2007/02/09

アーバスの自殺

「アーバスはおそらく、異形人たちと親しく交わることの魅力、偽善、不快を至極単純に考えていたのだろう。
発見して大いにもえたあとには彼らの信頼をかちえたこと、彼らを恐れなかったこと、嫌悪感を乗り越えたことの震えるような喜びがあった。
異形人の写真を撮ることは 「わたしにはぞくぞくするような興奮でした。わたしはただもううっとりしていました」
 とアーバスは説明している。


ダイアン・アーバスが1971年に自殺したときは、写真関係者の間では彼女の写真はすでに有名になっていた。しかし、シルヴィア・
プラスの場合と同じく、彼女の作品が彼女の死後集めた注目はまた別種のもので、一種の神格化であった。彼女の自殺の事実が、
彼女の写真は誠実なものであって覗き趣味ではなく、またいたわりのあるものであって冷たいものではないことを保証しているように見える。
彼女の自殺はまた、その写真が彼女にとって危険なものであったことを証明するかのように、その写真を一層恐ろしいものにしているようだ。


彼女は自分でもその可能性をほのめかしていた。 「なにもかもがそれはすばらしく、息を呑むようです。
わたしは戦争映画でやっているように、腹這いになって進んでいるんです」。

写真はふつうは遠くから神の視点で眺めるが、ひとが写真を撮ることで殺される状況がひとつある。
人びとが互いに殺し合っているのを撮影するときである。戦争写真だけが覗き趣味と危険を結びつける。
戦争写真家は彼らが記録する死の活動に参加しないわけにはいかない。彼らは階級章はつけないが、軍服さえ着用する。人生は 
「ほんとうにメロドラマ」 だということを(撮影を通じて)発見すること、カメラを攻撃の武器として理解することは、
人的損害もあるということを意味する。 「もちろん限界はあります。部隊がこちらに向かって進撃開始しようものなら、
それこそあの絶体絶命の感じに近づきます」 と彼女は書いた。アーバスの回想の言葉は一種の戦死について述べている・・・・・・
ある限界を超えたところで、彼女は自分の誠実さと好奇心の損傷という精神的待ち伏せに会ったのである。」


(「写真論」 スーザン・ソンタグ 近藤耕人訳 晶文社)