2007/12/24

彼女は素晴らしかった。3フリッパーのスペースシップ・・・

「彼女は素晴らしかった。3フリッパーのスペースシップ・・・・、僕だけが彼女を理解し、彼女だけが僕を理解した。僕がプレイ・ボタンを押すたびに彼女は小気味の良い音を立ててボードに6個のゼロをはじき出し、それから僕に微笑みかけた。僕は1ミリの狂いもない位置にプランジャーを引き、キラキラと光る銀色のボールをレーンからフィールドにはじき出す。ボールが彼女のフィールドを駆けめぐるあいだ、僕の心はちょうど良質のハッシシを吸うときのようにどこまでも解き放たれた。
様々な思いが僕の頭に脈絡もなく浮かんでは消えていった。様々な人の姿がフィールドを被ったガラス板の上に浮かんでは消えた。ガラス板は夢を映し出す二重の鏡のように僕の心を映し、そしてバンパーやボーナス・ライトの光にあわせて点滅した。
あなたのせいじゃない、と彼女は言った。そして何度も首を振った。あなたは悪くなんかないのよ、精いっぱいやったじゃない。
違う、と僕は言う。左のフリッパー、タップ・トランスファー、九番ターゲット。違うんだ。僕は何一つ出来なかった。指一本動かせなかった。でもやろうと思えばできたんだ。
人にできることはとても限られたことなのよ、と彼女は言う。
そうかもしれない、と僕は言う、でも何ひとつ終わっちゃいない、いつまでもきっと同じなんだ。リターン・レーン、トラップ、キック・アウト・ホール、リバウンド、ハギング、六番ターゲット・・・・ボーナス・ライト。121150、終わったのよ、なにもかも、と彼女は言う。」

(『1973年のピンボール』 村上春樹)



ピンボールの目的

「あなたがピンボールマシーンから得るものは殆ど何もない。数値に置き換えられたプライドだけだ。失うものは実にいっぱいある。歴代大統領の銅像が全部建てられるくらいの銅貨と、取り返すことのできぬ貴重な時間だ。
あなたがピンボール・マシーンの前で孤独な消耗をつづけているあいだに、あるものはプルーストを読みつづけているかもしれない、またあるものはドライブ・イン・シアターでガールフレンドと「勇気ある追跡」を眺めながらヘビー・ペッティングに励んでいるかもしれない。そして彼らは時代を洞察する作家になり、あるいは幸せな夫婦となるかもしれない。
しかしピンボール・マシーンはあなたを何処にも連れて行きはしない。リプレイのランプを灯すだけだ。リプレイ、リプレイ、リプレイ・・・・・・、まるでピンボール・ゲームそのものがある永劫性を目指しているようにさえ思える。
永劫性について我々は多くを知らぬ。しかしその影を推し測ることはできる。
ピンボールの目的は自己表現にあるのでなく、自己改革にある。エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。
もしあなたが自己表現やエゴの拡大や分析を目指せば、あなたは反則ランプによって容赦なき報復を受けるだろう。」

(『1973年のピンボール』 村上春樹)



