みんなが帰ったあと、母がキッチンに手伝いにきた。私は皿を片付けていた。母は、お茶を飲むためにお湯を沸かし、
小さいキッチンのテーブルについた。私は、母の叱責を待ち受けた。
「おいしい食事だったわ マー」 私は丁寧に言った。
「よくなかったよ」 母は、楊枝で歯をつつきながら言った。
「あの蟹はどうかしたの? どうして食べなかったの?」
「よくなかったのよ」 母は繰り返した。 「あの蟹は死んでいたわ。乞食さえそんなものは口にしないのよ」
「どうしてわかるの? 変な匂いはしなかったけど」
「茹でる前からわかるのよ。 足は---ぐったり。口は---死人みたいに開いていたわ」
「死んでいるとわかっていて、どうして茹でたりしたの?」
「考えたのよねぇ・・・・ひょっとしたら死んだばかりじゃないかって。そんなにひどい味じゃないかもしれないって。でも死んだ匂いがしたし、
肉がしまってなかったわ」
「他の人があの蟹を選んだらどうするの?」
母は私を見てにっこりした。「あれを選ぶのは、あんたしかいないわ。他にだれもいませんよ。わたしにはわかっていたの。
みんなは最高のものをほしがるの。あんたは別の考え方をするけどね」
それが何かの証明でもあるかのような口振りだった---何かいいことの。いつも母は、いいとも悪いとも取れるような曖昧なことを言うのだ。
縁が欠けた皿の最後の一枚をしまおうとして、ふと私は思い出した。「マー、なぜ私が買ってあげた新しいお皿を使わないの?
気に入らなかったら、そう言ってくれればよかったのに。模様を取り替えられたのに」
「もちろん、気に入っているわ」 母は苛ついた声を出した。「よすぎるものは、しまっておきたくなるのよ。そのうちに、
しまっておいたことも忘れてねぇ」
やがて母は、ふと思い出したかのように、金鎖のネックレスを首から外して翡翠のペンダントごと掌に巻き取った。
やおら私の手をとってそのネックレスを私の掌に入れ、指で包ませた。
「だめよ、マー」 私は言った。 「これは受け取れないわ」
「ナーラ、ナーラ」---いいからとっときなさい。叱るように母は言い、中国語で付け加えた。
「ずっと前からこのネックレスをあんたに上げようと思っていたの。私が素肌につけていたから、あんたもこれを素肌につけると、
私が何を願っていたのかわかるでしょうよ。これは、あんたの一生の宝になるわ」
「今夜あんなことがあったから、これをくれる気になったのね」 私は、ついに言った。
「あんなことって?」
「ウェヴァリーに言ったことよ。みんなが言ったことよ」
「ばかな! なぜ彼女の言うことに耳を貸すの? なぜ彼女の言葉を追い掛けてあとについていこうとするの? 彼女は、この蟹と同じだわ」
母は、塵の容器に捨てられた蟹の甲羅をつついた。 「いつも横歩きして曲がってしまうだけ。
あんたはこれと反対の方向に足を出せばいいのよ」
そのネックレスを首にかけた。ひんやり冷たかった。
「この翡翠は、あんまりいい品じゃないわ」 母はペンダントに触れながら平然と言ってのけ、中国語であとを続けた。 「まだ若い翡翠なの。
今は淡い色だけど、あんたが毎日つけていればもっと深い緑になるわ」
(「ジョイ・ラック・クラブ」 エミィ・タン 小沢瑞穂訳)