2008/02/13

プレイス・リテラシー

――場所に関するリテラシー、エコロジカルなリテラシー、環境に関するリテラシーを持たねばならな
くなってきた……。

ときどき冗談で他のひとをテストしたりすることがありますよ。町や通りの名前を用いないであなたの
家まで人を案内しなさい、というテストです。自然の特徴だけを使って説明するのです。

――樹木や草の名前を知らないといけないのですか。

いや、それよりもクリークや丘の名前を知らないといけない。たとえば町や道路の名前を一度も言わな
いで、友人を私の家まで案内するにはどのように説明すればいいのだろうか。このようなことは、自分
のすんでいる場所をよく知っていないとできませんね。

――このようなプレイス・リテラシー、あるいはエコロジカル・リテラシーは徐々にアメリカ社会に浸
透しつつあると感じますか。

そういうことが始まってきていると思います。アカデミックなレベルでは、私はよくこう言う。つまり、
マイノリティーは周縁化されていたが発言権を獲得した。女性も周縁化されてきたが、ついには発言権を獲得するようになった。さて、いまは自然が発言権を獲得する番だ、いつまでも周縁化するわけにはいかないはずだ、それに人間はいつまでも自然の声の抑圧者でいるわけにはいかない。そして人間はいつまでも場所を抑圧しないで、場所の声に耳を傾けるべきだーー。まあ、こんなことを言ったりするわけですが、耳の痛い話であるかも知れませんね(笑)。

――でもこのような議論から逃れることはもう難しくなってきましたね。

彼らが受けたリベラルな教育のパラダイムからすればこのような視点を無視することはできないはずです。教育のある人は文化的な事柄を知っているのと同じ程度に自然を知るべきだと思いますね。

――場所の文学は新しい文学だと思いますが、読者がそこから学ぶものがあるとすればそれはどのようなものでしょうか。

いくつかの視点から考えることができると思います。たとえば、同じ場所に住んでいる読者には、その
場所に関するさらに深い洞察をもたらすでしょうね。読者の場所の感覚がさらに深まるはずです。また、ちょうど人間の関係を描く小説は読者の人間関係に対する理解を深めるように、場所についても同様のことが言えます。もちろん、場所の文学は人間をも巻き込んだもので、場所だけを描くものではない。それはノンヒューマンの世界と人間との複雑な関係を示唆するものです。だから、21世紀の世界で我々がやるべきことは、人間はどこにいても自然のコンテクストの中で生きているということ、人間は場所を喪失し場所から引き離された存在ではなく、自然の中に生きているということを示すことだと思います。現代人は自らは他の存在に依拠しないで自立して存在しているという幻想を抱いていて、そこから世界の破壊が始まった。場所の文学は倫理的にも、政治的にも、このような幻想を断ち切る契機になるものだと思います。
都市の工業化された世界でも我々は場所に住んでいるのです。この世界は我々だけのものではなく、他の生物たちのための世界でもあるということを理解しなければならない。だから、バイリージョナリズ
ムの思想は、究極的には我々はすべてがこの地球という惑星の住人であり、地球はひとつの流域だと主張するのです。私たちはだれもがひとつの生態系の中に生きているのです。


Gary Snyder
1930年5月8日、サンフランシシコ生まれ。オレゴン、ワシントンの森林地帯で少年時代を過ごす。
リード大学で言語学、人類学を専攻。同校卒業後、きこり、山林監視員、水夫などに従事する一方、カ
リフォルニア大学バークレー校で、中国古典を学ぶ。55年、ギンズバーグ、ケルアックらと出会い、仏
教やヨガといった東洋思想を伝える。56年、来日。通算八年間、京都の大徳寺などで臨済禅の修業を体験。禅のほかにヒンドゥー教、真言密教、アメリカ・インデアンの神話などに造詣が深い。
59年、最初の詩集『Riprap』を発表。75年に『亀の島』でピューリッツアー賞を受賞。97年、ボリンゲ
ン賞。98年、仏教伝道文化賞。現代アメリカを代表する詩人。

(「Hotwired Japan」 1998年9月1日 から引用)