プリンスやシャーマンの作品に採用されているアプロプリエーションという手法を、最もラディカルな方法で提示したのはシェリー・
レヴィン(1947~)である。彼女は1979年から82年の間に、エドワード・ウェストンやウォーカー・エヴァンズ、エリオット・
ポーターといったモダニズム写真の巨匠として評価されている写真家が撮影した写真を複写し、
その写真を自らの作品として展示する展覧会をおこなった(法的な観点から見るならば、
このような手法は写真家の著作権を侵害する違法行為である)。このシリーズ作品の一つである「無題-エドワード・ウェストンに倣って」
(1981年)という作品は、ウェストンが1925年に息子のニールを撮影した写真を流用したものである。ちなみにこの作品は、
シャーカフスキーの『写真を見ること』でも取り上げられている。このカタログでシャーカフスキーは
「ウェストンほど天賦の目と直感に恵まれている写真家はいない」のであり、「ウェストンの視覚は、
日常のなかで体験される物事を有機的な彫刻へと変容させている」と述べている。さらにこの写真について、
「クローズアップで捉えられた幼い男の子の胴体は、彫刻のような美しい線を描いている」と高く評価している。
このように芸術作品として高く評価されている写真に対して、
レヴィンがおこなったアプロプリエーションは次のような考えに基づいている。
ウェストンが息子のニールを撮影したネガからは数多くのプリントが制作されている。つまり写真は同じソース(原型)
から制作されているのだから、どのプリントもオリジナルとは考えられない。また、作品の元になったネガも「オリジナル」
という地位に位置づけられるものではない。「オリジナル」と呼ばれうるのは、撮影されたニールの体でもない。なぜなら、
アプロプリエーションをおこなう側から見るならば、その対象となっているのは、(当然のことながらニールの体ではなく)
ウェストンが制作した作品だからである。このように捉えてみるならば、ウェストンの写真には「オリジナル」は存在しない。つまり、
レヴィンは複写という手法によって、写真作品における「オリジナルの不在」を提示したのであり、彼女の主張は、
芸術としての写真の価値を擁護するシャーカフスキーのそれとは対極的なものだったと言えるだろう。
(「写真を読む視点」 小林美香)