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2010/02/27

バザン「写真画像の存在論」を一言で言えば

バザンの写真論的な意義は、基本的には「写真画像の存在論」に集約されていると言えるだろう。この短い論考は、写真のメディウム的な特性と写真の受容経験との密接な関係を論じるものであり、その意味で写真の根本的な問題を扱うものである。この論考は実際、直接的・間接的に、現代の多くの写真論の基礎となってきた。バザンの主張を一言で言えば、写真は人間の創造的干渉がない画像であり、その人間的なものを一切含まない機械的な再現画像であることに、またその機械的な形成過程を経ることで生じる客観性に、写真画像固有のリアリズムがある、ということになるだろう。

『青弓社「写真空間」No.3 第三章 「アンドレ・バザンからケンドール・ウォルトンへ 写真的リアリズムの系譜」内野博子』

2007/02/21

シュルレアリスムと写真

シュルレアリストの闘士たちの誤ちは、超現実的なものをなにか普遍的なもの、つまり心理学の問題と想像することにあった。
ところがそれはもっとも地域的で人種特有の、階級にしばられ、日付の付いたものであることがわかるのだ。
こうして一番初期の超現実写真は1850年代のものである。


当時写真家たちは初めてロンドン、パリ、ニューヨークの街をうろつきまわり、その素顔の生活の切片を探したのである。
これらの具体的で、独特で、逸話のある(ただしその逸話は抹消されているが)写真-失われた時、なくなった習慣の瞬間-は、重ね焼き、
押え気味(アンダー)のプリント、ソラリゼーションなどによって抽象的で詩的にされたどんな写真よりも、
いまの私たちにははるかに超現実的に見える。シュルレアリストたちは彼らが探求する映像は無意識に由来するものと考えており、
その無意識の内容は忠実なフロイト信奉者と同様普遍的だけでなく永遠のものと想起していたが、
そのために彼らはもっとも荒あらしく心を動かすもの、不合理で同化しにくく神秘的なもの-時間そのものを誤解したのである。
写真を超現実的にならしめるものは、過去からのメッセージとしてのそのあらがしたい哀愁と、社会の階級に関する暗示の具体性である。


シュルレアリスムはブルジョアの不満である。その闘士たちがそれを普遍的なものと考えたということは、
それが典型的にブルジョアである微候のひとつにすぎない。政治学を憧れる美学としては、シュルレアリスムは犠牲者を、
非体制あるいは非公認の現実の諸権利を撰ぶ。しかしシュルレアリストの美学がおだてるスキャンダルは、一般にはブルジョアの社会秩序-
性と貧困によって覆い隠された、あのありふれた秘密にすぎないことがわかった。
初期のシュルレアリストが復権を計ったタブーの現実の頂点に位置づけたエロスは、それ自体社会の階級の秘密の一部であった。
それは計りの両端で繁茂しているように見えながらも、下層階級と貴族階級は生来ともに放蕩者とみなされていたから、
中流階級の人たちが自分たちの性革命をおこなうためにあくせくしなければならなかった。階級はもっとも深い秘密-
金持ちと権力者の尽きない魅力である一方、貧乏人と浮浪者の不透明な堕落なのである。


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)



2007/02/16

楽園への歩み、写真展「人間家族」

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「この写真は、ユージン・スミスが第二次世界大戦で負傷した後の新しい生活を象徴したもの、
闇のなかから光あふれる世界へと踏み出そうとする彼の内面性を表すものとして位置づけあれている。「楽園への歩み」は、
1955年にニューヨーク近代美術館で開催されそのご世界各地を巡回した写真展「人間家族」展にも出品された。この写真展では、人生の旅-
世界中の人々が同じように生まれ、成長し、学び、働き、対立や問題を乗り越えて生きていくこと-が、
世界中の写真家が撮影した写真のシークエンスと言葉によって表されていた。「楽園への歩み」は会場の出口付近に展示され、
幼い子どもの後ろ姿は、世界中の人たちに向けられた希望のメッセージ - 暗闇のなかから光の方へ、
すなわち戦争という暗い過去から明るい未来へと歩んでいこうというメッセージ - が込められていた。ユージン・
スミスが父親として撮影した幼い子どもたちのスナップショットは、「楽園への歩み」
という題名の作品として発表されたり展覧会のなかに位置づけられることによって、特定の子どもを捉えたものとしてだけでなく、
彼の心情や希望や未来という抽象的な概念を表象するような図像として読み取られるようにもなったのである。」


(「写真を<読む>視点」 小林美香 青弓社)


「ホイットマン流の国家のエロチックな抱擁の最後の溜息は、それを普遍化して一切の要求を剥ぎ取った形ではあるが、
スティーグリッツの同時代人で、フォト=セセッションの共同設立者であったエドワード・スタイケンが1955年に組織した写真展、
「人間の家族」の中で聞かれた。68ヶ国、273人の写真家の503枚の写真は一点に集中し、人類は「一つ」であり、
人間は欠点もあれば卑劣でもあるが、やはりいいやつだということを証明することになっていた。写真にはあらゆる人種、年齢、階級、
体型の人びとが写っていた。多くはとりわけ美しい肉体をしており、あるものは美しい顔をしていた。
ホイットマンが彼の詩の読者に彼とアメリカに同化するように迫ったように、スタイケンは個々の観客が描写されている多数の人間と、
そしてできることならどの写真の主題とも、つまり世界の写真術の市民全員とも同化が可能になるようにその展覧会を構成したのである。」


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)



