2007/05/25

ドゥプレの語る9・11

三浦信孝:

現代社会のアクチュアルな問題に入っていきたい。私は1989年秋、ベルリンの壁が崩壊した直後、あなたがル・モンド紙に寄せた短い文章
「歴史の回帰」に感心したおぼえがある。自由主義が世界をおおいつくし歴史が終わるとしたフランシス・フクヤマの「歴史の終焉」論に反対し、
冷戦から蓋をしていたさまざまな矛盾対立が一挙に出てくることを予言した文章だった。その後の事態はあなたの予言の正しさを証明した。


そこで質問したい。1989年の11月9日が冷戦の終わりを告げたとすれば、昨年(2001年)
の9月11日は冷戦後世界の終わりを告げたのではないか。「9・11」は世界の地政学的条件にまったく新しい布置を与えたのではないか。
別の指標をとるなら、1991年1月に起こった湾岸戦争から2001年8月のアフガニスタン侵攻の10年で、ブッシュ父が夢みた
「世界新秩序」は、ブッシュ・ジュニアによって実現されたと考えていいのか。
世界が一様化されるとともに文明が衝突するグローバル化状況の中で、ブッシュの「テロとの戦争」をあなたはどう見ているのか?


11・9と9・11という数字の象徴性をつづけるのなら、もう一つ見逃せない偶然は、ニューヨークの「9・11」
は1973年9月11日のチリの軍事クーデターと同じ日に起こったことだ。WTC(世界貿易センター)のツィン・タワーの崩壊は、
ピノチェト将軍のクーデターによる惨劇を思い出させなかっただろうか。ユダヤ系のチリ人作家アリエル・ドルフマンは、二つの9・
11の目撃者として、アメリカ人に「9・11」を独占する権利はないと書いていた。


レジス・ドゥプレ:

質問に答える前に、フクヤマへの言及があったのでいうが、論敵を実際以上に愚かしく描くことはやめにしよう。
論争の流儀としてよくないやり方だ。論争するときは、論敵の最良の部分を相手にすべきだ。フクヤマが「歴史の終わり」を語ったとき、
彼は事件がもうなくなるとか暴力がなくなるといったわけではない。ヘーゲルとコジューブのよき読者として、
フクヤマがいったのはこういうことだ。事件の連鎖を貫く敵対的矛盾はもうなくなった、世界のヴィジョンが二つ、三つと対峙しあうのではなく、
暗黙のうちに承認された唯一の文明モデル、すなわち自由民主主義に照らして、進んだ社会と遅れた社会があるだけになった。
事件というのは1789年のフランスや1917年のロシアという強い意味での事件のことで、突発的な事件や波瀾はあるだろうが、
それは深い不安によってもたらされるものではない。これが彼の歴史の見方だと解釈できる。しかし、もちろんそれは私の歴史の見方ではないし、
歴史が回帰するといったのは私だけではない。


歴史が回帰するとはどういう意味か。過去半世紀は未来からの衝撃が語られた。未来からの衝撃ということで、すべてが予想できた。
ただひとつ、過去からの衝撃を除いてだが。旧ユーゴスラビアをとってみよう。クロアチアとセルビアの戦争は、
カトリックのクロアチアとギリシャ正教のセルビアの戦争だ。これは11世紀、1054年に、
キリスト教のラテン世界からビザンチン帝国を切断した東西教会の分裂にさかのぼる。コソボ紛争の起源は、オスマン・
トルコによるコンスタンチノープル奪取(1453年)とイスラムの中欧への進出にさかのぼる
(セルビアは1389年のコソボの戦いでオスマン・トルコに敗れその聖地を失う)。ツィン・
タワーとペンタゴンへの攻撃にも歴史的起源がある。ワッハーブ・ショックだ。18世紀にアラビア半島に起こったワッハーブ派は、
(初期イスラムへの復帰を主張し)イスラム法を厳格に純粋主義的に解釈した(ワッハーブ派はオサーマ・ビンラーデンの出身国サウジ・
アラビアの国教である)。こうして、宗教の歴史がアクチュアリテの理解を助けてくれる。とにかく、文明圏のあいだの対立を防ぐのは、
大文字の民主主義、物神化された民主主義ではない。


