アーバスが真剣に仕事をした10年は60年代、すなわち奇型人が公然と認知され、
芸術の安全で承認された主題となった10年と符合する。
(中略)
60年代の初めにはコニーアイランドで繁盛していた「奇型人ショー」が禁止された。圧迫はさらに進んで、
女装の女王や売春婦のたむろするタイムズ・スクエアの芝生を徹底的に破壊して摩天楼で覆ってしまう。
逸脱した下層社会の住民は彼ら専用の区域から立ち退かされ-見苦しい、公的不法妨害である、猥褻である、
あるいはたんに利益にならないとして禁じられると、彼らはますます芸術の主題として意識に浸透するようになり、ある広い合法性と、
いよいよもって距離を生むことになる比喩的な近接を獲得する。
(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)
現代のセオリーでは、「奇型人」の言葉は死語であり、「異常」は「正常」を導くために作り出されたものであり、両者に境界線というか、
差などどこにも存在しない。驚くのは、そのセオリーが「写真論」出版時の30年ほど前に存在しなかったということであり、
それをいみじくもスーザン・ソンタグのアーバスを巡る評論で証明されている。
ただ、スーザン・ソンタグは「奇型人」のことを書こうと思ったわけではなく、あくまでアーバスが活躍した当時の状況説明を行うために、
これらの言葉を使っている。それにしても、現代に住む僕としては、ただ引用するだけにおいても、これらの言葉を使うことに強く抵抗感を持つ。
(Amehare)