-画面が大きくなると、本当に画質がよくなるのですか。
竹内敏信(以下竹内):それはだれに聞くまでもないこと(苦笑)。つまり同じものを撮っても、
35ミリより645で撮ったほうがきれいに仕上がる。例えば、大きな全紙、全倍にすると明らかな差が出てくる。粒子が目立たなくなるし、
微妙なグラデーションも表現できる。特にフジのベルビアの登場は大きいな。
この歴史的な傑作フィルムによって90年代から風景写真が大きく変わった。ベルビアと645を組み合わせることで、
デリケートな風景写真の表現がすべてできるようになった。これが日本人の風景写真意識を変え、
大勢のアマチュア写真家が表現としての風景に挑もうとするようになったんじゃないかな。
-でもアマチュアが使うには645は少し重くありませんか。
竹内:ちょっと大きくて重いことが、「撮る」という意識を明確にするんです。特にアマチュアの場合はね。きちっと三脚をつけて、
撮影に挑むぞ、という意欲がわいてくる。これは大きい。正確にきっちりと、自分の望むものを引き出させる、そういう大きさ、重さなんだ。
それに自然を撮る側としては「撮らせていただく」という姿勢を忘れてはいけないけど、645はあまり大げさすぎず、
自然のふところに入っていくには最高のシステムだと思うよ。
-なんだか、いいことずくめのようですが、その割には、竹内さんはよく「645の画面はだらしがない」と言います。
竹内:それは画面比率のこと。35ミリの2対3の画面比率はとても緊張感があって美しい。それに対して645や6×7の画面比率は
「だらしがなくて」、かなりうまくないとヘタに見える。この画面比率を知ったうえで、風景表現に取り組むべきだし、
訓練によって緊張感のある画面が引き出せるようになると思う。
-645を使いこなすには風景をどう切り取るか、よく考えることが大切なんですね。
竹内:風景を切り取る? 違う、違う。何を言っているの。 空間を「切り取る」なんていう発想はろくでもないよ。そうじゃなくて、
風景の美の本質を「引き出す」んだよ。そのためにズームレンズを使うんです。
- どうやって訓練すればいいんですか。
竹内:写真表現、ファインダーの中の自分のセンスを磨いていくことだね。センスを磨くことによって、
どこを引き出せばよいかが風景の中に見えてくる。
-なんだか雲をつかむような話ですが、もう少し具体的に教えてください。
出会った風景の中でもっとも特徴的で本質的な美を探すということだよ。「風景に神宿る」ってよく言うんだけど、風景の中には神様がいて、
その神さまがいるところを探し当てる。ちょっと見渡せば自然の中にはどこにでもあるのだけど。
そういう隠れている美の本質をカメラアングルやレンズワークを工夫して引き出していく。
(「アサヒカメラ」 2007年2月号」 第92巻第2号 通巻963号 より 竹内敏信さんに聞く645の魅力から)