2007/04/08

アーバス、ローライフレックス

この時代の多くの写真家がそうしていたように、ダイアンも長年ライカを使っていたが、1962年にはローライフレックスに替えた。
カメラを替えたのは、ライカの平板な視野が自分の写真をいっそう非現実的にするからだと説明したことがある。
この頃には自分のプリントの粒子の粗さが気になりはじめていて、対象の質感をとらえたいとも思っていた。ダイアンの師のリゼット・
モデルもこう強調していた。「最も神秘的なのは、明確に表現された事実である」


サイズが6×6センチのローライを使うと、ネガの粒子はもっと目立たなくなって、望みどおりの明確な表現が可能になり、
その結果としてこれまで彼女の作品のきわだった特徴とされてきた一見して単純な古典的スタイルはさらに洗練されたものとなった。しかし、
最初のうち、ダイアンは新しいカメラによる映像の鮮明さに怖気をふるい、彼女の言う「新しい四角のフレームの融通のなさ」に手こずった。


ダイアンは、その頃ボストンにいたメザーヴィ夫妻にこんな手紙を書いている。「気おくれがして、ひどく滅入っています。
三五ミリのかわりに6×6センチを使うことに気がついたのはよいのですが、いまのところ結果としてあらわれたのは、
まったく撮れなくなったということだけです」


,(「炎のごとく」 パトリシア・ボズワース 名谷一郎訳 文藝春秋)