夢の中を漂うに生きるのがどんなものか、わたしにはわかっているの。人の話を聞き、周りを見つめ、
目覚めてから何が起きたのかを理解しようとする生き方がね。
べつに精神分析医の助けを借りなくても、そう生きられるのよ。精神分析医は、あなたが目覚めるのを望んでいないんだから。
もっと夢をみるようにと勧め、池を探してそこにもっと涙を注ぎ込めと言うだけなんだから。実際のところ、
そんな医者はあなたの惨めさで腹を満たすもう一羽の鳥にすぎないのよ。
わたしの母はそりゃ苦しんだわ。面目を失ったことを隠そうとしたんだから。でも、もっと惨めになっただけで、
ついにそれも隠しきれなかったのよ。それ以上は何もわからないわ。
それが中国だったの。それが当時の中国の人達がやってきたことなの。他に選択の余地がなかったから。胸のうちをしゃべることもできず、
逃げることもできなかった。それが運命だったのよ。
でもいまの中国の人達は何かが出来るわ。もう自分の涙を飲み込んだり、カササギの嘲笑に耐えたりしなくてすむのよ。
それがわかったのは、中国から届いた雑誌でその記事を読んだからなの。
数千年ものあいだ鳥が農民を悩ませてきた、とその記事は書いてあったわ。彼らは群れをなして、
堅い土を掘り起こしては怒りの涙で種を育てる農民を眺めていたのよ。農民が立ち去ると、鳥が舞い降りて彼らの涙を飲み、
種を食べてしまったの。だから子供達は飢えて死んでいったの。
ところが、ある日、その疲れ切った農民達が---中国の各地から---そこかしこの畑に集まってきたの。彼らは、
食べたり飲んだりしている鳥の群れを見て 「こんな苦しみはたくさんだ、黙って耐えるのはもうごめんだ!」 と言い出したの。
彼らは手を叩いたり、棒切れや鍋を叩いて叫んだのよ---「スー! スー! スー!」---死! 死! 死!
この怒りの攻撃にあわてふためいた鳥たちは、いっせいに黒い羽をはばたかせて空に飛び立ち、騒ぎが収まるまで頭上を舞っていたの。
でも農民の叫びは激しくなる一方だった。鳥たちは疲れきり、舞い下ることも食べることも出来なくなったのよ。それが数時間から数日も続き、
ついにはすべての鳥が ---数百、数千、数万、そして数百万羽も!--- 地面に落ちて死んでしまい、
空には一羽の鳥もいなくなったというわけ。
その記事を読んだとき、嬉しさのあまりわたしが大声で叫んだのをしったら、あんたの精神分析医はなんて言うかしらね?
(「ジョイ・ラック・クラブ」 エミィ・タン 小沢瑞穂訳)