2010/09/14

オノデラユキ オルフェウスの下方へ

きっかけはある人物が宿泊中のホテルの部屋から突然姿を消し行方不明になったという事件の記事だった。奇妙なのは、その人が突然消えたということ以外にホテルの部屋には何も異常は見当たらなかったこと。部屋の鍵は内側から掛けられていて窓もしまっているし、荷物もそのまま、鍵もその部屋の中に置かれていた。ミステリーとしては仕掛けが少ない。事件から二年半後、私はそのホテルの同じ部屋を指定して宿泊した。その人の「行方」に興味があったから、その室内を撮影するために。写真が何かしらの形跡を留めることもありえるから。

ところでもうひとつ、この失踪事件と繋がると確信している記録がある。遥かな地下世界からやって来た予言者、あるいは狂人についての逸話である。それは太平洋のど真ん中、マオリの長の口述として18世紀のイギリス船の航海日誌に付録的に記述されたものだ。西洋人の来訪も予言者によりすでに知らされていた。その不思議な狂人が世界で最も長い名前の村から30キロほど離れた場所に現れたのは、今日から280年前のこと。地下を旅してきた人、未来のことを語る旅人についての典型的な伝説である。

その人物が現れた場所はちょうど失踪事件があったホテルの部屋の真下1万2700Kmの地点。まるで空想旅行記のようではないか、と思いながらも私はその人物の後を追うために、というよりはその人が見た風景、つまりこのホテルの部屋のまっすぐ下方の先に広がる世界が見たいがために、その場所に移動することになる。

私は、北緯40度25分51秒 ー 西経3度42分28秒 の場所から、南緯40度25分51秒 ー 東経176度17分32秒 の場所遥か下方へ移動した。

1726年、その人が眺めたであろう風景はその場所が世界地図に置き換えられる前からその様に存在していたし、他者によって発見され所有される遥か昔からそこにある。

私は今や逆に、遥か下方となったホテルの部屋のことを思い出しながらその場所を写真に収め風景を共有した。

(2010年7月27日~9月26日 「オノデラユキ 写真の迷宮へ」 東京写真美術館にて)

2010/02/27

バザン「写真画像の存在論」を一言で言えば

バザンの写真論的な意義は、基本的には「写真画像の存在論」に集約されていると言えるだろう。この短い論考は、写真のメディウム的な特性と写真の受容経験との密接な関係を論じるものであり、その意味で写真の根本的な問題を扱うものである。この論考は実際、直接的・間接的に、現代の多くの写真論の基礎となってきた。バザンの主張を一言で言えば、写真は人間の創造的干渉がない画像であり、その人間的なものを一切含まない機械的な再現画像であることに、またその機械的な形成過程を経ることで生じる客観性に、写真画像固有のリアリズムがある、ということになるだろう。

『青弓社「写真空間」No.3 第三章 「アンドレ・バザンからケンドール・ウォルトンへ 写真的リアリズムの系譜」内野博子』