2007/12/14

三木清 「人生論ノート」 旅について

旅について
ひとはさまざまの理由から旅に上るであろう。或る者は商用のために、他の者は視察のために、更に他の者は休養のために、また或る一人は親戚の不幸を見舞うために、そして他の一人は友人の結婚を祝うために、というように。人生がさまざまであるように、旅もさまざまである。しかしながら、どのような理由から旅に出るにしても、すべての旅には旅としての共通の感情がある。一泊の旅に出る者にも、一年の旅に出る者にも、旅には相似た感懐がある。恰も、人生はさまざまであるにしても、短い一生の者にも、長い一生の者にも、すべての人生には人生としての共通の感情があるように。
旅に出ることは日常の生活環境を脱けることであり、平生の習慣的な関係から逃れることである。旅の嬉しさはかように解放されることの嬉しさである。ことさら解放を求めてする旅でなくても、旅においては誰も何等か解放された気持になるものである。或る者は実に人生から脱出する目的をもってさえ旅に上るのである。ことさら脱出を欲してする旅でなくても、旅においては誰も何等か脱出に類する気持になるものである。旅の対象としてひとの好んで選ぶものが多くの場合自然であり、人間の生活であっても原始的な、自然的な生活であるというのも、これに関係すると考えることができるであろう。旅におけるかような解放乃至脱出の感情にはつねに或る他の感情が伴っている。即ち旅はすべての人に多かれ少かれ漂泊の感情を抱かせるのである。解放も漂泊であり、脱出も漂泊である。そこに旅の感傷がある。
漂泊の感情は或る運動の感情であって、旅は移動であることから生ずるといわれるであろう。それは確かに或る運動の感情である。けれども我々が旅の漂泊であることを身にしみて感じるのは、車に乗って動いている時ではなく、むしろ宿に落着いた時である。漂泊の感情は単なる運動の感情ではない。旅に出ることは日常の習慣的な、従って安定した関係を脱することであり、そのために生ずる不安から漂泊の感情が湧いてくるのである。旅は何となく不安なものである。しかるにまた漂泊の感情は遠さの感情なしには考えられないであろう。そして旅は、どのような旅も、遠さを感じさせるものである。この遠さは何キロと計られるような距離に関係していない。毎日遠方から汽車で事務所へ通勤している者であっても、彼はこの種の遠さを感じないであろう。ところがたといそれよりも短い距離であっても、一日彼が旅に出るとなると、彼はその遠さを味うのである。旅の心は遥かであり、この遥けさが旅を旅にするのである。それだから旅において我々はつねに多かれ少かれ浪漫的になる。浪漫的心情というのは遠さの感情にほかならない。旅の面白さの半ばはかようにして想像力の作り出すものである。旅は人生のユートピアであるとさえいうことができるであろう。しかしながら旅は単に遥かなものではない。旅はあわただしいものである。鞄一つで出掛ける簡単な旅であっても、旅には旅のあわただしさがある。汽車に乗る旅にも、徒歩で行く旅にも、旅のあわただしさがあるであろう。旅はつねに遠くて、しかもつねにあわただしいものである。それだからそこに漂泊の感情が湧いてくる。漂泊の感情は単に遠さの感情ではない。遠くて、しかもあわただしいところから、我々は漂泊を感じるのである。遠いと定まっているものなら、何故にあわただしくする必要があるであろうか。それは遠いものでなくて近いものであるかも知れない。いな、旅はつねに遠くて同時につねに近いものである。そしてこれは旅が過程であるということを意味するであろう。旅は過程である故に漂泊である。出発点が旅であるのではない、到着点が旅であるのでもない、旅は絶えず過程である。ただ目的地に着くことをのみ問題にして、途中を味うことができない者は、旅の真の面白さを知らぬものといわれるのである。日常の生活において我々はつねに主として到達点を、結果をのみ問題にしている、これが行動とか実践とかいうものの本性である。しかるに旅は本質的に観想的である。旅において我々はつねに見る人である。平生の実践的生活から脱け出して純粋に観想的になり得るということが旅の特色である。旅が人生に対して有する意義もそこから考えることができるであろう。
何故に旅は遠いものであるか。未知のものに向ってゆくことである故に。日常の経験においても、知らない道を初めて歩く時には実際よりも遠く感じるものである。仮にすべてのことが全くよく知られているとしたなら、日常の通勤のようなものはあっても本質的に旅というべきものはないであろう。旅は未知のものに引かれてゆくことである。それだから旅には漂泊の感情が伴ってくる。旅においてはあらゆるものが既知であるということはあり得ないであろう。なぜなら、そこでは単に到着点或いは結果が問題であるのでなく、むしろ過程が主要なのであるから。途中に注意している者は必ず何か新しいこと、思い設けぬことに出会うものである。旅は習慣的になった生活形式から脱け出ることであり、かようにして我々は多かれ少かれ新しくなった眼をもって物を見ることができるようになっており、そのためにまた我々は物において多かれ少かれ新しいものを発見することができるようになっている。平生見慣れたものも旅においては目新しく感じられるのがつねである。旅の利益は単に全く見たことのない物を初めて見ることにあるのでなく、――全く新しいといい得るものが世の中にあるであろうか――むしろ平素自明のもの、既知のもののように考えていたものに驚異を感じ、新たに見直すところにある。我々の日常の生活は行動的であって到着点或いは結果にのみ関心し、その他のもの、途中のもの、過程は、既知のものの如く前提されている。毎日習慣的に通勤している者は、その日家を出て事務所に来るまでの間に、彼が何を為し、何に会ったかを恐らく想い起すことができないであろう。しかるに旅においては我々は純粋に観想的になることができる。旅する者は為す者でなくて見る人である。かように純粋に観想的になることによって、平生既知のもの、自明のものと前提していたものに対して我々は新たに驚異を覚え、或いは好奇心を感じる。旅が経験であり、教育であるのも、これに依るのである。
人生は旅、とはよくいわれることである。芭蕉の奥の細道の有名な句を引くまでもなく、これは誰にも一再ならず迫ってくる実感であろう。人生について我々が抱く感情は、我々が旅において持つ感情と相通ずるものがある。それは何故であろうか。
何処から何処へ、ということは、人生の根本問題である。我々は何処から来たのであるか、そして何処へ行くのであるか。これがつねに人生の根本的な謎である。そうである限り、人生が旅の如く感じられることは我々の人生感情として変ることがないであろう。いったい人生において、我々は何処へ行くのであるか。我々はそれを知らない。人生は未知のものへの漂泊である。我々の行き着く処は死であるといわれるであろう。それにしても死が何であるかは、誰も明瞭に答えることのできぬものである。何処へ行くかという問は、飜って、何処から来たかと問わせるであろう。過去に対する配慮は未来に対する配慮から生じるのである。漂泊の旅にはつねにさだかに捉え難いノスタルジヤが伴っている。人生は遠い、しかも人生はあわただしい。人生の行路は遠くて、しかも近い。死は刻々に我々の足もとにあるのであるから。しかもかくの如き人生において人間は夢みることをやめないであろう。我々は我々の想像に従って人生を生きている。人は誰でも多かれ少かれユートピアンである。旅は人生の姿である。旅において我々は日常的なものから離れ、そして純粋に観想的になることによって、平生は何か自明のもの、既知のものの如く前提されていた人生に対して新たな感情を持つのである。旅は我々に人生を味わさせる。あの遠さの感情も、あの近さの感情も、あの運動の感情も、私はそれらが客観的な遠さや近さや運動に関係するものでないことを述べてきた。旅において出会うのはつねに自己自身である。自然の中を行く旅においても、我々は絶えず自己自身に出会うのである。旅は人生のほかにあるのでなく、むしろ人生そのものの姿である。
既にいったように、ひとはしばしば解放されることを求めて旅に出る。旅は確かに彼を解放してくれるであろう。けれどもそれによって彼が真に自由になることができると考えるなら、間違いである。解放というのは或る物からの自由であり、このような自由は消極的な自由に過ぎない。旅に出ると、誰でも出来心になり易いものであり、気紛れになりがちである。人の出来心を利用しようとする者には、その人を旅に連れ出すのが手近かな方法である。旅は人を多かれ少かれ冒険的にする、しかしこの冒険と雖も出来心であり、気紛れであるであろう。旅における漂泊の感情がそのような出来心の根柢にある。しかしながら気紛れは真の自由ではない。気紛れや出来心に従ってのみ行動する者は、旅において真に経験することができぬ。旅は我々の好奇心を活溌にする。けれども好奇心は真の研究心、真の知識欲とは違っている。好奇心は気紛れであり、一つの所に停まって見ようとはしないで、次から次へ絶えず移ってゆく。一つの所に停まり、一つの物の中に深く入ってゆくことなしに、如何にして真に物を知ることができるであろうか。好奇心の根柢にあるものも定めなき漂泊の感情である。また旅は人間を感傷的にするものである。しかしながらただ感傷に浸っていては、何一つ深く認識しないで、何一つ独自の感情を持たないでしまわねばならぬであろう。真の自由は物においての自由である。それは単に動くことでなく、動きながら止まることであり、止まりながら動くことである。動即静、静即動というものである。人間到る処に青山あり、という。この言葉はやや感傷的な嫌いはあるが、その意義に徹した者であって真に旅を味うことができるであろう。真に旅を味い得る人は真に自由な人である。旅することによって、賢い者はますます賢くなり、愚かな者はますます愚かになる。日常交際している者が如何なる人間であるかは、一緒に旅してみるとよく分るものである。人はその人それぞれの旅をする。旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。



