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2007/04/21

消極的自由への批判

自由を干渉の不在-「私が自らのする選択を他者によって妨げられないこと」(I.バーリン)-
として定義する消極的自由の概念に対して提起されてきた批判を検討してきた。これらの批判によれば、この自由の概念は、(1)
選択肢を質的に区別し、その価値を比較する視点を欠いているという点、(2)
選択肢が行為者にとって現実的にアクセス可能なものであるかどうかを度外視する点、(3)
選択肢が行為者自身の内的な制約によって閉じられることを問題化しえないという点、(4)
意図的な干渉によらない構造的要因ゆえに生じている不自由や不作為によって放置されている不自由を自由の制約・
剥奪としてとらえることができないという点、(5)干渉が不在である場合にも支配が存在することを適切に批判しえないという点、(6)
他者との(間)ではじめて享受されうるような政治的自由をその概念から締めだしているという点において問題を含んでいる。「個人の・
行動に対する・外部からの・意図的な・干渉の不在」として自由が規定されるかぎり、膨大かつ深刻な不自由が許容されうることになる。


(「思考のフロンティア 自由」 齋藤純一 岩波書店)