2007/02/15

アーバスの写真の主題

アーバスは最も厳密な意味で、「個性派作家」なので、近代ヨーロッパ絵画史では半世紀間瓶の静物ばかり描き続けたジョルジォ・
モランディがやはりそうだが、写真史では異例のことである。
彼女はたいがいの意欲的な写真家のように手広く題材を扱うということはいささかもしなかった。それとは反対に、
彼女の主題はすべて等価である。そして奇型人、狂人、郊外に住む夫婦、ヌーディストたちを平等に扱うということは強力な判断であり、
教育あるリベラル左派のアメリカ人の多くに共通に認められるある政治的気分と共犯関係にある。
アーバスの写真の被写体は全部同じ家族の構成員で、ただひとつの村の住民なのである。ただ、あいにく白痴の村がアメリカなのである。
異なるものの間の同一性(ホイットマンの民主的展望)を示すかわりに、だれもが同じに見えるように示されている。


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)



「明るい部屋の謎」 日本語版序文 写真を撮る幸福

シャッター・ボタンを押すという動作にとって、瞬間を停止させたいという欲望は本質的なものである。しかしこの動作の意味は、
世界の絶えざる運動が私たち一人一人に否応なく惹き起こす並外れたフラストレーションと切り離して考えることはできない。私たちは実際、
新しい経験によって惹き起こされるさまざまな感覚、情動、身体状態を(充分に)「展開させる(デヴロベ)」時間を欠いていることが多い。
あらゆることがかくも早くも過ぎ去っていく。しかも楽しい瞬間こそがまず最初に! それゆえ、私たちが写真を撮るのは、
過ぎ去っていく瞬間に「防腐処理」を施すためでも、それを「凍結させる」ためでもない。むしろ逆なのだ! (カメラという)
箱に映像を閉じ込める私たちがなによりもまず望んでいるのは、撮影の瞬間に感じられたさまざまな感覚、情動、身体状態-だが、
あまりにも速く別の感覚、情動、身体状態によって追い払われてしまう-を、のちに再び見出したいということなのである。写真を撮るとは、
たしかに「閉じ込める」ことではある。しかしそこには、あとで「展開=現像する」という意図が伴っている。映像を眺め、
それについて語ることによって、私たちは、自分たちがあまりにも性急に生きた出来事の記憶を呼び起こし、
そうして自分のリズムでその出来事を消化=同化することができるようになる。幸福は、
ゆっくりと噛みしめることでいっそう味わい深いものになる。そして私たちが写真を撮るのは、しばしば、
のちにそのような幸福を得ようと期待してそうするのである。写真を撮るとは、まずもって、
時間があまりにも急速に流れ去っていくことに対する抵抗の行為なのである。


もちろん、その大部分は、錯覚にすぎない。時間は停止することもなければ戻ってくることもない。しかしこの錯覚は、
社会的な関係を創り出してくれる。私たちは、写真が現像されてくると、それを眺め、それを人に見せ、それについて語るからである。その瞬間、
私たちが過去において一度放り捨てた生が、再び力を取り戻してくるように見えてくる。このように、対立しあう二つの傾向性-
それは生において対立しあう二つの傾向性でもある-がつねに一緒になって写真を撮る欲望を煽りたてている。実生活の場合、私たちは、
一方では目新しい事象をできるだけ多く経験したいと望むため、そうした事象の一部は自分たちの内奥に閉じ込め、
あとでじっくりそれを検討しようと考える。

しかし同時に私たちは、新しい経験に制限を加え、それによって自分たちがすでに行ったことを消化なく、
写真を撮る動作においても絶えず競合しあう。これら二つの態度こそが、写真を撮るという動作に私たちを向かわせるのであり、
その動作はつねに、より多くの事象を-のちにそれを現像=展開したいという欲望との中間に置かれるのである。写真を撮ることは、
必ずしもつねに、死体に防腐処理を施すことに似ているわけではない。ときにそれは、
将来花が開くことを期待しながら種を播くことにも似ているのである。


とはいえ、幸福と昂揚のなかで捕らえられた映像が、現像されてきたとき、期待したような成功を収めていることは稀である。
私たちを魅了した風景や身体の前に立って、私たちはその映像を定着することでのちにその感覚に再び辿りつこうと望んでいた。
しかしプリントされてきた写真に直面すると、そのような感覚へと私たちを導いてくれる道は、
すでに取返しようもなく失われてしまっているように見える。現像されてきた映像をはじめて見るときの経験は、したがって、
もし私たちが誰かにどんな夢を見たかを伝え、
次にその人にその夢を逆に自分に語り直してほしいと頼んだとすれば起こるであろうようなことにどこか似ている。その人が、
私たちに語ったこととまったく違うことを言い出すであろうことは、まず間違いない! 写真のプリントをはじめて眼にするときにも、
同じ失望感が生じることが多い。私たちはそこに、シャッター・ボタンを押すときに感じていたものをほとんど何も見出すことがないのである。
失望した私たちは、新たなテクノロジーのうちに、次にもっと上手く成功する可能性を探ろうとするかもしれない。
カメラの売上が高性能化によって大きく伸びることになるのは、こうしたフラストレーションが底にあるからである。しかし、
自分の夢を語った相手とのあいだに豊かな交流が築き上げられることがあるように、
カメラと私たちとのあいだにも真の対話が根を下ろすことがある。(現像されてきて)
はじめて眼にした写真と期待していた写真とのあいだの隔たりは、そのとき、新しい世界像を得るための出発点になってくれるのだ。
たしかに期待と現実とはつねに食い違うものである。しかし、世界はそれ自体、
私たちが想像しているものとつねに食い違っているのでないだろうか?私たちが撮った写真をあるがままに受け容れること、それは、
世界に付き添う行為となる。そのとき写真を撮ることは、まるで、花々を摘み集めることに似たものになる。そうした行為を私たちは、
この世界の美しさに讃辞を捧げるという幸福のためにだけ行うのである。


(「明るい部屋の謎」 セルジュ・ティスロン 小山勝訳)