三木清 「人生論ノート」 瞑想について

瞑想について
たとえば人と対談している最中に私は突然黙り込むことがある。そんな時、私は瞑想に訪問されたのである。瞑想はつねに不意の客である。私はそれを招くのでなく、また招くこともできない。しかしそれの来るときにはあらゆるものにも拘らず来るのである。「これから瞑想しよう」などということはおよそ愚にも附かぬことだ。私の為し得ることはせいぜいこの不意の客に対して常に準備をしておくことである。
思索は下から昇ってゆくものであるとすれば、瞑想は上から降りてくるものである。それは或る天与の性質をもっている。そこに瞑想とミスティシズムとの最も深い結び附きがある。瞑想は多かれ少かれミスティックなものである。
この思い設けぬ客はあらゆる場合に来ることができる。単にひとり静かに居る時のみではない、全き喧騒の中においてもそれは来るのである。孤独は瞑想の条件であるよりも結果である。例えば大勢の聴衆に向って話している時、私は不意に瞑想に襲われることがある。そのときこの不可抗の闖入者は、私はそれを虐殺するか、それともそれに全く身を委せてついてゆくかである。瞑想には条件がない。条件がないということがそれを天与のものと思わせる根本的な理由である。
プラトンはソクラテスがポティダイアの陣営において一昼夜立ち続けて瞑想に耽ったということを記している。その時ソクラテスはまさに瞑想したのであって、思索したのではない。彼が思索したのは却って彼が市場に現われて誰でもを捉えて談論した時である。思索の根本的な形式は対話である。ポティダイアの陣営におけるソクラテスとアテナイの市場におけるソクラテス――これほど明瞭に瞑想と思索との差異を現わしているものはない。
思索と瞑想との差異は、ひとは思索のただなかにおいてさえ瞑想に陥ることがあるという事実によって示されている。
瞑想には過程がない。この点において、それは本質的に過程的な思索と異っている。
すべての瞑想は甘美である。この故にひとは瞑想を欲するのであり、その限りすべての人間はミスティシズムに対する嗜好をもっている。けれども瞑想は本来我々の意欲に依存するものではない。
すべての魅力的な思索の魅力は瞑想に、このミスティックなもの、形而上学的なものにもとづいている。その意味においてすべての思想は、元来、甘いものである。思索が甘いものであるのではない、甘い思索というものは何等思索ではないであろう。思索の根柢にある瞑想が甘美なものなのである。
瞑想はその甘さの故にひとを誘惑する。真の宗教がミスティシズムに反対するのはかような誘惑の故であろう。瞑想は甘いものであるが、それに誘惑されるとき、瞑想はもはや瞑想ではなくなり、夢想か空想かになるであろう。
瞑想を生かし得るものは思索の厳しさである。不意の訪問者である瞑想に対する準備というのは思索の方法的訓練を具えていることである。
瞑想癖という言葉は矛盾である。瞑想は何等習慣になり得る性質のものではないからである。性癖となった瞑想は何等瞑想ではなく、夢想か空想かである。
瞑想のない思想家は存在しない。瞑想は彼にヴィジョンを与えるものであり、ヴィジョンをもたぬ如何なる真の思想も存在しないからである。真に創造的な思想家はつねにイメージを踏まえて厳しい思索に集中しているものである。
勤勉は思想家の主要な徳である。それによって思想家といわゆる瞑想家或いは夢想家とが区別される。もちろんひとは勤勉だけで思想家になることはできぬ。そこには瞑想が与えられねばならないから。しかし真の思想家はまた絶えず瞑想の誘惑と戦っている。
ひとは書きながら、もしくは書くことによって思索することができる。しかし瞑想はそうではない。瞑想はいわば精神の休日である。そして精神には仕事と同様、閑暇が必要である。余りに多く書くことも全く書かぬことも共に精神にとって有害である。
哲学的文章におけるパウゼというものは瞑想である。思想のスタイルは主として瞑想的なものに依存している。瞑想がリズムであるとすれば、思索はタクトである。
瞑想の甘さのうちには多かれ少かれつねにエロス的なものがある。
思索が瞑想においてあることは、精神が身体においてあるのと同様である。
瞑想は思想的人間のいわば原罪である。瞑想のうちに、従ってまたミスティシズムのうちに救済があると考えることは、異端である。宗教的人間にとってと同様に、思想的人間にとっても、救済は本来ただ言葉において与えられる。



2007/12/13

三木清 「人生論ノート」 噂について

噂について
噂は不安定なもの、不確定なものである。しかも自分では手の下しようもないものである。我々はこの不安定なもの、不確定なものに取り巻かれながら生きてゆくのほかない。
しからば噂は我々にとって運命の如きものであろうか。それは運命であるにしては余りに偶然的なものである。しかもこの偶然的なものは時として運命よりも強く我々の存在を決定するのである。
もしもそれが運命であるなら、我々はそれを愛しなければならぬ。またもしそれが運命であるなら、我々はそれを開拓しなければならぬ。だが噂は運命ではない。それを運命の如く愛したり開拓したりしようとするのは馬鹿げたことである。我々の少しも拘泥してはならぬこのものが、我々の運命をさえ決定するというのは如何なることであろうか。
噂はつねに我々の遠くにある。我々はその存在をさえ知らないことが多い。この遠いものが我々にかくも密接に関係してくるのである。しかもこの関係は掴むことのできぬ偶然の集合である。我々の存在は無数の眼に見えぬ偶然の糸によって何処とも知れぬ処に繋がれている。
噂は評判として一つの批評であるというが、その批評には如何なる基準もなく、もしくは無数の偶然的な基準があり、従って本来なんら批評でなく、極めて不安定で不確定である。しかもこの不安定で不確定なものが、我々の社会的に存在する一つの最も重要な形式なのである。
評判を批評の如く受取り、これと真面目に対質しようとすることは、無駄である。いったい誰を相手にしようというのか。相手は何処にもいない、もしくは到る処にいる。しかも我我はこの対質することができないものと絶えず対質させられているのである。
噂は誰のものでもない、噂されている当人のものでさえない。噂は社会的なものであるにしても、厳密にいうと、社会のものでもない。この実体のないものは、誰もそれを信じないとしながら、誰もそれを信じている。噂は原初的な形式におけるフィクションである。
噂はあらゆる情念から出てくる。嫉妬から、猜疑心から、競争心から、好奇心から、等々。噂はかかるものでありながら噂として存在するに至ってはもはや情念的なものでなくて観念的なものである。――熱情をもって語られた噂は噂として受取られないであろう。――そこにいわば第一次の観念化作用がある。第二次の観念化作用は噂から神話への転化において行われる。神話は高次のフィクションである。
あらゆる噂の根源が不安であるというのは真理を含んでいる。ひとは自己の不安から噂を作り、受取り、また伝える。不安は情念の中の一つの情念でなく、むしろあらゆる情念を動かすもの、情念の情念ともいうべく、従ってまた情念を超えたものである。不安と虚無とが一つに考えられるのもこれに依ってである。虚無から生れたものとして噂はフィクションである。
噂は過去も未来も知らない。噂は本質的に現在のものである。この浮動的なものに我々が次から次へ移し入れる情念や合理化による加工はそれを神話化してゆく結果になる。だから噂は永続するに従って神話に変ってゆく。その噂がどのようなものであろうと、我々は噂されることによって滅びることはない。噂をいつまでも噂にとどめておくことができるほど賢明に無関心で冷静であり得る人間は少いから。
噂には誰も責任者というものがない。その責任を引受けているものを我々は歴史と呼んでいる。
噂として存在するか否かは、物が歴史的なものであるか否かを区別する一つのしるしである。自然のものにしても、噂となる場合、それは歴史の世界に入っているのである。人間の場合にしても、歴史的人物であればあるほど、彼は一層多く噂にのぼるであろう。歴史はすべてかくの如く不安定なものの上に拠っている。尤も噂は物が歴史に入る入口に過ぎぬ。たいていのものはこの入口に立つだけで消えてしまう。ほんとに歴史的になったものは、もはや噂として存在するのでなく、むしろ神話として存在するのである。噂から神話への範疇転化、そこに歴史の観念化作用がある。
かくの如く歴史は情念の中から観念もしくは理念を作り出してくる。これは歴史の深い秘密に属している。
噂は歴史に入る入口に過ぎないが、それはこの世界に入るために一度は通らねばならぬ入口であるように思われる。歴史的なものは噂というこの荒々しいもの、不安定なものの中から出てくるのである。それは物が結晶する前に先ずなければならぬ震盪の如きものである。
歴史的なものは批評の中からよりも噂の中から決定されてくる。物が歴史的になるためには、批評を通過するということだけでは足りない、噂という更に気紛れなもの、偶然的なもの、不確定なものの中を通過しなければならぬ。
噂よりも有力な批評というものは甚だ稀である。
歴史は不確定なものの中から出てくる。噂というものはその最も不確定なものである。しかも歴史は最も確定的なものではないのか。
噂の問題は確率の問題である。しかもそれは物理的確率とは異る歴史的確率の問題である。誰がその確率を計算し得るか。
噂するように批評する批評家は多い。けれども批評を歴史的確率の問題として取り上げる批評家は稀である。私の知る限りではヴァレリイがそれだ。かような批評家には数学者のような知性が必要である。しかし如何に多くの批評家が独断的であるか。そこでまた如何に多くの批評家が、自分も世間も信じているのとは反対に、批評的であるよりも実践的であるか。



