恋愛について言えば、ひきこもりの人は不利ではないか、損するんじゃないかということは、ある程度は言えるかもしれません。
でも、本質的なところでは、そう変わらないのではなかいというのがぼくの考えです。
恋愛というのは、お互いがある距離内に入らないと成立しないものです。そして、何かの拍子にその距離に入ってしまえば、
遠くから見ていた時とは別のものが見えてくる。そうすると、社交的であろうとひきこもりであろうと、
美人であろうと不美人であろうと、そんなことは意味をなさなくなります。世間的な価値判断は関係なくなって、
自分にとって好ましいかどうかという問題だけになる。
その距離になった時に決め手になるのは、遺伝子が似ているというか、細胞が何となく合っているというか、
そんな感覚なのではないでしょうか。うまく説明するのは難しいのですが、
たとえば双子の人だと実感としてよくわかる感覚なのかもしれません。それ以外のことは全部、問題ではないし、
問題にするのはおかしいという気持ちになるのが恋愛だという気がします。
だから、ちやほやされたいとか、いつもたくさんの異性に囲まれていたいとか、
そういうことはひきこもりの人は難しいかもしれませんが、本質的な恋愛について言えば、何の問題もない。保証してもいいくらいです。
ぼくは、ひきこもりの人が、好きな異性ができたことをきっかけに社会との関わりを回復していくということはあると思います。
実際問題として、「この人と結婚したい」と思ったら、仕事もしないといけないわけですから。
(「ひきこもれ ひとりの時間をもつということ"FONT-SIZE: 0.8em">」 吉本隆明 大和書房)