「アーバスの写真の神秘の大きな部分は、彼女の被写体になった人たちが、
写真が撮られることを承知したあとでどう感じただろうかといろいろ思わせるところにある。彼らは「あんな」
ふうに自分を見ているのだろうかと写真を見た人は思う。自分たちがどんなにグロテスクだか知っているのだろうか。
まるで知らないように見える。
アーバスの写真の主題はヘーゲルの立派なレッテルを借りれば、「不幸な意識」である。しかし、
アーバスの大人形芝居の大部分の道化師たちは、自分が醜いことを知らないように見える。
アーバスは人びとが自分たちの苦痛や醜さをいろいろな程度に意識しなかったり気づかないでいるところで写真を撮っている。
このために当然ながら、彼女が撮影しようと引き寄せられる恐怖の種類には限界がある。それは事故や戦争や飢饉や政治的圧迫の犠牲者のように、
おそらく自分で苦しんでいることを知っているような苦悩者を除外することになる。
アーバスは生活に割り込む事故や事件は決して写真に撮らなかっただろう。彼女はじわじわとくる故人の災難を撮るのを専門にしていた。
その大部分は被写体が生まれたときから進行していたのである。」
(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)