幸田露伴 「五重塔」

其一
木理美しき槻胴、縁にはわざと赤樫を用ひたる岩畳作りの長火鉢に対ひて話し敵もなく唯一人、少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女、男のやうに立派な眉を何日掃ひしか剃つたる痕の青々と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとどめて翠の匂ひ一トしほ床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリリと上り、洗ひ髪をぐるぐると酷く丸めて引裂紙をあしらひに一本簪でぐいと留めを刺した色気無の様はつくれど、憎いほど烏黒にて艶ある髪の毛の一ト綜二綜後れ乱れて、浅黒いながら渋気の抜けたる顔にかかれる趣きは、年増嫌ひでも褒めずには置かれまじき風体、我がものならば着せてやりたい好みのあるにと好色漢が随分頼まれもせぬ詮議を蔭ではすべきに、さりとは外見を捨てて堅義を自慢にした身の装り方、柄の選択こそ野暮ならね高が二子の綿入れに繻子襟かけたを着て何所に紅くさいところもなく、引っ掛けたねんねこばかりは往時何なりしやら疎い縞の糸織なれど、これとて幾度か水を潜つて来た奴なるべし。今しも台所にては下碑が器物洗ふ音ばかりして家内静かに、他には人ある様子もなく、何心なくいたづらに黒文字を舌端で鰯リ躍らせなどしてゐし女、ぷつりとそれを噛み切つてぷいと吹き飛ばし、火鉢の灰かきならし炭火体よく埋け、芋籠より小巾とり出し、銀ほど光れる長五徳を磨きおとしを拭き銅壼の蓋まで奇麗にして、さて南部霞地の大鉄瓶を正然かけし後、石尊様詣りのついでに箱根へ寄つて来しものが姉御へ御土産とくれたらしき寄木細工の小繊麗なる煙草箱を、右の手に持た鰭甲管の煙管で引き寄せ、長閑に一服吸ふて線香の姻るやうに緩々と姻りを噴き出し、思はず知らず太息吐いて、多分は良人の手に入るであらうが憎いのつそりめが対ふへ廻り、去年使ふてやった恩も忘れ上人様に胡麻摺り込んで、強て此度の仕事をせうと身の分も知らずに願ひを上げたとやら、清音の話しでは上人様に依沽贔員の御清はあっても、名さへ響かぬのつそりに大切の仕事を任せらるる事は檀家方の手前寄進者方の手前も難しからうなれぱ、大丈夫此方に命けらるるに極ったこと、よしまたのっそりに命けらるれぱとて彼奴に出来る仕事で
もなく、彼奴の下に立つて働く者もあるまいなれば見事出来し損ずるは眼に見えたこととのよしなれど、早く良人が愈々御用命かつたと笑ひ顔して帰つて来られれぱよい、類の少い仕事だけに是非して見たい受け合つて見たい、慾徳はどうでも関はぬ、谷中感応寺の五重塔は川越の源太が作りをつた、ああよく出来した感心なといはれて見たいと面白がつて、何日になく職業に気のはづみを打つて居らるるに、もし二の仕事を他に奪られたらどのやうに腹を立てらるるか肝療を起さるるか知れず、それも道理であって見れば傍から妾の慰めやうもない訳、ああ何にせよ目出度う早く帰つて来られれぱよいと、口には出さねど女房気質、今朝背面から我が縫ひし羽織打ち掛け着せて出したる男の上を気遣ふと二ろへ、表の骨太格子手あらく開けて、姉御、兄貴は、なに感応寺へ、仕方がない、それでは姉御に、済みませんが御頼み申します、つい昨晩酔まして、と後はいはず異な手つきをして話せば、眉頭に雛をよせて笑びながら、仕方のないもないもの、少し締まるがよい、といひいひ立って幾千かの金を渡せば、それをもって門口に出で何やら謹々仲間答せし末此方に来りて、拳骨で額を抑へ、どうも済みませんでした、ありがたうござりまする、と無骨な礼をしたるも可笑。



其二
火は別にとらぬから此方へ寄るがよい、といひながら重げに鉄瓶を取り下して、属輩にも如才なく愛嬌を汲んで与る桜湯一杯、心に花のある待遇は口に言葉の仇繁きより懐かしきに、悪い請求をさへすらりと聴てくれしうえ、胸に幡屈りなく淡然と平日のごとく仕傲されては、清吉かへつて心差かしく、どうやら魂塊の底の方がむづ痒いやうに覚えられ、茶碗取る手もおづおづとして進みかぬるぱかり、済みませぬといふ辞誼を二度ほど繰返せし後、漸く乾き切ったる舌を湿す間もあらせず、今頃の帰りとは余り可愛がられ過ぎたの、ホホ、遊ぷはよけれど職業の間を欠いて母親に心配さするやうでは、男振が悪いではないか清吉、汝はこの頃仲町の甲州屋様の御本宅の仕事が済むと直に根岸の御別荘の御茶席の方へ廻らせられてゐるではないか、良人のも遊ぶは随分好で汝たちの先に立って騒ぐは毎々なれど、職業を粗略にするは大の嫌ひ、今もし汝の顔でも見たらばまた例の青筋を立っるに定ってゐるを知らぬでもあるまいに、さあ少し遅くはなっ
だれと母親の持病が起ったとか何とか方便は幾千でもつくべし、早う根岸へ行くがよい、五三様も了った人なれば一日をふてて怠惰ぬに免じて、見透かしても旦那の前は庇護ふてくるるであらう、おお朝飯がまだらしい、三や何でもよいほどに御膳を其方へこしらへよ、湯豆腐に蛤鍋とは行かぬが新湊に煮豆でも構はぬはのう、二、三杯かつ二んで直と仕事に走りやれ走りやれ、ホホ睡くても昨夜をおもへぱ堪忍の成らうに精を惜むな辛防せよ、よいは弁当も松に持たせて遣るは、と苦くはなけれど効験ある薬の行きとどいた意見に、汗を出して身の不始末を漸づる正直者の清音。姉御、では御厄介になって直に仕事に突走ります、と鷲掴みにした手拭で額拭き拭き勝手の方に立つたかとおもへば、既ざらざらざらっと口の中へ打込む如く茶漬飯石、大杯、早くも食ふてしまって出て来り、左様なら行ってまゐります、と肩ぐるみに頭をっいと一ツ下げて煙草管を収め、壼屋の煙草入三尺帯に、さすがは気早き江戸ツ不気質、草履つっかけ門口出づる、途端に今まで黙ってゐたりし女は急に呼びとめて、この二、三日にのつそり奴に逢ふたか、と石から飛んで火の出し如く声を送らし問ひかくれぱ、清音ふりむいて、逢びました逢びました、しかも昨日御殿坂で例ののつそりがひとしほの
つそりと、往生した鶏のやうにぐたりと首を垂れながら歩行いてゐるを見かけましたが、今度此方の棟梁の対岸に立つてのつそりの癖に及びもない望みをかけ、大丈夫ではあるものの幾干か棟梁にも姉御にも心配をさせるその面が憎くつて面が憎くつて堪りませねぱ、やいのっそりめと頭から毒を浴びせてくれましたに、彼奴の事ゆゑ気がっかず、やいのつそりめ、のつそりめと三度めには傍へ行つて大声で怒鳴つて遣りましたれば漸く吃驚して臭に似た眼で我の顔を見詰め、ああ清吉あ1に1いかと寝惚声の挨拶、やい、汝は大分好い男児になつたの、紺屋の干場へ夢にでも上ったか大層高いものを立てたがつて感応寺の和尚様に胡麻を摺り込むといふ話しだが、それは正気の沙汰か寝惚けてかと冷語を篶向から与ったところ、ハハハ姉御、愚鈍い奴といふものは正直ではありませんか、何と返事をするかとおもへぱ、我も随分骨を折って胡麻は摺ってみるが、源太親方を対岸に立ててゐるのでどうも胡麻が摺りづらくて困る、親方がのっそり汝為て見ろよと譲ってくれれば好いけれどものうとの馬鹿に虫の好い答へ、ハハハ憶ひ出しても、心配そうに大真面目くきくいったその面が可笑くて堪りませぬ、余り可笑いので惰気もなくなり、箆棒めといひ捨てに別れましたが。それ限りか。然。左様がへ、さあ遅くな
る、関はずに行くがよい。左様ならと清音は自己が仕事におもむきける、後はひとりで物思ひ、戸外では無心の児童たちが独楽戦の遊びに声々喧しく、一人殺しちや二人殺しちや、醜態を見よ警をとったぞと号きちらす。おもへばこれも順々競争の世の状なり。