しかし、私は文明間の戦争という表現は使わない。文明を固定した実質、自分に一致した唯一の実質とは見ないからだ。事実、
いくつものキリスト教があるようにイスラムも多様だ。12世紀のイスラムと今日のイスラムは違うし、
明日のイスラムはまた違ったものになるだろう。だから、すべてを歴史的パースペクティブで考えることが大事だ。
その点で私は今もマルクス主義者だが、文明を歴史的に考えるなら、
一度成立したら未来永劫不変の文明と文明のあいだに必然的に衝突が起こるという単純な見方はできなくなる。しかし、今日世界あちこちで矛盾、
攻撃、防衛、影響力の争奪戦が起こっているのもまた事実だ。


あなたは二つの「9・11」に言及したが、1973年の9月11日に思いをいたす人はごく稀だ。
チリのサンチャゴには当時多くのカメラがなかったから、事件は大きなインパクトをもたなかった。
サンチャゴは事柄の連鎖の先端ではなかったため、惨劇はニューヨークほど強い反響は呼ばなかった。私も二つの事件を比較したアリエル・
ドルフマンの記事を読んだ。ドルフマンはチリの作家で優れた知識人だ。しかし二つの事件のあいだには、9・
11という不幸な日付の一致を除けば、はっきりいってかなり根本的な違いがある。


チリの9・11は(アメリカのCIAが支援したピノチェト将軍の)クーデターであり、大統領官邸のモネダ宮が破壊され
(アジェンデ大統領は自殺)、街は砲撃され(数多くの市民が殺され)た。これは強い者による弱い者の攻撃だが、
もう一つは弱い者による強い者の攻撃だ。一方のチリのほうは、国家テロ、アメリカ国家のテロリズムだが、
他方は国家的基盤をもたない宗教原理主義者たちのテロだ。政治的には13世紀ごろできた首長国アフガニスタンを「国家」
と呼ぶなら話は別だが。したがって、二つは比較にならない。チリの73年9月11日のクーデターは、
5000人どころか5万人の死者を出した。そのあと殺された者を入れればもっと多くなる。これは経済的支配者と被支配者の、
所有者と被搾取者の戦争の延長という意味で、19世紀を向いたクーデターだ。(社会主義者の)アジェンデ大統領は被支配者の代表であり、
アメリカの支援を受けたチリの国家軍は伝統的に支配階級を、チリの土地所有者を代表していた。これは19世紀の対立図式だ。


ところがもう一つの9・11は、西洋に切っ先を向けた高度の技術と、
サウジアラビアのワッハーブ派が引き継いだカルト集団の神秘的でラジカルなコーラン解釈がドッキングして起こったものだ。
もっとも伝統的なものと最先端のハイテクが逆向きに結びついたという意味で、これは21世紀の幕開けになった。
二つの事件のあいだにどんな繋がりがあるか問うてみるならば、おそらく、反対勢力の急進性に関して重要な環境の変化が起こっている。
二つの9・11のあいだには表徴の逆転がある。チリの民衆の統一行動は進歩的な運動であり、
その背後にはマルクス主義とチリで強かったキリスト教左派とに彩られた非宗教的メシアニズムがあった。それは左からの世俗的急進性だった。
それに対して今日、西洋世界の都市郊外に広がっているのは同じメシアニズム的急進性でも、宗教的急進性だ。
その伝統主義と近代性の拒否ゆえに、右からのと呼んでいい退行的急進性だ。ここには反対勢力の役割、社会的バリアの役割の、
一つの時代からもう一つの時代への交代がある。1930年代、スペイン市民戦争で世界各地から有志がはせ参じ国際旅団に合流した時代から、
世界各地のサラフィスト(アルジェリアなどで活躍するイスラム過激派)が新しいインターナショナルに結集する時代への変化である。
メディオロジーではおなじみの諺で、オーギュスト・コントの言葉だが、「置き換えられるものしか壊さない」のだ。ある世俗宗教を壊すとき、
人は別の世俗的宗教に場所を譲るわけで、その代換宗教はもっと破壊的でもっと有害なものかもしれない。具体的にいえば、
ナセルのエジプトを壊し、(アラファト議長率いる)PLOのパレスチナを壊したあとには、もっと危険なハマスが来るということだ。
これは西洋が1950年から中東でとってきた下手な政策の結果といえる。


(「現代世界に直面するメディオローグ -レジス・ドゥプレとの対話」 R・ドゥプレ 三浦信孝)