2007/04/08

ダイアン・アーバスの死(1) グロスマンの証言

七月十日は週末で、ダイアンはナンシー・グロスマンとアニタ・シーガルが住んでいるロフトを訪れた。「日曜日の午後でした。
ダイアンはひどく取り乱していました」とグロスマンは語っている。「ダイアンが『わたしたち、町をあさっていたのよ』と言うので、
マーヴィンと町を歩いていたのかと思いましたが、マーヴィンは一緒ではなかったのです。ダイアンはアニタとわたしのところにずっといて、
暗くなっても帰ろうとはしませんでした。


マーヴィンとは十二年もつきあってきたけど、会えないことが多く、彼の生活から締め出されているようで、
とても暗い気持ちになると言いました。夏にはいつも元気がなかったけれど、この夏もひどい状態でした。
マーヴィンの生活から締めだされていることに漠然とした怒りを感じ、すっかりとおちこんでいました。


ダイアンはとめどもなく涙を流しながら、くどくどマーヴィンの話をしたかと思うと、今度は仕事のことにふれ、
仕事によって何も得るものがないと言ってまた泣くのです。『仕事はもう何の役にもたたない』ということでした。
何ヶ月もかけて精神薄弱者の撮影にうちこみ、そのために精も根もつきはてるほどの思いをしたあげく、写真はよくない-
とても手に負えないのだ。この被写体には昔のように迫ることができなかった-これは自分にとって新しい対象なのだ。
現像してコンタクトをつくったが、プリントはしていない。急にどうでもよくなったのだと言い、『仕事はもう何の役にもたたない』
と繰り返しました。話を聞いているうちに、これは芸術家の身に起こる最も恐ろしいことにちがいないと思いました-
発見する意欲を失ってしまうことです。突然、何のいわれもなく、自分の作品から何も感じられなくなり、
そこから何も得られなくなるというのはどういうことでしょうか? 彼女の気持ちをひきたてようとして、
新聞を切り抜いて集めている一番新しい写真を見せましたが、まったく興味を示しません。そのうちに、ダイアンはアニタの膝に坐り、
こんどはアニタが慰めようとしましたが、ダイアンはただ泣くばかりでした。そして、こう言うのです。『二人とも好きよ。
あなたたち二人と寝られたらどんなにいいかと思うわ』。およそその場にふさわしくない言葉でした -ひどい暴言です-
 わたしは愕然としました。アニタとわたしは愛人同士ではなかったし、これまでもそういう関係ではなかったのです。
それに二人ともダイアンと性的な関係をもたなかった-そもそもどんな女性ともそういう間柄になったことはありません。
わたしたちはダイアンとは三年ごしの友人でした。よく顔をあわせていたし、とても親しくしていたけれど、
わたしたちのあいだにセックスは介在していなかったのです。いまにして思えば、ダイアンがあのとき望んでいたのは慰めだったのです。
くつろげる場を必要としていたのです。ちょうどロースト・チキンをつくっていたので、焼きあがったところでダイアンにごちそうしました。
ダイアンは何日も食べていなかったみたいにがつがつ食べました。そのあとで、また気が滅入ってしかたがないと言い、
さらにこの前のハンプシャー・カレッジでの講演の話になりました。写真家であるとはどういうことなのかを説明しようとしたそうです。
写真家は人間の魂をとらえることができる、だからこそ写真はとても不吉で神秘的なのだ、と。それから、どうしたはずみか、ニュー・
スクールで教えていたときの経験を思い出して、こんな話をしました。教室で授業をしている最中に生理がはじまって血が脚を流れ落ちた時、
『なんてすばらしい』と思ったというのです。ダイアンは生理を迎えるのが好きだったんです! 生理を喜び、生理痛を歓迎し、
出血を歓迎したのです-そのときは何かを感じ、無感覚ではなくなったそうです。思春期になってから、あらゆるもの-コーテックス、モデス、
タンポンなど-を試したと言いました。レクソールズ薬局で買った新製品まで使ってみたそうです-小さなコップのような形をしていて、
それで血を受けるのだそうです。そんな話をしながら、ダイアンは生理になった時の気持-自分が成人した女であることの喜びと誇り-
を思い出して楽しんでいるいるようでした。あとで、もっと気分が落ち着いてくると、ダイアンは画用紙に手型を押しました。
(いまでもそれをもっています。)わたしも手伝いました-ダイアンは掌紋を取ろうとして指をしっかり押しつけました。やっと帰るときには、
顔色こそ青白く疲れているようでしたが、それでも少しは気分が軽くなったと言っていました。ダイアンとは、これが最後になりました」


(「炎のごとく」 パトリシア・ボズワース 名谷一郎訳 文藝春秋)