2007/02/07

撮影すると言うことは重要度を授けること

「撮影すると言うことは重要度を授けることである。おそらく美化しえないような被写体はないであろうし、
さらにすべての写真に本来備わっている、被写体に価値を付与しようとする傾向を抑える方法はない。

しかしホイットマンの福音書のパロディである、写真映像の現代文化に見られるように、価値の意味自体が変わりうるものである。
前民主主義の文化の大邸宅では、写真を撮られる人物というのは有名人である。ホイットマンが情熱をこめて目録を作り、
ウォーホールが肩をすくめて評価した。アメリカの経験の共同耕作地では、だれもが有名人である。その瞬間をとっても、
ほかのなにかより重要というものはない。どの人物をとっても、ほかのだれかより面白いというひとはいない。」


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)