなければならい。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P96-97)



理論における新自由主義国家

新自由主義国家は理論的には、強固な私的所有権や法の支配、自由に機能する市場や自由貿易の諸制度を重視している。これらは、
個人の自由を保障するのに必要不可欠なものとみなされている社会的諸制度である。その法的枠組みは、
市場における法的人格同士の自由な交渉による契約上の義務にもとづいている。行動・表現・
選択の自由という個人の権利や契約の不可侵は保護されなければならない。したがって国家は、全力をあげてこれらの自由を守るために、
それが独占している暴力装置を用いなければならない。ひいては、ビジネス集団や企業(法的には個人とみなされている)
がこうした自由市場と自由貿易の制度的枠内で活動する自由も、根本的に善だとみなされている。民間企業や企業家のイニシアチブは、
技術革新を引き起こし富を創出する上で決定的なものだとみなされている。技術革新を保護するために、
たとえば特許制度を通じて知的所有権が保護される。生産性が持続的に向上すれば、高い生活水準がすべての人にもたらせることになっている。
新自由主義理論においては、「上げ潮は船をみな持ち上げる」とか、(上層から下層へと富が)「したたり落ちる(トリクルダウン)」
と想定されており、一国内であろうと世界規模であろうと、
自由市場と自由貿易を通じてこそ最も確実に貧困を根絶することができるのだと考えられている。


新自由主義がとりわけ熱心に追求しているのは、さまざまな資産を私有化することである。明確な私的所有権が存在しないこと-
多くの発展途上国ではよく見られることだ-は、経済発展と人間の福祉の改善とに対する制度的障壁の中で最大のものの一つだとみなされている。
土地の囲い込みと私的所有権の確立は、いわゆる「共有地の悲劇」(土地や水といった共有財産を個々人が無責任に過剰利用する傾向)
を避ける最良の方策だとされている。かつては国家の手で運営ないし規制されていた諸部門は、私的所有の圏域に引き渡され、
規制は緩和されなければならない(あらゆる国家干渉からの自由)。競争-個人間、企業間の競争、また何らかの地域的単位(都市、地域、国、
地域集団)間の競争-は最大の美徳だと考えられている。もちろん、市場競争の基本ルールはきっちりと遵守されなければならない。
そうしたルールが明確に定められていないとか、所有権があいまいな場合には、国家はその権力を行使し、市場システムを押しつけるか、
このシステムそのものをつくり出さなければならない(たとえば汚染物質排出権の市場取引)。競争と結びついた民営化と規制緩和は、
官僚的形式主義を排し、効率と生産性を引き上げ、品質を改善し、負担を軽減する-安価な商品・サービスによって直接的に、
税負担の軽減によって間接的に-とされている。新自由主義国家は、グローバル市場の中で他国と並ぶ一個の単位として、
競争上の地位改善につながるような国内再編と新たな社会諸制度を継続的に追求しなければならない。


市場での人格的・個人的自由が保障される一方で、各人には自分自身の行為と福利に対する責任があるとみなされている。この原則は、
福祉・教育・医療・年金といった分野まで拡張される(チリやスロバキアではすでに社会保障は民営化されており、
アメリカでも同じことをめざすいくつかの提案がある)。

各人の成功や失敗は、何らかの社会システム上の問題(たとえば資本主義に内在する階級的排除)のせいであるよりも、
むしろ企業家的美徳の欠如とか個人的失敗(たとえば教育による人的資本への十分な投資を怠ったなど)という観点から解釈される。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P94-96)


 



2007/06/02

レーガンとサッチャーの成功

レーガンとサッチャーの成功はさまざまな形で評価することができるだろう。
だが次のことを強調しておくことは非常に有意義であるように思われる。すなわち、彼らが、これまで少数派だった政治的・イデオロギー的・
知的立場を採用し、それを一気に主流の地位に押し上げたことである。


彼らがその形成に助力した諸勢力の同盟関係と彼らが率いた多数派勢力とは、
次世代の政治的リーダーたちが取り除きたくでも取り除けない遺産となった。レーガンとサッチャーの成功を最もよく証明するのは、おそらく、
クリントンやブレアにとって政治的に立ち回る余地が非常にかぎられていて、
たとえ自分のよりましな本意に反しても階級権力の回復プロセスを維持する範囲内にとどまらざるをえない状況下に置かれたことであろう。