2007/02/13

60年代のアメリカの状況

アーバスが真剣に仕事をした10年は60年代、すなわち奇型人が公然と認知され、
芸術の安全で承認された主題となった10年と符合する。


(中略)


60年代の初めにはコニーアイランドで繁盛していた「奇型人ショー」が禁止された。圧迫はさらに進んで、
女装の女王や売春婦のたむろするタイムズ・スクエアの芝生を徹底的に破壊して摩天楼で覆ってしまう。
逸脱した下層社会の住民は彼ら専用の区域から立ち退かされ-見苦しい、公的不法妨害である、猥褻である、
あるいはたんに利益にならないとして禁じられると、彼らはますます芸術の主題として意識に浸透するようになり、ある広い合法性と、
いよいよもって距離を生むことになる比喩的な近接を獲得する。


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)


現代のセオリーでは、「奇型人」の言葉は死語であり、「異常」は「正常」を導くために作り出されたものであり、両者に境界線というか、
差などどこにも存在しない。驚くのは、そのセオリーが「写真論」出版時の30年ほど前に存在しなかったということであり、
それをいみじくもスーザン・ソンタグのアーバスを巡る評論で証明されている。

ただ、スーザン・ソンタグは「奇型人」のことを書こうと思ったわけではなく、あくまでアーバスが活躍した当時の状況説明を行うために、
これらの言葉を使っている。それにしても、現代に住む僕としては、ただ引用するだけにおいても、これらの言葉を使うことに強く抵抗感を持つ。
(Amehare)



アーバスの現実感覚の獲得法はカメラ

「子供のころの悩みのひとつは、わたしが一度も逆境というものを味わったことがないということでした。
わたしは非現実感のとりこになっていたのです。(・・・・・・)そして自分は免除されているという感覚が、滑稽に思えるかもしれないが、
苦痛でした」。ウェストも同じ様な不満を感じて、1927年マンハッタンの安ホテルで夜勤事務員の職についた。
アーバスの体験と現実感覚の獲得法はカメラであった。ここでいう体験とは、物質的な逆境ではないにしても、少なくとも心理的な逆境-
美化することのできない経験をすることのショック、タブーとなっている倒錯や悪との遭遇であった。


アーバスの奇形人に対する関心は自分の無垢を犯したい。自分が恵まれているという感覚を掘り崩したい。
自分が安全であることに対する苛立ちに吐け口を与えたい。そういう願望を表わしている。


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)


ウェスト:ナサニエル・ウェスト、写真家、アーバスと同様の写真対象を撮った。



2007/02/12

写真は行きたいところに行き、したいことをするための免許でした

「写真は行きたいところに行き、したいことをするための免許でした」とアーバスは書いた。カメラは道徳の壁や社会的禁忌を取り払い、
写真家の撮影した人びとに対する一切の責任を免除する一種のパスポートである。人間を撮影することの眼目はすべて、
あなたは人間の生活に介入しているのではなく、ただ訪問しているのだということにかかっている。写真家は並はずれた旅行家であり、
考古学者の延長であって、原住民を訪れ、彼らの風変わりな行いや珍しい道具のニュースをもち帰る。写真家はいつも新しい経験を植え付けたり、
見慣れた被写体を新しい眼で見ようとする。退屈と闘おうとしているのである。退屈は魅惑の裏返しであって、
ともにある状況の内側よりも外側に依存しており、一方は他方へ通じている。「中国人は退屈を抜けると魅力に通じるという理論を持っています」
とアーバスは記している。ぞっとするような下層社会(とうらわびしいにせの上層社会)を撮影しながらも、
彼女はそういう世界の住民たちが経験する恐怖の中に分け入る気持ちはなかった。彼らは風変わりなまま、したがって「ぞっとする」
ままでいることになる。彼女はいつも外側からものを見る。


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)



カメラの視線

「写真は憐憫の情を場違いなものに感じさせる。動転しないこと、恐ろしいものを冷静に直視できることが主眼なのである。しかし
(主として)同情心のないこの視線は特殊な、近代の倫理の構成物であって、不人情というのでなく、ましてや皮肉などではなく、ただ単純に
(あるいはまちがって)無邪気なのである。その痛ましい、悪夢のような現実に対してアーバスは「ぞっとする」「おもしろい」「信じられない」
「すばらしい」「きわものの」といった形容詞を当てたが、それは俗なあたまの子供っぽい驚きである。
写真家の探求についての彼女のわざと無邪気なイメージによれば、カメラはそれを一切とらえ、
被写体に自分たちの秘密を打ち明けるように誘惑し、経験を拡げる装置である。アーバスによれば、人間を撮影することは当然ながら「残酷」で
「卑劣」なことである。大事なことは、見て見ぬ振りをしないことだ。」


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)



2007/02/10

不愉快なものの敷居を低くする芸術

「アーバスの作品は資本主義国での高級な芸術のひとつの指導的な傾向、つまり道徳的・感傷的な吐き気を抑える、
あるいは少なくとも減少させる傾向の好例である。近代芸術の多くは不愉快なものの敷居を低くすることに熱心である。
あまりにショッキングだったり、痛ましかったり、当惑させたりで、以前は見聞きするに耐えなかったものに私たちを慣らすことによって、
芸術は道徳-情緒や自然感情からいって、我慢できるものとできないものの間にあいまいな線を引く、あの精神の習慣と公衆の是認という代物-
を変えるのである。次第に吐き気を抑圧することによって、私たちはいくぶん公式的な真理-
芸術と道徳が構築したタブーは気まぐれなものだという真理に近づけられる。しかし、映像(映画と写真)
と印刷で増大する一方のこのグロテスクはものを、私たちが消化する能力をもつことは途方もなく高いものにつくのである。
結局それは自我の解放ではなく、自我からの控除、つまり恐ろしいものへのいいかげんな慣れが疎外を助長し、
現実生活に反応しにくくさせるのである。今日のテレビの暴力シーンや近所のポルノ映画を初めて見せられた人びとに起こる感情は、
アーバスの写真を初めて見たときに起こる感情とそう違ってはいない。」


