労働過程におけるフレキシブルな専門化と勤務のフレックスタイム制を求める高尚な要求は、新自由主義のレトリックの一要素となった。
それは個々の労働者にとって魅力的になりえたし、とりわけ、
強力な組合がしばしば恩恵を独占している構造から排除されていた者たちにとってはそうであった。
労働市場におけるより大きな自由や行動の自由は、資本家にとっても労働者にとっても利益になると大いに宣伝された。ここでもまた、
新自由主義的価値観がほとんどの労働者の「常識」にたやすく組み込まれた。
活動的な潜在力を有したこのフレキシブル化がどのようにして高搾取のフレキシブルな蓄積のシステムに転じたのか
(労働配分における時間と空間のフレキシビリティの増大から得られた利益のすべては、資本に回収された)、これは、
なぜ1990年代のほんの短い期間を除いて実質賃金が停滞あるいは低下し、各種の付加給付が減少したのかを説明する鍵でもある。
新自由主義の理論は、失業は常に自発的なものであると都合よく考えている。労働には「最低賃金」なるものが存在し、
それを下回ると労働者は働かないことを自ら選好する。失業は労働の最低賃金が高すぎるから生じるのだ。その最低賃金は、
部分的に福祉給付によって設定されるのだから(そしてキャデラックを乗り回す「福祉の女王」というお話があふれていた)、
クリントンによって遂行された、「われわれのよく知る福祉」
に対する新自由主義改革が失業を減らす決定的な一歩になると考えるのは理にかなっているというわけだった。
「われわれのよく知る福祉」:クリントンは1992年の大統領選公約で、フードスタンプや母子家庭への公的扶助(AFDC)
に代表される既存の福祉を終わらせると公約し、それが、公的扶助受給者を減らして就労を促すことを目的とした1996年の福祉改革
(福祉切り捨て)につながった。
(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P77-78)