2007/04/10

コジェーヴとシュトラウス

コジェーヴとシュトラウスが一致するのは、古代の哲学と近代の「知恵」のどちらを選択するかで、
われわれの政治的生活のありかたが大いに深刻な影響を受けるという点であった。かれらがこの問題を議論しはじめたのは30年代であったが、
かれらの論争の焦点がさだまるのは戦後になってから、すなわちコジェーヴの『ヘーゲル読解入門』と、クセノフォンの対話篇『ヒエロン』
の英訳および詳解であるシュトラウスの『僭主政治論』が出版されたのちのことである。1948年初版のシュトラウスの小著は、一見すると、
ある忘れ去られた作品にかんする学識に富んだ研究以上のものではないようにみえる。しかしコジェーブは、
それが二人の以前の論争と二十世紀ヨーロッパの政治的経験に関係があることをたちどころに理解して、フランス語で長文の書評を書いた。
シュトラウスにとってこの経験にかんするもっとも衝撃的な事実は、新しい僭主政治が誕生したことではなかった-
僭主政治は政治生命と同じだけ古い問題だからである。
むしろかくも多くの哲学者たちと知識人たちがこれらの経験をありのままにみとめることをしなかったことが衝撃なのである。『ヒエロン』
の教えとは、シュトラウスの読み方によれば、哲学は僭主政治の危険に、すなわち節度ある政治と哲学的生活のどちらにも脅威となる僭主政治に、
注意を怠ってはならないということである。哲学は哲学そのものの自律性を擁護するのに十分なだけ政治について理解しなければならないが、
哲学が哲学自身の光に照らして政治的世界をいかようにも造形できると考える誤りに陥ってはならない。哲学と政治のあいだの緊張は、
たとえ政治が最悪の僭主政治的形態をとった場合でも処理することは可能だが、緊張がなくなってしまうことは断じてないのだ。
それゆえこの緊張は、哲学者たちすべての主要な関心事でありつづけねばならない。そこから逃れようとして、楽園に引きこもったり、
反対におのが心を政治的な権威に譲りわたすどんな試みも、かならずや哲学的反省の終焉を意味するのである。


書評でコジェーヴは、シュトラウスそのひともある先入見の犠牲者ではないかといって反論する。
僭主政治に向けられたこの古代の先入見は、近代の僭主政治(コジェーヴが念頭においているのはソヴィエト連邦である)が歴史の仕事を促進し、
よりよき未来への道を準備することもある、という点がわからないのだ。しかし、さらに深いところでコジェーヴが非難するのは、
永遠に真なるもの、美しきもの、善きものを探求する個人の私心なき反省という、古代的な、
そして幻想の哲学概念にシュトラウスが固執していることである。そのような永遠の観念などありはしないこと、
あらゆる観念は人間の闘争の歴史からはじめて生起するということ、ひとたびそれを理解した近代の哲学者たちは、歴史に能動的に関与して、
現在のうちに潜在している未来の真理を実現させねばならないことを理解した。それゆえ哲学者と僭主は、
歴史の仕事を成就させるためにお互いを必要とする。僭主には、
現在のなかにどのような潜在力がひそんでいるかを教えてくれるひとが必要であるし、哲学者には、
この潜在力を現実化するだけの大胆な人間が必要である。両者の関係は、コジェーヴにいわせれば、
それぞれの側で成熟しきった両者の納得ずくの「理性的関係」なのだ。両者の仕事の成否については、歴史が唯一の審判者になりうる。


この挑戦にたいするシュトラウスの回答には、コジェーヴの立場から賭けられているものをかれがどれだけ深く理解したかがうかがわれる。
シュトラウスが不思議でならないのはつぎのことである。近代というイデオロギーを護符にするだけで、
スターリンの僭主政治が古代の僭主政治から道徳的に区別される、などと考えることがコジェーヴにはどうしてできるのか。さらに突きつめれば、
コジェーヴは自分の知恵の知恵たるゆえんについてどうしてそこまで確信できるのか。「哲学は」、とシュトラウスは主張する、「それ自体、
諸問題の、すなわち根本的にして包括的な諸問題の、純粋な意識以外のなにものでもない」。コジェーヴの思考のやり方には、
深いところでどこか非哲学的な、非人間的ですらあるもの-一方に啓蒙への無限の希求を押しとどめようとする要求と、
他方に人間的な努力というものが存在しなくなり、
われわれすべてが満足しきった日が訪れることへのメシア信仰的な希望とが表裏一体になったもの-がある。
「人間は国家によって合理的な仕方で満足させられるようになるといわれている」。だがシュトラウスにいわせれば、「そのような国家とは、
人間性の根拠が枯渇していくところ、あるいは人間がその人間性を喪失するところである。それはニーチェのいう「末人」の国家である」。


コジェーヴのユーモアのセンスは有名で、手紙やインタビューの多くと同時に、
ここでもかれがどこまでまじめなのかは完全に明らかではない。だがシュトラウスは、アイロニーと茶目っ気の下にあるものをみてとった。
それはかれに知的な敬意をおぼえさせると同時に、かれを戦慄させもした。コジェーヴにとって、
啓蒙の希求や道徳的完成の放棄によって人間がより人間的でなくなってしまう見込みは、ユートピア的な願望でもなければ、
ディストピア的な恐怖でもなかった。それはひとつの可能性、歴史によって次第に信憑性のあるものにされてきたからこそ、
勘定に入れておかねばならない可能性であった。冷戦中のかれが、リベラル・
デモクラシーの資本主義と僭主政的な国家社会主義のあいだで中立を守ったのは、かれの同国人たちの非人間化の可能性にかんする、
さらに深いところにある無関心に根ざしたことだった。かれらが嘗めた辛酸にかれが関心を寄せるのは、それが承認をめぐる闘争を生みだし、
さらにこの闘争が歴史の形成に成功するかぎりにおいてでしかなかった。負け組の運命などに、かれはいっさい関知しなかった。
幸いにしてコジェーヴは、この点にかんして自分の無神経さを試してみることが許されるような公的地位にはいちども就かなかった。
しかしかれの事例は、ある人びとの歴史的な経験をよりよく理解するためのきっかけになる。すなわちその経験とは、
ロシア人かどうかはさておき、ある思想をまるで聖遺物のようにあつかい、
その霊感にそそのかされるがままに社会を思想に似せてつくりなおそうとしてきた人びとの経験である。


(「シュラクサイの誘惑」 マーク・リラ 佐藤貴史・高田宏史・中金聡訳 日本経済評論社)