2007/02/10

不愉快なものの敷居を低くする芸術

「アーバスの作品は資本主義国での高級な芸術のひとつの指導的な傾向、つまり道徳的・感傷的な吐き気を抑える、
あるいは少なくとも減少させる傾向の好例である。近代芸術の多くは不愉快なものの敷居を低くすることに熱心である。
あまりにショッキングだったり、痛ましかったり、当惑させたりで、以前は見聞きするに耐えなかったものに私たちを慣らすことによって、
芸術は道徳-情緒や自然感情からいって、我慢できるものとできないものの間にあいまいな線を引く、あの精神の習慣と公衆の是認という代物-
を変えるのである。次第に吐き気を抑圧することによって、私たちはいくぶん公式的な真理-
芸術と道徳が構築したタブーは気まぐれなものだという真理に近づけられる。しかし、映像(映画と写真)
と印刷で増大する一方のこのグロテスクはものを、私たちが消化する能力をもつことは途方もなく高いものにつくのである。
結局それは自我の解放ではなく、自我からの控除、つまり恐ろしいものへのいいかげんな慣れが疎外を助長し、
現実生活に反応しにくくさせるのである。今日のテレビの暴力シーンや近所のポルノ映画を初めて見せられた人びとに起こる感情は、
アーバスの写真を初めて見たときに起こる感情とそう違ってはいない。」


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)