イギリスの犯罪学者ジョック・ヤングは、現代の状況を「多様性(diversity)」と「困難さ(difficulty)」
の上昇として捉え、その上で後者のみがあらゆる手段で抹消されるよう社会の布置が編制されつつある、という。近代から後期近代(late
modernity)へという図式に依拠し、そのうえで内包(包括)社会(inclusive society)から排除社会
(exclusive society)へ、という特性を付与するヤングによれば、
近代社会と後期近代社会は多様性と困難さへの対応においてちょうど反転した立場をとる。近代社会は多様性には不寛容であり、
困難さには比較的寛容である。近代社会は、多様性を、吸収されかつ同化されるものとして捉え、またじっさいに吸収・
同化への努力を試みてきたが、その一方、手に負えない(obdurate)人間や頑強な反逆者の存在や意義申し立てを、
社会が受けとめるべき個人の矯正/更正や社会自身の改革の努力へのさらなる試練として捉えたのである。一方、後期近代社会は、
多様性や差異性を称揚し、それを消費社会というクッションによってたやすく受け入れ無害化する。ところがこの社会は、困難な人間や
「危険や階級」と見なされるものには我慢できない。それゆえ彼らにたいしては最上の洗練された防壁を構築しなければならない・・・・・・
(Young 1999 p.59)。まさにセキュリティの上昇と呼びうる事態は、このような(ヤングの時期区分にのっとるならば)
後期近代社会の特徴の表現である、と言えるだろう。
そしてこの傾向に付随してあらわれるのは近年とりわけ突出しつつある<排除>あるいは<隔離
(incapacitation あるいは segregation)の実践である。
(『自由論』 酒井隆史 青土社 P.260)