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)



肝試しの芸術

「アーバスの写真を見ることが文句なく試練であるかぎりは、それらの写真はちょうどいま、
洗練された都会人の間で人気のある芸術の典型的な種類、自ら志願した肝試しであるところの芸術なのである。彼女の写真は、
人生の恐怖は吐き気を催さずに対面できるのだということを実証する機会を提供している。この写真家は一度は自分に向かって、よし、
引き受けた、といわなければならなかった。写真を見る人にも同じように請け負うことを求めている」


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)



2007/02/09

スーザン・ソンタグ「写真論」 プラトンの洞窟で


  •  人類はあいもかわらずプラトンの洞窟でぐずぐずしており、昔ながらの習慣で、
    ひたすら真理の幻影を楽しんでいる

  • この飽くことを知らない写真の眼が、洞窟としての私たちの世界における幽閉の境界を変えている。
    写真は私たちに新しい視覚記号を教えることによって、なにを見たらよいのか、なにを目撃する権利があるのかについての観念を変えたり、
    広げたりしている。

    写真は一つの文法であり、さらに大事なことは、見ることの倫理であるということだ。そして最後に、写真の企画のもっとも雄大な成果は、
    私たちが全世界を映像のアンソロジーとして頭の中に入れられるという感覚をもつようになったということである。

  • ゴダール「カラピニエ」(1963)

  • クリス・マイケル 映画「ひとこぶらくだが四頭あれば」(1966)

  • 写真は証拠になる。

  • 1871年6月、パリコミューン支持者の残虐な検挙の際にパリ警察が写真を利用したのに始まって、
    写真は近代国家がそのますます流動的になっていく人口を監視・統御するための有用な道具になった。

  • 写真のもうひとつの利用法に記録写真による正当化がある。一枚の写真はある事件が起こったことのゆるがぬ証拠となる。
    写真は事実を歪めているかもしれない。しかし何か写真にあるようなものが存在する、あるいは存在した、という推定はつねにあるのである。

  • アレフレッド・スティーグリッツやポール・ストランドのような崇高なる大家にしても、まずなによりも「そこにある」
    ものを写して見せたいのであって、その点では写真は手っ取り早い筆記の形式と考えるポラロイド・カメラの持主や、
    ブローニー判カメラで日常生活のスナップを思い出のためにぱちぱち撮る写真狂いと変わらないのである。

  • 絵画や散文で描いたものは取捨選択した解釈以外のものではありえないが、写真は取捨選択した透かし絵として扱うことができる。

  • およそ写真に権威と興味と魅力を与えるものは真実らしさであると仮定してみても、
    写真家のやる仕事は芸術と真実の間でおこなわれる、えてしてあいまいなやりとりの、特別例外というわけではない。
    写真家が現実を鏡に写すことに心を奪われているときでさえ、やはり趣味や良心が命ずる無言の声につきまとわれている。

  • 写真をどう写すか、どの露出を選ぶかを決めるにあたって、写真家はつねに自分の主題に対していろいろな基準をはめている。
    カメラは実際に現実をとらえるのであって、それをただ解釈するのではないという意味もあるが、
    写真は絵画やデッサンと同じように世界についてのひとつの解釈なのである。

  • 写真の撮影が比較的対象を撰ばぬ無差別的なものだったり、自分が表に出ない場合でも、
    計画全体の教訓的傾向が減るというわけではない。写真の記録がもつこの受動性-それと偏在性-こそが、写真の「メッセージ」であり、
    攻撃性である。

  • カメラを使うときはどんな場合でもある種の攻撃性が内在しているものだ。

  • 技術の進歩によって、
    世界を一組の潜在的な写真と見る思考性がますます広がったその後の何十年間にもわたってもそういえる

  • 写真を撮ることの主眼は画家の狙いから大きく逸脱するものであった

  • 写真家は当初からできるだけ多数の主題をとらえることを含みにしたが、絵画はそれほど壮大な視野をもつことがなかった。

  • カメラ製作技術の産業化の結果は、写真術がそもそもの始まりから受け継いできた約束、
    つまりあらゆる経験を映像に翻訳することによって民主化するという約束の実現にほかならなかったのである

  • 写真はその産業化をまって、初めて芸術としての地位を得るようになった

  • 産業化の結果、写真家の動きに社会的効用が生まれたが、そういった効用に対する反動が、
    芸術としての写真の自己意識をよび覚ますことにもなった

  • 最近では写真はセックスやダンスと同じくらいありふれた娯楽になった。そのことは、大衆芸術というものはどれもそうだが、
    写真が大部分の人にとって芸術ではなくなったことを意味している。それは主として社交的な儀礼であり、不安に対する防御であり、
    また権力の道具なのである

  • カメラは家庭生活とともにある

  • どこの家でも肖像写真による年代記-一家をめぐっての証言となる一冊の写真帖がつくられる。
    どういう活動が写っているかは問題ではなく、写真が大事にされていればいいのである

  • ちょうどヨーロッパとアメリカの工業国で、家族制度そのものが根本から揺らぎはじめたときに、
    写真が家族生活のひとつの儀式になったのである。
    あの密室恐怖症的な単位である核家族が大家族集合体から刻み出されたところへ写真がやってきて、ぎくしゃくした家庭生活や、
    薄れていく親戚付き合いを記念写真に撮って、あらためて象徴的に明示したのである。そういった亡霊の痕跡である写真は、
    散らばった縁者の存在の証拠となっている。

  • 写真はいまは現実味のない過去を、想像の中で人びとに所有されるが、それはまた定かでない空間を人びとに所有させる役にも立つ。
    こうして写真は現代人の活動のなかでももっとも特徴のある観光にともなって発達する

