「民族って何だ? 血って何だ?」
ドクトルがさえぎった。
「教えてやろうか、つまりこういうことだ」
ドクトルは両手を返した。
「たとえば、お前におじさんがいたとしよう。そんなおじさんがいるなんて知らなかったんだけど、ある日突然現れたんだ。
そのおじさんが大金持ちだった。さあ、その人はお前の親戚か? お前は言うだろう、そうです。
この人は私の血のつながった大切なおじさんです、とな。そう言うだろう? じゃあ、もし、それが借金取りに追われたおじさんだったら、
その人はお前の親戚か?」
「・・・・・・・・・・・・」
「見ず知らずの他人だろ」
「まあ・・・・・・」
「血や民族なんてそんなもんだよ。血なんてのは、都合(コンパニエンテ)ってことなんだよ」
「都合?」
「そう、ペルー人でいた方が都合よけりゃペルー人。ニッポン人でいた方がよけりゃニッポン人。それだけのことなんだよ・・・・・・」
「でも、どこかに共通点のようなものがあるような気がするんですけど・・・・・・」
私はかろうじて反論した。
「お前、あいつらが同じニッポン人に見えるのか?」
「まあ、なんと言うか、にじみ出る雰囲気というか存在感というか、ニセ者の話にしたって、瞼の腫れとか、
顔のちょっとしたちがいですぐ差別する。なんでも民族の話にすりかえる。ペルー人を卑下することで自分を守る。そうでもしていないと、
アイデンティティを維持できない核のなさ、陰湿さはこりゃあ百年前からの伝統的ニッポン人体質そのものだと思う」
私は力をこめて言った。
「それはお前だよ」
爪のまわりに垢がたまり、ささくれだった指でドクトルは私を指した。
「えっ」
「みんな、お前に合わせてんだよ」
私は目が回りそうになった。たまらずドクトルの視線をはずして、手もとのコーラをすすった。コーラはぬるくて気がぬけていた。
ドクトルはじっと私を見つめた。長い間で私を追いつめているようだった。
「いいか、ニセ者をつくってるのは、お前なんだよ」
「いや、おれは・・・・・・」
私は必死に否定しようとしたが、うまく弁解できなかった。
「おまえがニッポン文化がどうしただの、ホンモノどこだニセ者どこだって聞いて回っているから、
みんなその期待に応えようとしているんじゃないか」
「いや・・・・・・・おれは別に期待はしてないけど・・・・・・」
「いいか、百年前を思い出してみろ。百年前、貧しかったニッポン人労働者をペルーが受け入れた時、ペルーの戸籍が必要だったか?
ペルー人のホンモノの血が必要だったか? ペルーは、血の選別をしたか?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「なんで今、日本は血で人を選ぶんだ? おじいさんの戸籍が必要なんだよ? えっ」
「やはり、血が大切なんだろう・・・・・・」
私は他人事のように言った。
「いいか、ペルーから来ている連中はな、必死にその期待に応えようとしているんじゃないか」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「いいか、あいつらは他に何もないんだよ、ニッポン人ってことしかないんだよ。ニッポン人にしがみついてんだよ。だから一生懸命、
お前に合わせようとしているんじゃねえか」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「お前はね、鏡に映ったお前自身を見てるんだよ」
私は何も言い返せなかった。口ごもるフリもできず、ただ毛細血管が網のように浮き上がったドクトルの目をみて、時の流れるのを待った。
そうしていればどうにかなるだろうと考えている自分が情けなかった。
(『にせニッポン人探訪記-帰ってきた南米日系人たち』 高橋秀美 草思社 P193-197)
追補:本ルポに登場するドクトルとは「日系人」労働者の一人で、彼のあだな。