2008/02/11

板垣退助 「相撲と国技館」

国技館開館前日発行の東京日日新聞明治四十二年六月二日に、「相撲と国技館」という見出しで、板垣伯爵の常設館設立の委員長としの立場としての談話記事が載っており、この中には以下のような国技館設立の目的を明らかにした部分がある。なお、国技館と常設館の言葉が入り交じっており、この点に注意して読む必要がある。

国技館の設立は時勢の要求に応じて出来たものである。維新前、未だ外国と交通が無かった時は兎もかく、今日の如く欧米諸国から貴賓が来るようになる、随て我国固有の相撲が海外人に見られるようになっては、如何にしても常設館が無くては不可ない。茲に於て、古来嘗て其の例の無い常設館を建てることになったのである。

仮小屋(掛け小屋)が粗末な相撲場であることを暗黙の前提として、こんなところで欧米の相撲を見てもらうのは大変恥ずかしい、だから国技館を建てることになったと言っているわけである。明治の初めでは、外国人に野蛮だと思われたくないと、裸体を禁止し、これが引いては相撲禁止の風潮を生むことにつながったことは第一章で述べたが、今度も外国人を強く意識したのである。明治時代の日本人は外国人の目をひどく気にしたのである。

(『相撲、国技となる』 大修館書店 風見明)