  • 当然ながら、カメラをもたない観光旅行は不自然に思われる。写真はその旅行がおこなわれ、予定どおりに運び、
    楽しかったことの文句のない証拠になる

  • 写真撮影は経験の証明の道ではあるが、また経験を拒否する道でもある。写真になるものを探して経験を狭めたり、
    経験を映像や記念品に置き換えてしまうからである

  • 旅行は写真を蓄積するための戦略となる。写真を撮るだけでも心が慰み、
    旅行のためにとかく心細くなりがちな気分を和らげてくれる。観光客は自分と、
    自分が出会う珍しいものの間にカメラを置かざるをえないような気持ちになるものだ。どう反応してよいかわからず、彼らは写真を撮る。

  • おかげで経験に格好がつく。立ち止まり、写真を撮り、先へ進む。
    この方法はがむしゃらな労働の美徳に冒された国民であるドイツ人と日本人とアメリカ人にはとりわけ具合がよい。
    ふだんあくせく働いている人たちが休日で遊んでいるはずなのに、働いていないとどうも不安であるというのも、
    カメラを使えば落ち着くのである。彼らにはいまや労働を優しく模倣したような手仕事ができた-彼らは写真を撮ればよい

  • ライカの広告

    「・・・・・・プラハ・・・・・・ウッドストック・・・・・・ヴェトナム・・・・・・サッポロ・・・・・・ロンドンデリー・・・・・・
    ライカ」

  • 一枚の写真はたんに写真家がひとつの事件に遭遇した結果なのではない。写真を撮ること自体がひとつの事件であり、
    しかもつねに起こっていることに干渉したり、侵したり、無視したりする絶対的権利をもったものなのである

  • 私たちの状況感覚そのものが、今日ではカメラの介入によって明瞭になっている。カメラの偏在は時間が興味ある事件、
    つまり写真を撮るに値する事件からなっているということの、説得力ある示唆となっている。

  • どんな事件もひとたび動き出せば、その倫理性がどんなものであれ、その完結を持つべきであり、その結果なにかべつのもの、
    つまり写真が、この世にもたされるというふうに思いやすくなるのである。事件が終わったあともその写真は存続し。
    その事件にそうでもなければえられなかったような一種の不滅性(と重要性)を付与するのである。ほんものの人間がそこにいて自殺したり、
    べつのほんものの人間を殺したりしている間に、写真家は自分のカメラをうしろにいて、もうひとつの世界-
    私たちみんなよりも長生きすると宣言している映像世界-の小片をつくっているのだ。

  • 写真撮影は本質的に不介入の行為である

  • 写真家が写真と生命のどちらを選択するかというときに、
    写真の方を選択することが認められるようになったのだという感慨に根ざしている。介入する人間は記録することができない。
    記録している人間は介入することはできない。

  • ジガ・ヴェルトフ 映画「カメラを持つ男」(1929) 革命後ロシア

  • ヒッチコック 映画「裏窓」(1954) アメリカ

  • 身体的な意味での介入とは相容れないにしても、カメラを使うことはやはり参加のひとつの形式である

  • カメラは一種の監視所であるにしても、写真を撮る行為は消極的な監視以上のものである。性的な覗き見趣味と同じ事で、
    それは少なくとも暗黙のうちで、またしばしばあからさまに、
    進行中のものはなんであろうとそのまま起こり続けるように奨励する方法である。

  • アントニオーニ 映画「欲望」(1966)

  • マイケル・パウエル 映画「血を吸うカメラ」(1960)

  • それでいてやはり、写真を撮る行為にはなにか略奪的なものがある。人びとを撮影するということは、
    彼らを自分では決して見ることがないふうに見ることによって、
    また自分では決して持つことができない知識を彼らについてもつことによって、彼らを犯すことである。

  • それは人びとを、象徴的に所有できるような対象物に変えてしまう。ちょうどカメラが銃の昇華であるのと同じで、
    だれかを撮影することは昇華された殺人、悲し気でおびえた時代にふさわしい、ソフトな殺人なのである

  • 人びとが弾丸からフィルムに切り替えることによって見られる状況のひとつに、
    東アフリカでは写真のサファリが銃のサファリに取って代わりつつあるということがある

  • サミュエル・バトラー 「どこの藪にも写真家がいて、ライオンのように喉を鳴らして獲物を探し回っている」

  • 私たちは恐ろしいと思えば銃を撃ち、懐かしいと思えば写真を撮る

  • いまはまさに郷愁の時代であり、写真はすすんで郷愁をかきたてる。写真術は挽歌の芸術、たそがれの芸術なのである。

  • 写真に撮られたものはたいがい、写真に撮られたということで哀愁を帯びる

  • 美しい被写体も年をとり、朽ちて、いまは存在しないがために、哀愁の対象となるのである

  • 写真はすべて死を連想させるものである。写真を撮ることは他人の(あるいは物の)死の運命、
    はかなさや無常に参入するということである。まさにこの瞬間を薄切りにして凍らせることによって、
    すべての写真は時間の容赦のない溶解を証言しているのである

  • カメラは人間の風景がめまぐるしいほどの変化をこうむりはじめた時点で、世界の写しを作りにかかった。数知れぬ生物的、
    社会的生活形式が短期間に破壊されている一方で、ひとつの装置が消えていくものを記録するのに役立っている

  • 写真は偽りの現在でもあり、不在の徴しでもある。暖炉の薪の焔のように、写真、とりわけ人物や遠い風景、はるかな都市、
    失われた過去の写真は空想を誘う。写真によって喚び覚まされた、手の届かないものへの想いは、
    離れているためにますます望ましくなる人びとへの恋情をじかにかきたてる

