写真展が始まってからまもなく、ダイアンは『ニューズウィーク』の記者アン・レイの長時間にわたるインタビューに応じた。
ある日の午後、会場を一緒に歩きながら、小人や怒っている子どものポートレートの前に足を止めて考えながら、ダイアンはこう告白した。
「近代美術館で写真展が開けるというのはたいへん嬉しいことです。すばらしい出来映えだと思うし、展示もみごとです・・・・・・でも、
ジョン・シャーコフスキーがいなかったら、わたしは出品しなかったでしょう。彼はすばらしい人です」そして、こうつけ加えた。
「この八年間を費やして-ずいぶん長いこと写真にうちこんできたわけですが-模索し-探求して-それまでやったことのないこと-
子どものときに夢みていたことをやりました-サーカスに通い・・・・・・サイドショーを見物し・・・・・・」。しかし、突っこまれても、
自分のモデルや彼らの境遇については、あたりさわりのないことしか話したがらなかった。
レイの印象では、「ダイアン・アーバスは人の秘密を聞きだすことには自信をもっていた」が、
それだけにその秘密は自分の胸にしまっておかなければならないと考えていた。「わたしは不器用なところで仕事をしています」と、
ダイアンは言った。「それに反して、リチャード・アヴェドンは優雅なところで仕事をしています。それはどういうことかというと、
被写体を前にすると、わたしは相手を動かすかわりに、自分を適用させてしまうのです・・・・・・しかし、
まずい写真を撮るのは大事なことです-まずい写真こそが新しい経験につながるのですから・・・・・・
カメラのフレームをのぞきこむのは万華鏡をのぞくのに似ていて、いくら振ってもきれいに拡がってくれないこともあります・・・・・・
わたしは取り得のない人間です・・・・・・やりたいことが何もできません。実際、やりたいことが何もできないようなのです。ただ、
スパイになるだけ。わたしが撮った人の中にはもう死んだ人もいるし、すっかり変わってしまった人もいます・・・・・・
わたしには要領のいいところがあります・・・・・・利口というわけではないのですが、どんな状況にも自分を合わせていけるのです。
わたしの選ぶ写真のプロジェクトは、どうしてかマタ・ハリのようになります。ただ生命を賭けるのではなく、自分の人格や評判を賭けるのです-
それほどのものがあるわけではありませんが」と言って、ダイアンは笑った。
「人は誰しもひとりの人間にしかなれないという制約のために苦しむのです」
ダイアンはニュージャージー州ロゼールで撮った瓜二つの双生児のポートレートの前で足を止めた。おそらくこれは、
彼女のヴィジョンの核心-正常の中の異常さ、異常の中の正常さ-を、他のどの作品よりも端的に表現していると思われる。「可愛らしい双子で、
まったく正常だと思いました」と、ダイアンはつぶやいた。「でも、社会によっては、双子は異常だとされ、忌み嫌われるのです」
やがて、ダイアンはまた別のポートレートの前で立ち止まった。
髪を漂白した豊満なバーレスク女優が散らかった化粧台の前に坐っている写真である。ダイアンは言った。
「この人はバーレスクがすたれたときのまま変わっていないようです。いつもベティ・グレーブルの髪型をして、
コルクの中底のついたプラットフォーム・シューズをはいているのです」
意識的に歪めて撮るのかと聞かれて、ダイアンはこう答えた。「写真を撮るというプロセス自体に多少の歪みがともないます・・・・・・
でも、わたしは歪めることには興味はありません・・・・・・自分の意図とカメラの機能をあれこれとかんがえざるをえなくなります・・・・・・
カメラはまったく言うことをききません、だから、両方のバランスをとるようにせいいっぱい努力します・・・・・・詩情、アイロニー、幻想、
すべてがそこに組みこまれているのです」
彼女の作品をジョゼフ・コーネルの箱にたとえる人があり、特に安物の美術品に埋まっているアパートの「未亡人」
のポートレートを見てそう言うと聞かされて、ダイアンは喜んだようだった。「わたしはコーネルの秘密が好きです。
小さな箱につまったあの小さな秘密が。それから、スタインバーグとピンターの『ホームカミング』にはとても惹かれます。
あの劇のセリフにはたくさん秘密がありますから」
(「炎のごとく 写真家ダイアン・アーバス」 パトリシア・ボズワーズ 名谷一郎訳 文藝春秋 P431-P433)