「ディアスポラ」の比較研究というコンセプトは、
アフリカやアジアといった単一の地域や場所に起源をもつ人々の移動とつながりを理解するための、示唆的でポジティブな枠組みを提供し、
通常は国民に基礎をおく歴史からは取り残されてしまう、グローバルなプロセスに光を当てる分析を可能にするものである。
撒種を意味するギリシャ語に由来する「ディアスポラ」の概念は、離散してはいても宗教、テクスト、文化によって結びつけられている。ユダヤ・
ディアスポラの完潔性(integricy)と同質性を表すために、主として使われてきた。それは近年の研究においては。
「もともとは均質であったが、のちに移動した人々」の、「社会性の個別的な形式」を指すものへと拡大してきた。「アフリカン・ディアスポラ」
の研究は、アフリカ大陸の外で生きているアフリカ系の子孫のグローバルな歴史を強力に概念化している。それは、
アフリカ系の子孫の数世紀にわたるさまざまなコミュニティを、
ナショナルな境界線を横断して統一的に議論することを可能にする用語でもあると同時に、補囚、奴隷化、
そして大西洋奴隷貿易につづく強制労働の歴史を取り戻す議論のための方法でもある。1500年から1900年までの間に、
およそ400万人のアフリカ人奴隷がインド洋の島々のプランティーションに、800万人が地中海に、そして1100万人がアメリカスという
「新世界」へと移送された。アフリカン・ディアスポラにはアフロ・ラティーノ(その集団は8000万人のアフロ・ブラジリアン)、アフロ・
アラブ、アフロ・ヨーロピアンおよびアフリカン・アメリカンが含まれている。研究者たちは「アジア・ディアスポラ」を、東アジア、南アジア、
東南アジアからのさまざまなナショナルな出自をもつ人々の、グローバルな移住(migration)の広がりを指す言葉として使っている。
アジア系の人々の、十九世紀を通じた広大でグローバルな拡散は、グローバル経済の拡大の出現にとって中心的(な出来事)であった。
インド洋におけるフランスやオランダの植民地、スペイン領キューバやペルー、英領西インド諸島、ハワイ、そしてアメリカ合衆国においても、
アジア人労働者はしばしばアフリカ人奴隷やその他の不自由労働を含む多人種的な労働力の一部であった。「アジア系ディアスポラ」はまた、
二十世紀後半における移住の爆発とアジアからの移民、そしてアジアの故郷との感情的紐帯や同一化の保持を指し示すためにも用いられている。
アフリカ系、アジア系のどちらの表現においても、「ディアスポラ」は統一された集合的な文化的遺産を維持していたり、
あるいは作り直したりしている人々が、地理的に別々の場所にいるというパラドックスを表している。
それはさまざまな結びつきを可能にする批判的な概念であり、より最近では、人種的・民族的な原初主義、
あるいはナショナルな形態の本質主義への批判をも含んでいる。
(『人種化された労働』 リサ・ロウ 浜邦彦訳 現代思想 2007年6月号 青土社)