  • ダイアン・アーバス 「わたしはいつも、写真はやくざなものだと思っていました。
    それがまたわたしが好きなところのひとつでした。それではじめて写真を撮ったときは、自分がひどく倒錯しているような気がしたものです」

  • 欲望には歴史がない-少なくともそれは個々の事例において、すべてが前景の直接性として経験される。
    それは色々な原型によって喚び起こされ、そういう意味では抽象的である。しかし道徳感情の方は歴史にはめ込まれており、
    その登場人物は具体的で、その場面はいつも特定である。

  • どこか一般に知られていない地域での窮状を訴える一枚の写真は、それにふさわしい心情や態度の文脈がないと、
    世論に感銘を与えることはできない

  • 写真は道徳的立場を作り出すことはできないが、それを強化することはできるし、
    生まれ出ようとするものに力を貸すことはできる

  • 写真は時間の明快な薄片であって流れではないから、動く映像よりは記憶に留められるといえよう。
    テレビは選択度の低い映像の流れであって、つぎつぎと先行のものを取り消していく。スチール写真はそれぞれ、
    特権的な瞬間をきゃしゃな物体に変じたもので、人はそれを自分のものにして、もう一度眺めることができる

  • アメリカ人はたしかにヴェトナム人の苦難の写真に近づきはした。
    その事件は相当数の人たちから野蛮な植民地戦争と定義されていたので、
    ジャーナリストはそういった写真の入手努力を支持されていると感じたからである。朝鮮戦争は自由社会のソ連・
    中国に対する正当な闘争の一部として、ちがったふうに理解されていたので、そう性格づけをされれば、
    アメリカ軍の無制限火力の残虐性を示す写真も関係なかったであろう

  • ひとつの事件がまさしく撮影に値するものを意味するようになったとしても、
    その事件を構成するものがなんであるかを決定するのは、(もっとも広い意味で)やはりイデオロギーなのである

  • 事件そのものに名が付けられ、性格づけられるまでは、事件については写真であろうとなんであろうと、なんの証拠もありえない。
    そして事件を構成しえるもの-もっと正しくいえば、認定しえるものは決して証拠写真などではない。
    写真の寄与はいつも事件の命名のあとでおこなわれる。写真によって道徳的に影響される可能性の決め手は、
    それに関連した政治的意識があるかどうかということである

  • 写真はなにか目新しいものを見せているかぎりはショックを与える。不幸なことに、
    賭金はこういう恐怖の映像の増殖そのものからもだんだん釣り上がっていく。

  • 苦悩することがひとつ。苦悩の映像と暮らすことはまた別である。それは必ずしも良心や同情心を強めることにはならないし、
    それらを堕落させることもある。いったんこういう映像を見てしまうと、あとはつぎからつぎへと見る羽目になる。映像は立ちすくませ、
    麻酔をかける。写真を通して知った事件は、写真など見なかった場合よりはたしかに現実味を帯びる。しかし何度も映像にさらされると、
    それも現実味を失ってくる。

  • ポルノグラフィーに対すると同じ法則が悪に対しても通用する。初めてポルノ映画を観たときに覚える驚きと困惑も、
    あと数本も観れば薄れていくように、残虐な場面の写真が与えるショックも、繰り返し眺めているうちに薄れていくものである。

  • 我々を憤慨させたり悲しませたりするタブーの感覚も、
    猥褻なものの定義を規定するタブーの感覚にくらべてとくに根強いというわけではないのだ

  • この三十年の間に、「社会派」の写真は良心を目覚めさせもしたが、少なくも同じくらい、
    良心を麻痺させてもきたのである

  • 写真の倫理的内容はもろいものである。そういったナチ収容所のような恐怖の写真で、
    倫理上の参照基準の地位を獲得したものについて考えられる例外を除けば、たいていの写真は心情の電荷を維持してはいない。
    1900年の写真でその主題ゆえに影響力のあったものが、今日ではむしろ、
    それが1900年に撮られた写真であるがゆえに私たちを感動させるという次第であろう

  • 写真の特別な性質とか意図は、過去の時間の一般化された哀愁の中に呑みこまれてしまう傾向にある。美的距離というものは写真を、
    いますぐにではなくても、ならばいかにも時間の経過とともに、見るという経験そのものに組み込まれているようである。
    時間というものは結局はたいがいの写真を、およそ素人ふうのものであろうと、芸術と同列の高さにおくことになる

  • 写真の産業化の結果、写真は急速に現行の社会の合理的な-つまりは官僚的な-方法に吸収されていった。
    写真はもはや玩具の映像ではなく、環境の一般的な家具の一部、現実的と考えられる。現実へのあの還元的なアプローチの試金石であり、
    確認となったのである。写真は重要な管理制度、すなわち家族と警察の務めに、記号的物体と情報物件として組み入れられた。

  • 官僚主義と両立する「現実的な」世界観は、知識を技術と情報として再定義する。
    写真が重んじられるのは情報を提供するからである。

  • 文化史のなかでは、写真が提供する情報は、だれもがニュースとよばれるものをえる権利があるとかんがえられた時点で、
    大いに重要視されだすのである。写真はなかなか字を読もうとしない人たちに知識を与える方法と見なされるようになった

  • 写真映像をめぐって新しい感覚の情報の観念が構築されてきた。写真は時間だけでなく、空間の簿片でもある。
    写真映像に支配された世界では、境界(「フレーミング」)はすべて任意のものに思われる。

  • 要するに主題を違ったふうに切り取ることがかんじんなのである

  • 写真術は唯名論者が社会的現象を、見たところ無限にある小単位から成り立っていると考えるのに力を貸している。
    なににつけ撮影可能な写真の数は無制限だからである。写真を通じて世界は一連の無縁で自立した分子となり、過去・
    現在の歴史は一揃いの逸話と雑報となる

