2007/02/20
ベトナム戦争、処刑
このとき撃たれたのは誰か? そして撃ったのは誰?
それは明白にわかっている。犯人は南ベトナムの国家警察長官グエン・ゴク・ロアン、撃たれたのはベトコンのバイ・ロップ。だがこの凶行を、よりによって何人かのジャーナリストが目撃していたことが、ロアンにとって運の尽きだった。テレビ班もこの出来事を撮影していた。
しかしテレビ映像がいかに心を揺すぶられる内容であり、いかに恐怖の場面を写していても-深みはなく、心に食い込むこともない。一瞬にして消え去ってしまう。だが写真はわれわれの頭から離れない。この一枚の写真、ロアンがロップを射殺するシーン、撃つほうと撃たれるほうが同時に写っている一枚。
ライフ誌に初めて発表され、世界中でいく度となく掲載されたこの写真はその後、戦争の残酷さをショッキングに示すシンボルとなりベトナム戦争終結に向けて、数個師団にもまさる働きをした。この写真をみて以降アメリカ人は、こういう戦争で「自由のために」命を賭ける価値があるのかと、自問するようになったのである。この犯人の自由のために?
撮影者であるカメラマンのエディー・アダムスを、われわれ取材班はニューヨークに訪ねた。彼の回想を聞こう。
「兵士たちが捕虜を一人連れて、私たちと同じ方向に歩いてきたんだ。記者というのは誰しもこうした、捕虜がどうなるのか、捕虜が連れてこられるような場合には、その先何が起こるか、まず観察するものだ。ふつうは、捕虜が連れ去られるまでずっと見守っている。
あのときは、兵士たちが街角で立ち止まった。途端にやつが現れた。ジープだったと思うが-さっと姿を現したのだ。何が何だかわからなかった。
私は、捕虜からわずか1メートル半ぐらいのところに立っていた。やつがピストルに手を伸ばした。威嚇だろうと思った。そういうことはよくあったからね。でもやつはピストルを取り出すや、次の瞬間には腕を上げていた。私もカメラを上げた。やつは発射した。
あとでわかったことだが、私がシャッターを切ったのは、ちょうど弾が発射されたときだった。そんなこと、あの瞬間にはわからなかった。やつは相手の頭部を撃っていた。ベトコン兵が倒れ込み-ああいうのは見たことがない-血が1メートル以上の高さまで飛びはねた。
私は顔をそむけた、見ていられなかった。撮影などしてしていられなかった。あとになってようやく、遺体の写真を一枚撮った」
(「戦後50年 決定的瞬間の真実」 グイド・クノップ 畔上司訳 文藝春秋)
補足:
ロアン国家警察長官は当時37歳だった。十一人兄弟の長男で、裕福な、とても裕福な南ベトナムの出身。「一番の馬鹿」というのが彼の口癖だったが、実はフランスの三大学を卒業していた。薬学と自然科学と工学を専攻。そして人にこわれて警察入りした。バカどころではない。ベトナム語同様にフランス語をあやつれるし、アメリカを旅行したことがあり、フランスとイタリアを知っていて4人の子供がいる。
現在も(?)アメリカに潜伏している。商売を何回か始めたが全てうまくいかなかった。CIAに友人がいるため、沈黙を守ることにより彼ら一家のアメリカ滞在は延長される。
一方の撃たれたロップの家族、当時妊娠中の妻がいた、は彼がベトコンである事を全く知らなかった。ベトナム戦争が終わり、生計を立てるため苦労するが、1988年にベトナム共産党がロップを英雄とあつかったため、その後の生活はかなり改善された。彼女はアメリカ人を恨んではいないが、ロアンだけは憎んでいる。(amehare)