質問者G:先程からテキストが基本だということを再三おっしゃられていますけれども、私は亡命文学を研究しておりまして、あのう、重訳っていうんでしょうか、母国語から違う語に訳されて、それから日本語になっているものが非常に多いことに気づきまして、そこに面白みを感じて勉強を始めたということがあるんですけれども、重訳では母国語が持っている小説の質感などがだいぶ異なってしまう、訳された外国語のところで変わってしまっている部分が少しあると思うんですね。それが、さらに日本語に訳されるときにまた変わってしまって、母国語、作者が書いたもとのものとはかなり違ってしまったというのをずいぶん見たことがあるんです。そういう部分にちょっと疑問を持ったんですけれども、重訳ということに関して、テキストに重きを置くという意味で、いかがでしょうか。
村上(春樹):僕は実を言いますと、重訳ってわりに好きなんですよね。僕はちょっと変なのが好きだから、重訳とか、映画のノベライゼーションとか、興味あります。だから僕の場合はいささか偏見が入っちゃっているんだけど、いまおっしゃったような問題はこれから、グローバライゼーションということもあって、ものすごく増えてくると思うんです。たとえば僕の小説はノルウェー語に四冊ぐらい訳されているんですが、ノルウェーというのはなにしろ人口四百万人ぐらいの国だから、やっぱし日本語を訳せる翻訳者の数も少ないし、売れる部数も少ないんで、どうしても英語からの翻訳が半分ぐらいになります。四冊のうち、日本語から直接訳されているのが二冊と、英語訳からノルウェー語に訳されているのが二冊ということですね。
はっきり言って、いまはニューヨークが出版業界のハブ(中心軸)なんですよね。好むと好まざるとにかかわらず、そこを中心に世界の出版業界は回っています。言語的に言っても英語が業界のリンガ・フランカ(共通語)みたいになっています。この傾向はこれからもっと強くなるだろうと思われます。だから、いまおっしゃったように重訳の問題っていうのは、これからいっぱい出てくると思います。
正論で言えば、もちろん日本語からの直接翻訳がいちばん正確だし、またそうであるべきなんだけれども、正論ばかり言ってはいられないという状況はずいぶんと出てくるだろうと僕は思うんですよ。世界の交流のスピードは急激に速くなっているし、現実的に言って、日本語からの直訳を世界じゅうの国に対して要求できるほど、日本語の地位は今のところ高くないです、残念ながら。だから、僕らがそういうシステムにある程度慣れていかないといけないんじゃないかなと思います。そしてその中でルールみたいなものを確立していく必要がある。もう一つ、英語に翻訳されるときはかなり細かくチェックすることも必要だろうと。個人的にはそう思います。
柴田(元幸):僕も『ダブル/ダブル』っていうアンソロジーを訳したときには、ラテンアメリカの作家の、だから、スペイン語の英訳から訳したりしているわけですね。やっぱりそういうときには、スペイン語の原文が読める人に、スペイン語の原文と照らしあわせてもらって、直してもらいます。そうするとですね、やっぱりもう一般論はないです。英訳が良ければほとんど違いはありません。で、悪ければもう、ほとんど違う話になってたよ、てなこともあって、その人が全部訳し直してくれたというのに近かったりするんですね。だから、本当に一般論としては言えないですけれども、まあとにかく、重訳というのはコピーのコピーを取るみたいなもので、そうすると鮮度は・・・・・・鮮度じゃない。それは魚だな(笑)。精度というのかな。ええっと、が、やっぱり落ちる。その落ち方はそのコピー機の性能によるということにつきると思うんですよね。でもとにかく、そこから一般論が言えるとすれば、要するにもう、あらゆる翻訳は誤訳であるということで、何らかのノイズは忍び込むということであり、重訳の場合はノイズの増える割合が大きいということじゃないかなあ。
村上:バルザックを英語で読んだりとか、ドストエフスキーを英語で読んでいるとね、けっこうおもしろいんですよね。不思議な味わいがある。おもしろいっていう点から言えばね。
柴田:ただ、あれですよね、ヨーロッパ言語同士の翻訳だと、言語構造は、そうははなはだしく違わないから、一般論としてわりにノイズが増えないんだろうなという気はするんですよね。たとえば、英語の小説を日本語に訳して、その日本語からまた、たとえばフランス語に訳したりすると、かなり大きく変わる。要するに、英仏日とやるのはそんなに変わらないにしても、英日仏だと何か大きな変化が二度あるような気がしますね。
村上:僕の小説がそういうふうに重訳されているということから、書いた本人として思うのは、べつにいいんじゃない、とまでは言わないけど、もっと大事なものはありますよね。僕は細かい表現レベルのことよりは、もっと大きな物語レベルのものさえ伝わってくれればそれでいいやっていう部分はあります。作品自体に力があれば、多少の誤差は乗り越えていける。それよりは訳されたほうが嬉しいんです。
柴田:それはそうですよね。
(『翻訳夜話』 村上春樹 柴田元幸 文春新書)