其三
世に栄え富める人々は初霜月の更衣も何の苦慮なく、紬に糸織に自己が好きずきの衣着て寒きに向ふ貧者の心配も知らず、やれ炉開きぢゃ、やれ口切ぢゃ、それに間に合ふやう是非とも取り急いで茶室成就よ待合の庇席繕へよ、夜半のむら時雨も一服やりながらでなうては面白く窓撲つ音を聞き難しとの贅沢いふて、木柿凄じく鐘の音氷るやうなって来る辛き冬をば愉快いものかなんぞに心得らるれど、その茶室の床板削りに鉋礪ぐ手の冷えわたり、その庇席の大和がき結ひに吹きさらされて疵績も起すことある職人風情は、どれほどの悪い業を前の世に為し置きて、同じ時候に他とは違ひ悩め困ませらるるものぞや、取り分け職人伸問の中でも世才に疎く心好き吾夫、腕は源太親方さへ去年
いろいろ世話して下されし節に、立派なものぢやと賞められしほど確実なれど、寛潤の気質故に仕事も取り脱り勝で、好い事は毎々他に奪られ年中嬉しからぬ生活かたに日を送り月を迎ふる味気なさ、膝頭の抜けたを辛くも埋め綴つた股引ばかり我が夫に穿かせ置くこと、婦女の身としては他人の見る眼も差づかしけれど、なにもかも貧がさする不如意に是非のなく、今ま縫ふ猪之が綿入れも洗ひ曝した松坂縞、丹誠一つで着させても着きせ栄えなきばかりでなく見ともないほど針目勝ち、それを先刻は頑是ない幼心といひながら、母様其衣は誰がのぢや、小いからは我の衣服か、嬉いのうと悦んでその轟戸外へ駈け出し、珍らしう暖い天気に浮かれて小竿持ち、空に飛び交ふ赤蜻艇を撲いて取らうと何処の町まで行ったやら、ああ考へ込めば裁縫も厭気になって来る、せめて腕の半分も吾夫の気心が働いてくれたならばかうも貧乏はしまいに、技禰はあっても宝の持ち腐れの俗諺の通り、何日その手腕の顕れて万人の眼に止まるといふことの目的もない、たたき大工穴襲り大工、のつそりといふ忌々しい講名きへ負せられて同業中にも軽しめらるる歯痒さ恨めしさ、蔭でやきもきと妾が思ぶには似ず平気なが憎らしいほどなりしが、今度はまたどうした事か感応寺に五重塔の建っといふ事聞くや否や、急にむら
むらとその仕事を是非する気になって、恩のある親方様が望まるるをも関はず胴慾に、このやうな身代の身に引き受けうとは、些えら過ぎると連添ふ妾でさへ思ふものを、他人はなんと噂きするであらう、ましてや親方様は定めし憎いのっそりめと怒ってござらう、お吉様はなほさら義理知らずの奴めと恨んでござらう、今日は大低何方にか任すと;口上人様の御定めなさるはずとて、今朝出て行かれしがまだ帰られず、どうか今度の仕事だけはあれほど吾夫は望んで居らるるとも此方は分に応ぜず、親方には義理もありかたがた親方の方に上人様の任さるれぱよいと思ふやうな気持もするし、また親方様の大気にて別段怒りもなさらずぱ、吾夫にきせて見事成就させたいやうな気持もする、ゑゑ気の採める、どうなる事か、到底良人には御任せなさるまいがもしもいよいよ吾夫のする事になったら、どのやうにまあ親方様お吉様の腹立てらるるか知れぬ、ああ心配に頭脳の痛む、またこれが知れたらば女の要らぬ無益心配、それゆゑ何時も身体の弱いと、有情くて無理な生言を受くるであらう、もう止めましよ止めましよ、ああ痛、と薄痘痕のある蒼い顔を威足めながら即効紙の貼ってある左右の顕頷を、縫ひ物捨てて両手で圧へる女の、齢は二十五、六、眼鼻立ちも醜からねど美味きもの食はぬに賦気少く肌理荒れ
たる態あはれにて、濫棲衣服にそそけ髪ますます悲しき風情なるが、つくづく独り歎ずる時しも、台所の劃りの破れ障子がらりと開けて、母様これを見てくれ、と猪之がいふに吃驚して、汝は何時から某所にみた、といひながら見れば、四分板六分板の切端を積んで現然と真似び建てたる五重塔、思ばず母親涙になって、おお好い児ぞと声曇らし、いきなり猪之に抱きつきぬ。

