それに反して、ダイアンは仕事で金を得ることに複雑な感情を抱いていた。金をかせぐことを、いつも恥じていたのだ。「写真を売ると、
すぐにいい写真ではなかったという気がしてしまう」と語ったこともある。だが、こんな気持ちも、
新たな注文を引き受ける妨げにはならなかった。
『エスクァイア』のロバート・ベントンからは多くの依頼があり、ベントンに言わせると「ほぼ月に一件」の仕事があった。
こうしてダイアンは、奇抜な模様の敷物の上で子犬と踊っているストリッパーのブレーズ・スター、ジェーン・マンスフィールド母娘、
都市計画専門家のジェーン・ジェーコブズと息子、無神論者のマダリン・マレーを撮った。
「ダイアンは最新のコンタクト・シートをもって美術部にやってきたが、わたしはいつも驚かされた」と、ベントンは語る。「というより、
つねにこちらの予想をくつがえされたのだ」。乳房にスパンコールをつけたブレーズ・スターも、中流階級の理想のカップル、
オジーとハリエットも、でっぷり肥って誇らしげな母親となったジェーン・マンスフィールドも、
ダイアンが撮るとニューヨークの奇形者たちと同じような緊張感をはらんでいたのである。そのうちにベントンは「われわれ(写真を見る者)
も彼ら(撮影された人びと)とまったく変わりがない」ことに気がついたという。「それがダイアンならではの独特のスタイルだった -
一見したところは単純だが、非凡なアプローチによってすべての対象と取り組み、相手が何者であろうと態度は変わらなかった。そして、
奇形者でも普通の人間でも、ある面では同じ存在だということを示す。ダイアンの作品の中では『奇形者』とか『健常者』
という言葉は意味がなくなってしまう。ダイアンにとってどちらも同じだし、相手によって手心を加えることもなかったからだ」
デヴィッド・ニューマン(ベントンと組んで仕事をしたことがある)もこう語っている。
「ベントンとサリーの結婚式の写真を撮ったときも、ダイアンはまったく手心を加えなかった。
あの写真はいまでもベントンの家の居間に飾ってあるが、じつにセンセーショナルな写真だ。しょせんは月並みだと思われる儀式を、
ダイアンは細部にいたるまで克明に記録している - 儀式こそ、ダイアンが執着していたものではなかったろうか?
ダイアンは進行順序に従ってすべてを撮影し、自分もその一部になりきっていた。サリーが母親に手伝ってもらってウェディング・
ドレスを着ているそばで、ダイアンはシャッターを切りつづけていた。また、式の直後に、
リムジンの床に這いつくばって狂ったようにシャッターを切っていたのも覚えている」
(「炎のごとく 写真家ダイアン・アーバス」 パトリシア・ボズワーズ 名谷一郎訳 文藝春秋 P348-P349)