そして、ひとたび新自由主義が英語圏の世界に深く根づくと、
資本主義が全体として国際的に機能しているその仕方に新自由主義がかなり適合的であるという事実を否定することが難しくなった。このことは、
われわれが後で見るように、英米両国の影響力と権力が新自由主義をいたるところで押しつけたにすぎないと言っているわけではない。
この二つのケーススタディが十分に示しているように、国内状況やその後の新自由主義的転換の性質は、
イギリスとアメリカではかなり異なっており、この点を敷衍して考えるなら、どこにおいても、
外部の影響や強制のみならず国内の諸勢力もまた決定的な役割を果たしているという予想が成り立つだろう。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P88-89)



1990年代アメリカの新自由主義的現状

労働過程におけるフレキシブルな専門化と勤務のフレックスタイム制を求める高尚な要求は、新自由主義のレトリックの一要素となった。
それは個々の労働者にとって魅力的になりえたし、とりわけ、
強力な組合がしばしば恩恵を独占している構造から排除されていた者たちにとってはそうであった。


労働市場におけるより大きな自由や行動の自由は、資本家にとっても労働者にとっても利益になると大いに宣伝された。ここでもまた、
新自由主義的価値観がほとんどの労働者の「常識」にたやすく組み込まれた。
活動的な潜在力を有したこのフレキシブル化がどのようにして高搾取のフレキシブルな蓄積のシステムに転じたのか
(労働配分における時間と空間のフレキシビリティの増大から得られた利益のすべては、資本に回収された)、これは、
なぜ1990年代のほんの短い期間を除いて実質賃金が停滞あるいは低下し、各種の付加給付が減少したのかを説明する鍵でもある。


新自由主義の理論は、失業は常に自発的なものであると都合よく考えている。労働には「最低賃金」なるものが存在し、
それを下回ると労働者は働かないことを自ら選好する。失業は労働の最低賃金が高すぎるから生じるのだ。その最低賃金は、
部分的に福祉給付によって設定されるのだから(そしてキャデラックを乗り回す「福祉の女王」というお話があふれていた)、
クリントンによって遂行された、「われわれのよく知る福祉」
に対する新自由主義改革が失業を減らす決定的な一歩になると考えるのは理にかなっているというわけだった。


「われわれのよく知る福祉」:クリントンは1992年の大統領選公約で、フードスタンプや母子家庭への公的扶助(AFDC)
に代表される既存の福祉を終わらせると公約し、それが、公的扶助受給者を減らして就労を促すことを目的とした1996年の福祉改革
(福祉切り捨て)につながった。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P77-78)



2007/06/01

新自由主義とポストモダニズムの親和性

1970年代初頭には、個人的自由や社会的公正を追求する人々は、
多くの者が共通する敵とみなすものと対峙することで共通の大儀をつくり上げることができた。
介入主義的国家と同盟する強力な企業集団がこの世界を支配しており、個人に対する抑圧と社会的不公正を生み出しているとみなされた。
ベトナム戦争は不満の爆発をもたらす最もはっきりとした触媒であったが、企業と国家による環境破壊、愚劣な消費主義の推進、
個々の社会問題に対する軽視、人々の多様性に対する十分な配慮が欠如していること、個々人の可能性や個人の自由な行動が国家の規制や「伝統」
なるものによって厳しく制限されていること、こうしたこともまた広範な憤りを生んだ。


公民権が争点になり、セクシュアリティや「性と生殖に関する諸権利」も重要な役割を果たした。
68年の運動に携わったほとんどすべての者にとって、社会の隅々に侵入してくる国家は敵であり、変革すべき対象であった。
そして新自由主義者もその点には容易に同意することができたろう。


しかし、資本主義企業や、ビジネス界、市場システムもまた、是正されるべき主要敵とみなされていたし、
場合によっては革命的変革の対象でさえあった。それゆえ、68年の運動は資本家階級の権力にとっても脅威であった。そこで、
個人的自由の理想を乗っ取り、それを国家の介入主義や規制政策への対立物に転じることで、資本家階級は自分たちの地位を守り、
ひいてはそれを回復することさえできると考えた。新自由主義はこうしたイデオロギー的任務を果たす上で格好のものだった。だがそのためには、
消費者の選択の自由-特定の生産物に対してだけではなく、ライフスタイルや表現様式、多種多様な文化実践に対するそれ-
を強調する実際的な戦略によるバックアップが必要であった。


新自由主義化にとって政治的にも経済的にも必要だったのは、
差異化された消費主義と個人的リバタリアニズムの新自由主義的ポピュリズム文化を市場ベースで構築することであった。このことはまさに、
新自由主義が、長年舞台の袖に潜んでいて今日まさに文化の領域でも知の領域でも支配的潮流として全面開花している「ポストモダニズム」
と呼ばれる文化的推進力と少なからぬ親和性があることをはっきりと示している。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P63-64)