其四
当時に有名の番匠川越の源太が受負びて作りなしたる谷中感応寺の、何処に一つ批点を打っべきところあらうはずなく、五十畳敷格天井の本堂、橋をあざむく長き廻廊、幾部かの客殿、大和尚が居室、茶室、学徒所化のゐるべきと二ろ、庫裡、浴室、玄関まで、或は荘厳を尽し或は堅固を極め、或は清らかに或は寂びて各々その宜しきに適ひ、結構少しも申し分なし。そもそも微々たる旧基を振ひてかほどの大寺を成せるは誰ぞ。法諌を聞けばその頃の三歳児も合掌礼拝すべきほど世に知られたる宇陀の朗田上人とて、
早くより身延の山に蛍雪の苦学を積まれ、中ごろ六十余州に雲水の修行をかさね、毘婆舎那の三行に寂静の慧剣を礪ぎ、四種の悉檀に済度の法音を響かせられたる七十有余の老和尚、骨は俗界の董壇を避くるによつて鶴の如くに痩せ、眼は人世の紛転に厭きて半睡れるが如く、固より壊空の理を諦して意欲の火炎を胸に揚げらるる二ともなく、浬簗の真を会して執着の彩色に心を染まさるることもなけれぱ、堂塔を興し伽藍を立てんと望まれしにもあらざれど、徳を慕ひ風を仰いで寄り来る学徒のいと多くて、それらのものが雨露凌がん便宜も旧のままにてはなくなりしまま、なほ少し堂の広くもあれかしなんど独語かれしが根となりて、道徳高き上人の新に規模を大うして寺を建てんといひたまふぞと、この事八方に伝播れば、中には徒弟の怜倒なるが白ら奮って四方に馳せ感応寺建立に寄附を勧めて行くもあり、働き顔に上人の高徳を演べ説き聞かし富豪を懲瀬めて喜捨せしむる信徒もあり、さなきだに平素より随喜渇仰の思ひを運べるもの雲霞の如きにこの勢をもってしたれぱ、上諸侯より下町人まで先を争ひ財を投じて、我一番に福田へ種子を投じて後の世を安楽くせんと、富者は黄金白銀を貧者は百銅二百銅を分に応じて寄進せしにぞ、百川海に入る、二とく瞬く間に金銭の驚かるるほど集りけるが、それ
より世才に長けたるものの世話人となり用人となり、万事万端執り行ふてやがて立派に成就しけるとは、聞いてさへ小気味のよき話なり。然るに悉皆成就の暁、用人頭の為左衛門普請諸入用諸雑費一切レめくくり、手腕る事なく決算したるになほ大金の剰れるあり。これをば如何になすべきと役僧の円道もろとも、髪ある頭に髪なき頭突き合はせて相談したれど別に殊勝なる分別も出でず、田地を買はんか畠買はんか、田も畠も余るほど寄附のあれば今更また二の浄財をそのやうな事に費すにも及ばじと思案にあまして、面倒なり好に計らへと雛枯れたる御声にていひたまはんは知れてあれど、恐る恐る円道或時、思きるる用途もやと伺ひしに、塔を建てよと唯=言いはれし限り振り向きもしたまはず、鰭甲縁の大きなる眼鏡の中より徴なる眼の光りを放たれて、何の経やら論やらを黙々と読み続けられけるが、いよいよ塔の建つに定つて例の源太に、積り書出せと円道が命令けしを、知つてか知らずに歎上人様に御目通り願ひたしと、のっそりが来しは今より二月ほど前なりし。

其五
紺とはいへど汗に裡め風に化りて異な色になりし上、幾度か洗ひ濯がれたるため其としも見えず、襟の認印の字さへ朧気となりし絆纏を着て、補綴のあたりし古股引を穿きたる男の、髪は塵埃に塗れて白け、面は日に廃けて品格なき風采の猶更品格なきが、うろうろのそのそと感応寺の大門を入りにかかるを、門番尖り声で何者ぞと軽み誰何せば、吃驚して暫時眼を見張り、漸く腰を屈めて馬鹿丁寧に、大工の十兵衛と申しまする、御普請にっきまして御願に出ました、とおづおづいふ風態の何となく臓には落ちねど、大工とあるに多方源太が弟子かなんぞの使ひに来りしものならむと推察して、通れと:言押柄に許しける。十兵衛これに力を得て、四方を見廻はしながら森厳しき玄関前にさしかかり、御頼申すと二、三度いへぱ鼠衣の青黛頭、可愛らしき小坊主の、応と答へて障子引き開けしが、応接に慣れたるものの眼捷く人を見て、敷台までも下りず突立ちながら、用事なら庫裡
の方へ廻れ、と情熱くいひ捨てて障子ぴつしやり、後は何方やらの樹頭に暗く鵯の声ばかりして音もなく響きもなし。なるほどと独一一口しつつ十兵衛庫裡にまはりてまた案内を請へば、用人為右衛門仔細らしき理屈顔して立出で、見なれぬ棟梁殿、何所より何の用事で見えられた、と衣服の粗末なるに既侮り軽しめた言葉遣ひ、十兵衛きらに気にもとめず、野生は大工の十兵衛と申すもの、上人様の御眼にかかり御願ひをいたしたい事のあってまゐりました、どうぞ御取次ぎ下されまし、と首を低くして頼み入るに、為右衛門ぢろりと十兵衛が垢臭き頭上より自の鼻緒の鼠色になった草履穿き居る足先まで睨め下し、ならぬ、ならぬ、上人様は俗用に御関りはなされぬは、願といふは何か知らねどいふて見よ、次第によりては我が取り計ふて遣る、と然も然も万事心得た用人めかせる才物ぶり。それを無頓着の男の質朴にも突き放して、いゑ、ありがたうはござりますれど上人様に直々でなうては、申しても役に立ちませぬ事、何卒ただ御取次を願ひまする、と此方の心が醇粋なれば先方の気に触る言葉とも勘酌せず推返し言へば、為左衛門腹には我を頼まぬが憎くて悟りを含み、理の解らぬ男ぢやの、上人様は汝ごとき職人等に耳は仮したまはぬといふに、取次いでも無益なれば我が計ふて得させんと、甘く遇へば附
上る言分、最早何も彼も聞いてやらぬ、帰れ帰れ、と小人の常態とて語気たちまち粗暴くなり、膠なく言ひ捨て立んとするに周章てし十兵衛、ではござりませうなれど、と半分いふ間なノ\五月蝿、喧しいと打消され、奥の方に入られてしまふて荘然と土間に突立ったまま掌の裏の蛍に脱失られし如き思ひをなしけるが、是非なく声をあげてまた案内を乞ふに、口ある人の有りやなしや薄寒き大寺の峯閑と、反響のみは我が耳に堕ち来れと咳声一っ聞えず、玄関にまはりてまた頼むといへば、先刻見たる惰気な怜倒小僧のちよっと顔出して、庫裡へ行けと教へたるに、と独語きて早くも障子ぴしやり。また庫裡に廻りまた玄関に行き、また玄関に行き庫裡に廻り、終には遠慮を忘れて本堂にまで響く大声をあげ、頼む頼む御頼申すと叫べば、其声より大き声を発して馬鹿めと罵りながら為左衛門づかづかと立山で、憧僕ともこの江漢を門外に引き出せ、騒々しきを嫌ひたまふ上人様に知れなぱ、我らが此奴のために叱らるべしとの下知、心得ましたと先刻より僕入部屋に転がりゐし寺僕ら立かかり引き出さんとする、土間に坐り込んで出されじとする十兵衛。それ手を取れ足を持ち上げよと多勢口々に罵り騒ぐと二ろへ、後園の花二校三枝勇んで床の眺めにせんと、境内彼方此方違遥されし朗田上人、木簡色
の無垢を着て左の手に女郎花桔梗、右の手に朱塗の把りの鋏持たせられしまま、図らず此所に来かかりたまひぬ。

