写真はレフェラン(指向対象)の芸術である。しかし、写真論の困難は、レフェランを純粋にそれだけで論じることの困難でもある。
我々はかならず、写された世界を論じるか、写真の写し方を論じてしまうのだ。ベッヒャー・シューレについて語る困難もそれと同様である。
人は世界各地の給水塔を論じ、重化学社会の歴史を論じてしまう。あるいは「主眼を廃した客観的な方法論」を論じ、
新即物主義とのつながりを見て、タイポロジーの系譜を辿ったりする。もし対象自体に意味があるのであれば、
それはドキュメンタリーにほかならない。もし対象は任意であり、写真のスタイルをも含めた意味でのタイポロジーが重要だというのであれば、
ベッヒャー・シューレは無限に増えるであろう。
(中略)
ベッヒャー論をさらに混乱させるのは、「対象の尊厳を十全に引き出すために、人為をミニマルに切り詰める」という類の言い回しである。
「何もしない、何も作らない」この方法論はドキュメンタリー写真「例えば写真集「ルール工業地帯」)に限りなく近い。これはゲージが
「音を音のままにしておく」と言う時に生じる誤解と同型だ。音を音のままにするために、何もしなければ。それは騒音になるだるだろう。
そして騒音もまた音楽の一つである。だから、音を音のままにするためには、何かしなければならない。つまり「何もしない」ためには、
厳密な秩序に従わなければならない(ゲージが用いた易教のように)。それがベッヒャーの場合タイポロジーであり、
彼らの不動のスタイルである。
ベッヒャーの作品は反ドキュメントである。ドキュメントとは、ある現実(と想定された)
状況についてのドキュメントであるからストーリー(説明文、報道記事)から自由でない。言い換えれば、写真に写された断片とは、
連続した現実の部分であるとされる(部分→全体)。しかしレフェランは何かの部分ではなく、完結している。何もしない、
とはモノをモノのまま完結させて写真を撮ること。モノをレフェランにすることである。だからレフェランは何もドキュメントしない。つまり、
厳密な秩序に従ったドキュメンタリーというのは存在しないのだ。
ベッヒャー・シューレを論じるにあたって、ベッヒャー的レフェランの特質はその政治性にあると私は考えている。もちろん、
直接彼らの作品に政治的なモティーフを探すというのはナンセンスである。しかし、芸術を政治から隔てようとする純粋主義(芸術のための芸術)
と、政治的な芸術(例えば政治的マイノリティの作品)に良心的な同意を贈る身ぶりは、同じヒステリーの表裏であり、それは、
芸術は政治的な主題(とは、たいていの場合全く政治的ではない)に従わなくとも本質的に政治的であること、それどころか、
最も非政治的なものこそ政治は宿っているのだ、ということを隠蔽する。戦後ドイツにおいて、最もこの抑圧が顕著なのが芸術(ファインアート)
の分野である。芸術は非政治的でなければならない。芸術を「政治的な芸術」のゲットーの外部で政治的に解釈すること、特に、
やっとドイツという壁を越えて国際的になった芸術に対してそうすることは不快であろう。それこそ政治の効果なのだ。
配線から復興した文化的国家として、首相は当然モーツァルトくらいはピアノで弾けなければならないし、
官僚の趣味も会議後のオペラでなければならない。彼らは「教養」の政治性を知悉しているからである。戦後の新生ドイツは、もはや「ドイツ」
ではなくなった国民としての同一性を芸術と文化に託した。それは立派な政府だったのである。今は削減の方向にあるとはいえ、文学、美術、
音楽への恵まれた公的助成は、戦後政治の一部である。芸術に国家予算をつぎ込むこと。それ自体は何ら批判すべきことではない。しかし、
スキャンダラスな言い方をすれば、それもまた西ドイツにおけるナチスの遺産なのである。
以下で述べるように、ベッヒャー・シューレを戦後ドイツという特定の政治的空間と切り離して考えることは不自然である。もちろん、
強調しておきたいが、それは不可能ではないし、本論で示される解釈はたんなる一解釈にすぎない。ただ、
ドイツという固有の文脈を消去したとき、それは抽象的な解釈ゲームになるだろう。
(「白と黒で 写真と・・・・・・」 清水穣 現代思潮新社)