「先に述べたように、ダゲレオタイプの発明によって、
1840年代から50年代に書けてポートレート写真を撮影することが一般の人々の間に徐々に普及していったが、
生涯の間に一度も写真に撮られることがなかったとしても、当時としては珍しいことではなかった。
女性と膝の上の少女を撮影したダゲレオタイプを見てみよう。この写真の中で少女はあたかも眠っているかのように見えるが、
実は亡くなっている。つまりこの女性は娘の遺体を膝の上にのせてポートレート写真を撮影したのである。
写真に写っている少女にとってこのポートレート写真は、彼女の人生のなかで撮影された最初で最後の写真であったかもしれない。「没後写真」
と呼ばれるこのような写真は、ある人物が亡くなったことの揺るぎない証拠となるものだった。とくに子どもの没後写真を撮影する場合には、
あたかもまだ生きていて眠っているかのように見せるための工夫がなされていた。
子どもの遺体を撮影した没後写真は、現在見ると奇異なもののように見えるかもしれないが、
子どもたちを取り巻いていた当時の生活環境を振り返ってみるとその理由を理解することができるだろう。欧米では、
十八世紀末から十九世紀半ばにかけて肺結核が流行し、1850年初頭にはアメリカ東部の都市でコレラが蔓延するなど、
衛生環境は劣悪な状況にあり、そのうえ医療技術も未発達の段階にあった。幼児死亡率は高く。
十九世紀末でも出生児五人のうち一人が一歳になる前に亡くなっていた。したがって当時の人々の生活のなかで、
子どもの死は避けがたい出来事の一つとして位置づけられていたのであり、
子どもを亡くした親たちはその死を受け入れ哀悼するための通過儀礼として子どもの没後写真を撮影していたのである。
親たちは写真師に依頼して、子どもの遺体を家の中のベッドやソファ、揺りかごに横たわらせたり、
親が子どもの遺体を膝の上にのせたり抱きかかえたりして撮影した。ときには、
子どもの遺体を肖像写真館に持ち運んで撮影をおこなうこともあった。このような没後写真からは、「記憶を持った鏡」
としてのダゲレオタイプに託された思い、
すなわち子どもがこの世に存在したことをいつまでも記憶に留めておきたいという肉親や家族の切実な思いを感じ取ることができるだろう。」
(「写真を<読む>視点」 小林美香 青弓社 2005年)
追記:写真とは本書に掲載してある写真で、アルバート・J・ビールズ 「母親と亡くなった娘-「病気の子ども」の絵画に倣ったポーズ」
1852年、と書いてあった(Amehare)