其六
何事に罵り騒くぞ、と上人が下したまふ鶴の一声の御言葉に群雀の輩鳴りを歌めて、振り上げし拳を蔵すに地なく、禅僧の問答に有りや有りやといひかけしまま一喝されて腰の折けだる如き風情なるもあり、捲り縮めたる袖を体裁悪げに下して狐鼠狐鼠と人の後に隠るるもあり。天を仰げる鼻の孔より火姻も噴べき驕慢の怒に意気昂ふりし為左衛門も、少しは漸ぢてや首を換れ掌を探みながら、自己が発頭人なるに是非なく、有し次第を我田に水引き引き申し出れば、痩せ餓ひだる顔に深く長く痕いたる法令の雛溝をひとしほ深めて、につたりと徐かに笑ひたまひ、婦女のやうに軽く軟かな声小さく、それならば騒がずともよい二と、為左衛門汝がただ従順に取り次さへすれぱ仔細はなうてあらうものを、さあ十兵衛殿とやら老柄について此方へ再来、とんだ気の毒な目に遇はせ
ました、と万人に尊敬ひ慕はるる人はまた格別の心の行き方、宋学を軽んぜず下司をも侮らず、親切に温和しく先に立て静に導きたまふ後について、迂潤な根性にも慈悲の浸み透れば感涙とどめあへぬ十兵衛、段々と赤土のしっとりとしたるところ、飛石の画趣に布れあるところ、梧桐の影深く四方竹の色ゆかしく茂れるところなど榮リ緩り過ぎて、小やかなる折戸を入れば、花もこれといふはなき小庭の唯ものきびて、有楽形の燈寵に松の落葉の散りかかり、方星宿の手水鉢に苔の蒸せるが見る眼の塵をも洗ふぱかりなり。上人庭下駄脱ぎすてて上にあがり、さあ汝も此方へ、といひきして掌に持たれし花を早速に釣花活に投げ二まるるにぞ、十兵衛なかなか怯ず臆せず、手拭で足はたくほどの事も気のつかぬ男とて為すことなく、草履脱いでのつそりと三畳台目の茶室に入りこみ、鼻突合はすまで上人に近づき坐りて黙々と一礼する態は、礼儀に鰯はねど充分に偽飾なき情の真実をあらはし、幾度か直にもいひ出んとしてなほ開きかぬる口を漸くに開きて、舌の動きもたどたどしく、五重の塔の、御願に出ましたは五重の塔のためでござります、と藪から棒を突き出したやうに尻もつたてて声の調子も不揃に、辛くも胸にあることを額やら腋の下の汗と共に絞り出せぱ、上人おもはず笑を催され、何か知らねど老柄をば
怖いものなぞと思ばず、遠慮を忘れて緩りと話をするがよい、庫裡の土間に坐り込うで動かずにゐた様子では、何か深う思ひ詰めて来たことであらう、さあ遠慮を捨てて急かずに、老柄をば朋友同様におもふて話すがよい、と飽くまで慈しき注意。十兵衛脆くも臭と常々悪口受くる銅鈴眼に既涙を浮めて、唯、唯、唯ありがたうござりまする、思ひ詰めて参上りました、その五重の塔を、かういふ野郎でござります、御覧の通り、のっそり十兵衛と口惜い諌名をっけられて居る奴でござりまする、しかし御上人様、真実でござりまする、工事は下手ではござりませぬ、知ってをります私しは馬鹿でござります、馬鹿にされてをります、意気地のない奴でござります、虚誕はなかなか申しませぬ、御上人様、大工は出来ます、大隅流は童児の時から、後藤立川ニツの流義も合点致してをりまする、させて、五重塔の仕事を私にさせていただきたい、それで参上圭した、川越の源太様が積りをしたとは五、六日前聞きました、それから私は陳ませぬは、御上人様、五重塔は百年に一度一生に一度建っものではござりませぬ、恩を受けてをります源大様の仕事を奪りたくはおもひませぬが、ああ賢い人は羨ましい、一生一度百年一度の好い仕事を源大様はさるる、死んでも立派に名を残さるる、ああ羨ましい羨ましい、大工と
なつて生てゐる生甲斐もあらるるといふもの、それに引代へこの十兵衛は、馨手斧もつては源太様にだとて誰にだとて、打つ墨縄の曲ることはあれ万が一にも後れを取るやうな事は必ず必ずないと思へど、年が年中長屋の羽目板の繕ひゃら馬小屋箱溝の数仕事、天道様が智慧といふものを我には賜さらない故仕方がないと諦めて諦めても、拙い奴らが宮を作り堂を受負ひ、見るものの眼から見れば建てさせた人が気の毒なほどのものを築造へたを見るたびごとに、内々自分の不運を泣きますは、御上人様、時々は口惜くて技偏もない癖に智慧ばかり達者な奴が憎くもなりまするは、御上人様、源太様は羨ましい、智慧も達者なれぱ手腕も達者、ああ羨ましい仕事をなさるか、我はよ、源大様はよ、情ないこの我はよと、羨ましいがつひ高じて女房にも口きがす泣きながら昧ましたその夜の事、五重塔を次作れ今直っくれと怖しい人に腸附けられ、狼狽て飛び起ききまに道具箱へ手を突込んだは半分夢で半分現、眼が全く覚めて見ますれば指の先を鍾襲につつかけて怪我をしながら道具箱につかまって、何時の間にか夜具の中から出でみた詰らなき、行燈の前につくねんと坐ってああ情ない、詰らないと思びました時のその心持、御上人様、解りまするか、ゑゑ、解りまするか、これだけが誰にでも分ってくれれば塔も
建てなくてもよいのです、どうせ馬鹿なのっそり十兵衛は死んでもよいのでござりまする、腰抜鋸のやうに生てゐたくもないのですは、其夜からといふものは真実、真実でござりまする上人様、晴れてゐる空を見ても燈光の達かぬ室の隅の暗いところを見ても、白木造りの五重の塔がぬつと突立つて私を見下してをりまするは、とうとう自分が造りたい気になつて、到底及ばぬとは知りながら毎日仕事を終ると直に夜を籠めて五十分一の雛形をつくり、昨夜で丁度仕上げました、見に来て下され御上人様、頼まれもせぬ仕事は出来てしたい仕事は出来ない口惜さ、ゑゑ不運ほど情ないものはないと私が歎けぱ御上人様、なまじ出来ずば不運も知るまいと女房めが其雛形をば揺り動かしての述懐、無理とは聞えぬだけに余計泣きました、御上人様御慈悲に今度の五重塔は私に建てきせて下され、拝みます、こここの通り、と両手を合せて頭を畳に、涙は塵を浮べたり。