  • カメラは現実を原子的な、扱いやすい、不透明なものにする。それは相互連結や連続性を否定するが、
    各瞬間に神秘性を付与する世界観である。

  • どんな一枚の写真にも多様な意味が含まれている。

  • 写真映像の基本的な知識

    「そこに表面がある。さて、その向こうにはなにがあるのか、現実がこういうふうに見えるとすれば、
    その現実はどんなものであるはずかを考えよ、あるいは感じ直観せよ」

  • 自分ではなにも説明できない写真は、推論、思索、空想へのつきることのない誘いである

  • 写真の含意は、世界をカメラが記録するとおりに受け入れるのであれば、私たちは世界について知っているということである。
    ところがこれでは理解の正反対であって、理解は世界を見かけ通りに受け入れないことから出発するのである。
    理解の可能性はすべて否といえる能力にかかっている。厳密に言えば、ひとは写真から理解するものはなにもない。

  • もちろん、写真は現在と過去のわれわれの心的絵巻図の空白を埋めてくれる。

  • それでもカメラによる現実描写はつねに明かすよりも隠すものの方が多いに違いない。

  • あることがどう見えるかに基づいている恋愛感情とは対照的に、理解はそれがどう機能するかに基づいている。
    そして機能は時間の中でおこなわれ、時間の中で説明されなければならない。
    物語るものだけが私たちの理解を可能にしてくれるのである

  • 写真による世界の認識の限界は、それが良心を刺激しながらも、結局は倫理的あるいは政治的認識にはなりえないということである。

  • スチール写真を通して得た知識は皮肉なものであろうとヒューマニストのものであろうと、つねにある種の感傷主義となるものだ。
    それは割引の知識-見せかけの知識、見せかけの智慧となる。写真を撮ると言う行為が私物化のまねごと、強姦のまねごとなのであるから。

  • 写真では仮定としては理解できるものが黙しているというそのことが、その魅力でもあり挑発的なところでもある。
    写真の偏在は私たちの倫理的な感受性にはかり知れない影響を与えている。

  • 写真はこの既に雑多な世界に複写の映像を一枚提供することによって、
    世界は実際以上に利用できるものだという感じをわれわれに与えるのである

  • 写真によって現実を確認し、経験を強めてもらう必要があるということは、
    いまやだれもがその中毒にかかっている美的消費者中心主義である。産業社会は市民を映像麻薬常用者に変えている。
    それはもっとも抵抗しがたい形の精神公害である

  • 美に対する、表面化を探るのをやめることに対する、世界の身体の瀆罪と祝福に対する、痛切な憧れ-
    こういった恋慕の情の要素はみな、私たちが写真に抱く喜びの中に認められる。

  • しかしほかの、それほど開放的でない感情も同じく表現されている。撮影したい、
    経験そのものを見る方法に転じたいという衝動をもった人たちについて話すことは間違っていないだろう。

  • けっきょく、ある経験をもつということは、その写真を撮ることと同じになっており、公の行事に参加するということは、
    写真の形でそれを見ることとますます等価になっている

  • マラルメ

    「世界のあらゆるものは本になるために存在する。今日、あらゆるものは写真になるために存在している」



苦痛を求めること

「こうして結局、アーバスの写真で一番心を乱されるのはその被写体ではさらさらなく、その写真家の意識が累積していく印象、つまり提示されているものはまさに個人的な視像、なにか任意のものという感覚なのである。アーバスは自己の内面を探求して彼女自身の苦痛を語る詩人ではなく、大胆に世界に乗り出して痛ましい映像を「収集する」写真家であった。
そしてただ感じたというより調査した苦痛については、およそはっきりとした説明などないものだ。ライヒによれば、マゾヒストの苦痛の趣味は苦痛を愛することからくるのではなく、苦痛によって強烈な感覚を手に入れたいという期待からくるという。
情緒とか感覚の不感症を患った人たちは、ただなにも感じないよりは苦痛でも感じた方がいいのである。しかし人びとがなぜ苦痛を求めるかについては、ライヒとは正反対のもうひとつの説明があって、それもぴったりくるように思える。つまり彼らはもっと感じるためではなく、もっと感じないために苦痛を求めるというのである。」

(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)

ライヒ:ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich、1897年3月24日-1957年11月3日) 、オーストリア・ハンガリー帝国ガリチアレンベルク近郊ホロドク西部ドブリャヌィ出身の精神分析家。(amehare)

アーバスの自殺

「アーバスはおそらく、異形人たちと親しく交わることの魅力、偽善、不快を至極単純に考えていたのだろう。
発見して大いにもえたあとには彼らの信頼をかちえたこと、彼らを恐れなかったこと、嫌悪感を乗り越えたことの震えるような喜びがあった。
異形人の写真を撮ることは 「わたしにはぞくぞくするような興奮でした。わたしはただもううっとりしていました」
 とアーバスは説明している。


ダイアン・アーバスが1971年に自殺したときは、写真関係者の間では彼女の写真はすでに有名になっていた。しかし、シルヴィア・
プラスの場合と同じく、彼女の作品が彼女の死後集めた注目はまた別種のもので、一種の神格化であった。彼女の自殺の事実が、
彼女の写真は誠実なものであって覗き趣味ではなく、またいたわりのあるものであって冷たいものではないことを保証しているように見える。
彼女の自殺はまた、その写真が彼女にとって危険なものであったことを証明するかのように、その写真を一層恐ろしいものにしているようだ。


彼女は自分でもその可能性をほのめかしていた。 「なにもかもがそれはすばらしく、息を呑むようです。
わたしは戦争映画でやっているように、腹這いになって進んでいるんです」。

