2007/02/06

アーレントとトクヴィルとの相似点

ルソー的な自己の意志と一致する「一般意志」というものは、同質的で透明な社会を背景とし、単一の意志をもつ。
人民主権の名のもとに権威が人民に発し、権力が人民の名の下に行使されるがゆえに、この権力は全能であり、
しかも可視的中心を持たず匿名的である。顔のない権力は最も不気味である。
単一の社会原理が一つの社会で社会で不可侵の至上性を持つのを許す危険こそ民主主義の最大の陥穽であり、市民による具体的な、
その都度の判断力の行使が、この危険を避ける道なのである。また、複数の主体には自らを示すことのできる空間が必要とされる。
これがなければ彼らは差異を明確に認識することすらできないであろう。この点で、公的空間、政治的空間の存在、、
その確保は非常に重要である。ここにもアーレントの公的領域の復権という相似している点が見られる。


(「ハンナ・アーレント入門」 杉浦敏子 藤原出版)