死の瞬間はない。死は境界ではない。生の終わりは瞬間でも境界でもない。同様に、生の始まりは、瞬間でも境界でもない。起こっていることは、生と死の浸透、生への死の分散、死への生の分散である。これが末期の生の実情、そして、生そのものの実情である。だから、病人の生を肯定し養護することは、生そのものの肯定と擁護に繋がるのである。
(『病の哲学』小泉義之 ちくま新書 218頁)