写真はふつうは遠くから神の視点で眺めるが、ひとが写真を撮ることで殺される状況がひとつある。
人びとが互いに殺し合っているのを撮影するときである。戦争写真だけが覗き趣味と危険を結びつける。
戦争写真家は彼らが記録する死の活動に参加しないわけにはいかない。彼らは階級章はつけないが、軍服さえ着用する。人生は 
「ほんとうにメロドラマ」 だということを(撮影を通じて)発見すること、カメラを攻撃の武器として理解することは、
人的損害もあるということを意味する。 「もちろん限界はあります。部隊がこちらに向かって進撃開始しようものなら、
それこそあの絶体絶命の感じに近づきます」 と彼女は書いた。アーバスの回想の言葉は一種の戦死について述べている・・・・・・
ある限界を超えたところで、彼女は自分の誠実さと好奇心の損傷という精神的待ち伏せに会ったのである。」


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)



ポートレートの文法

「肖像写真のふつうの文法では、カメラの方を向くことは荘重、率直、モデルの本質の暴露を意味する。正面向きが記念写真
(結婚式や卒業式)にはふさわしいが、選挙の立候補者の広告のために掲示板に貼る写真にはそれほど適さない理由はそのためである。
(政治家の場合は半横向きの眼差しの方がふつうで、それは対決するというよりも舞い上がり、見る人や現在との関係ではなく、
未来とのもっと高遠な抽象的関係を暗示する眼差しである)。アーバスが正面向きのポーズを使うことがそれほど注意を惹くのは、
彼女の被写体が往々にして、そう愛想よく器用にカメラに身を委せるとは思えないような人たちだからである。そういうわけで、
アーバスの写真では正面向きはもっともいきいきした形で、被写体の協力をも意味しているのである。
こういう人たちにポーズをとらせるためには、写真家は彼らの信頼をかちえなければならなかったし、彼らと「友だち」
にならなければならなかった。」


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳)



2007/02/08

アーバスの写真の神秘な部分

「アーバスの写真の神秘の大きな部分は、彼女の被写体になった人たちが、
写真が撮られることを承知したあとでどう感じただろうかといろいろ思わせるところにある。彼らは「あんな」
ふうに自分を見ているのだろうかと写真を見た人は思う。自分たちがどんなにグロテスクだか知っているのだろうか。
まるで知らないように見える。


アーバスの写真の主題はヘーゲルの立派なレッテルを借りれば、「不幸な意識」である。しかし、
アーバスの大人形芝居の大部分の道化師たちは、自分が醜いことを知らないように見える。
アーバスは人びとが自分たちの苦痛や醜さをいろいろな程度に意識しなかったり気づかないでいるところで写真を撮っている。
このために当然ながら、彼女が撮影しようと引き寄せられる恐怖の種類には限界がある。それは事故や戦争や飢饉や政治的圧迫の犠牲者のように、
おそらく自分で苦しんでいることを知っているような苦悩者を除外することになる。
アーバスは生活に割り込む事故や事件は決して写真に撮らなかっただろう。彼女はじわじわとくる故人の災難を撮るのを専門にしていた。
その大部分は被写体が生まれたときから進行していたのである。」


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)



アーバスの写真の説得力

「アーバスの写真の説得力はその引き裂くような被写体と、落ち着いた、ありのままを注視する態度との間の対照からきている。
この注意力の質-写真家が払う注意力と被写体が撮影される行為に対して払う注意力-
がアーバスの真直ぐ見すえて思いに耽るポートレート群の道徳劇をつくり出している。写真家は変り者や宿無しを探して盗み撮りするどころか、
彼らを知り、自信を取り戻させなければならなかった。そうやってみなは、ヴィクトリア時代のどこかの名士がスタジオに坐ってジュリア・
マーガレット・キャメロンにポートレートを撮ってもらうといった具合に彼女のために落ち着いたり緊張したりしてポーズをとったのである。」


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)



アーバスの感受性

「アーバスは自分でも認めているとおり、「変った」人しか撮ることに興味がなくて、材料は自分の家の近くにふんだんに見つかった。


(中略)


そこにはいつも変らぬ日常生活があって、目を向けて見れば、奇人・変人にこと欠かなかった。カメラは、
いわゆる正常な人たちを異常に見えるようにとらえる力がある。写真家は奇人を撰び、それを追い、構成し、現像し、題名をつける。


「通りでだれかを見かけるとします。その際眼につくのは本質的に欠点なのです」とアーバスは書いている。アーバスの作品が、
原型となる被写体からどれほど広がっても際立って似ていることは、カメラによって武装した彼女の感受性がどんな被写体にも、
苦悩や変態性や精神の病いをほのめかすことができることを示している。赤ん坊が泣いている二枚の写真がある。
赤ん坊たちは心乱れて狂わんばかりに見える。だれかほかのものに似ているとかどこか通じるものがあるということが、
アーバス特有の突き放した見方の基準に従って、くり返し起こる不気味さの源なのである。」


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)



アーバスの無邪気さ

「彼女の作品は、嫌悪感も与えるが哀れな痛ましい人たちを見せる。だからといって同情心をかきたてることはいささかもない。
彼女の写真の突き放した視点についてはもっと正確な言い方もあろうが、そのために率直さと、
被写体への感傷を交えない感情移入を称揚されてきたのである。
実際は彼女の写真の一般人への攻撃であるものが道徳的な完成として扱われてきた。つまり、
彼女の写真は見る者が被写体から疎遠でいることを許さないということである。もっと穏当な言い方をすれば、
アーバスの写真はぞっとするようなものを受け入れることによって、内気な一方で悪でもある無邪気さを暗示している。それは距離と特権と、
見てくれといわれているものが実は「他人」であるという感じに基づいているからである。」


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)



理想化された映像

「写真術が始まって何十年間かは、写真は理想化された映像ということになっていた。
これはいまだに大方のアマチュア写真家の目標であって、彼らにとっては美しい写真とは女や夕日のような、
なにか美しいものの写真のことなのである」


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)