9・11の行為を象徴的に解釈し、グローバル資本への攻撃とみなすなら、秘書や用務員、食堂職員、事務員、警備員、
消防士らが殺されたという事実に、どう折り合いをつければいいのか。これが「アメリカ」への攻撃であったなら、
どうしてあれほど異なる国籍の人びと、あれほど多くのアメリカ風でない名前が、犠牲者のなかにいたのだろうか。
この建物がグローバル経済の中枢だったとしたら、どうして小企業の社員や解雇された労働者になったのか。ニューヨークが、
西洋の文化的退廃と性の乱れの象徴だとしたら、どうしてあれほど多くのごく普通の友人たち、家族、子供たちがあとに残されたのか。
(『テロルを考える』「グローバルな公共圏?」 スーザン・バック=モース 村山敏勝訳 みすず書房 P37)