其七
木彫の羅漢のやうに黙々と坐りて、菩提樹の実の株数繰りながら十兵衛が埼なき述懐
に耳を傾けゐられし上人、十兵衛が頭を下ぐるを制しとどめて、了解りました、能く合点が行きました、ああ殊勝な心掛を持つてゐらるる、立派な考へを蓄へてゐらるる、学徒どもの示しにもしたいやうな、老柄も思はず涙のこぼれました、五十分一の雛形とやらも是非見にまゐりませう、しかし汝に感服したればとて今直に五重の塔の工事を汝に任するはと、軽忽なことを老柄の独断でいふ訳にもならねば、これだけは明瞭とことわつて置きまする、いづれ頼むとも頼まぬともそれは表立つて、老柄からではなく感応寺から沙汰をしませう、ともかくも幸ひ今日は閑暇のあれば汝が作つた雛形を見たし、案内してこれより直に汝が家へ老柄を連れて行てはくれぬか、と毫も辺幅を飾らぬ人の、義理明かに言葉渋滞なくいひたまへば、十兵衛満面に実を含みつつ来春くごとく無暗に頭を下げて、唯、唯、唯と答へをりしが、願ひを御取上げ下されましたか、ああ有難うござりまする、野生の宅へ御来臨下さりますると、ああ勿体ない、雛形は直に野生めが持ってまゐりまする、御免下され、といひさま流石ののつそりも喜悦に狂して平素には似ず、大袈裟に一っぽっくりと礼をばするや否や、飛石に蹴蹟きながら駈け出して我家に帰り、帰ったと二言女房にもいはず、いきなりに雛形持ち出して人を頼み、二人して
息せき急ぎ感応寺へと持ち込み、上人が前にさし置きて帰りけるが、上人これを熟視たまふに、初重より五重までの配合、屋根庇席の勾配、腰の高さ、橡木の割賦、九輪請花露盤宝珠の体裁まで何所に可厭なるところもなく、水際立つたる細工ぷり、これがあの不器用らしき男の手にて出来たるものかと疑はるるほど巧緻なれぱ、独り私に歎じたまひて、かほどの技偏を有ちながら空しく埋もれ、名を発せず世を経るものもある事か、傍眼にさへも気の毒なるを当人の身となりては如何に口借き二とならむ、あはれ如是ものに成るべきならば功名を得きせて、多年抱ける心願に負かざらしめたし、草木とともに朽て行く人の身は固より因縁仮和合、よしや惜むとも惜みて甲斐なく止めて止まらねど、仮令は木匠の道は小なるにせよそれに一心の誠を委ね生命を懸けて、慾も大概は忘れ卑劣き念も起さず、唯ロハ壁をもっては能く穿らんことを思ひ、鉋を持っては好く削らんことを思ふ心の尊さは金にも銀にも比へ難きを、僅に残す便宜もなくて徒らに北部の土に没め、冥途の萱と齋し去らしめん二と思べば欄然至極なり、良馬主を得ざるの悲み、高士世に容れられざるの恨みも詮ずるところは異ることなし、よしよし、我図らずも十兵衛が胸に懐ける魚価の宝珠の微光を認めしこそ縁なれ、此度の工事を彼に命け、せめ
ては少しの報酬をば彼が誠実の心に得させんと思はれけるが、ふと思ひよりたまへば川越の源太もこの工事を殊の外に望める上、彼には本堂庫裏客殿作らせし因みもあり、しかも設計予算まで既傲し出して我眼に入れしも四、五日前なり、手腕は彼とて鈍きにあらず、人の信用は造に十兵衛に超たり。一ツの工事に二人の番匠、これにもさせたし彼にもきせたし、那箇にせんと上人もきすがこれには迷はれける。

其八
明日辰の刻頃までに自身当寺へ来るべし、予て其方工事仰せつけられたきむね願ひだる五重塔の儀にっき、上人直接に御請示あるべきよしなれば、衣服等失礼なきやう心得て出頭せよと、厳格に口上を演ぷるは弁舌自慢の円珍とて、唐辛子をむざと嗜み食へる崇り鼻の頭にあらはれたる滑稽納所。平日ならば南蛮和尚といへる講名を呼びて戯談口きき合ふべき間なれど、本堂建立中朝夕顔を見しより自然と押れし馴染みも今は薄くなりたる上、使僧らしう威儀をつくろひて、人さし指中指の二本でややもすれば兜背形
の頭韻の頂上を掻く癖ある手をも法衣の袖に殊勝くさく隠蔽し居るに、源太も敬ひ謹んで承知の旨を頭下つっ答へけるが、如才なきお吉は吾夫をかかる俗信にまで好く評はせんとてか帰り際に、出したままにして行く茶菓子と共に幾千銭か包み込み、是非にといふて取らせけるは、思へば怪しからぬ布施の仕様なり。円珍十兵衛が家にも詣りて同じ事を演べ帰りけるが、さてその翌日となれば源太は髪剃り月代して衣服をあらため、今日こそは上人の自ら我に御用仰せっけらるるなるべけれと勢込んで、庫裏より通り、とある一ト間に待たきれて生を正しくし加へける。態こそ異れ十兵衛も心は同じ張を有ち、導かるるまま打通りて、人気のなきに寒き湧く一室の中に唯一人兀然として、今や上人の招びたまふか、五重の塔の工事一切汝に任すと命令たまふか、もしまた我には命じたまはず源太に任すと定めたまひしを我にことわるため招ぱれしか、さうにもあらば何とせん、浮むよしなき埋れ木の我が身の末に花咲かむ頼みも永くなくなるべし、唯願はくは上人の我が最短しきを憐みて我に命令たまはむことをと、九反二枚の唐襖に金鳳銀鳳翔り舞ふその箔模様の美しきも眼に止めずして、花々と暗路に物を探るごとく念想を空に漂はすこと長久しきところへ、例の怜刷気
な小僧いで来りて、方丈さまの召しますほどにこちらへおいでなされまし、と先に立って案内すれば、素破や願望の叶ふとも叶はざるとも定まる時ぞと魯鈍の男も胸を騒がせ、導かるるまま随ひて一室の中へずっと入る、途端に此方をぎろりっと見る眼鏡く怨を含むで斜に睨むは思ひがけなき源太にて、座に上人の影もなし。事の意外に十兵衛も足踏みとめて突立つたるまま:言もなく白眼合ひしが、是非なく畳二ひらばかりを隔てしところに漸く坐り、力なげ首惰然と己れが膝に気勢のなきたさうなる眼を注ぎゐるに引き替へ、源太は小狗を鰍下す猛鷲の風に臨んで千尺の巌の上に立つ風情、腹に十分の強みを抱きて、背をも屈げねば肩をも歪めず、すっきり端然と構へたる風姿と云ひ面貌といひ水際立ったる男根り、万人が万人とも好かすには居られまじき天晴小気味のよき好漢なり。きれども世俗の見解には堕ちぬ心の明鏡に照らしてかれこれ共に愛し、表面の美醜に露泥まれざる上人のかへつて何れをとも昨日までは択びかねられしが、思ひっかるることのありてか今日はわざわざ二人を招び出されて一室に待たせ置かれしが、今しも静々居間を出られ、畳踏まるる足も軽く、先に立ったる小僧が襖明くる後より、すっと入り
て座につきたまへぱ、二人は赤ひ敬みて共に斉しく頭を下げ、少時上げも得せざりしが、ああいぢらしや十兵衛が辛くも上げし面には、まだ世馴れざる里の子の貴人の前に出しやうに差を含みて紅潮し、額の雛の幾条の溝には沁出し熱汗を湛へ、鼻の頭にも珠を湧かせば腋の下には雨なるべし。膝に載きたる骨太の掌指は枯れたる松枝ごとき岩畳作りにありながら、一本ごとにそれきへも戦力頭へて一心に唯上人の;日を一期の大事と待つ笑止さ。源太も黙して言葉なく耳を澄まして命を待つ、那方を那方と判かぬる、二人の槍を汲みて知る上人もまた中々に口を開かん便宜なく、暫時は静まりかへられしが、源太十兵衛ともに聞け、今度建っべき五重塔は唯一ツにて建てんといふは汝たち二人、二人の願ひを双方とも聞き届けては遣りたけれど、それは固より叶ひがたく、一人に任きば一人の歎き、誰に定めて命けんといふ標準のあるではなし、役僧用人らの分別にも及ばねぱ老僧が分別にも及ばぬほどに、この分別は汝たちの相談に任す、老僧は関はぬ、汝たちの相談の纏まりたる通り取り上げて与るべければ、熟く家に帰って相談して来よ、老僧がいふべき事はこれぎりぢやによって左様心得て帰るがよいぞ、さあ確といひ渡したぞ、
既早帰ってもよい、しかし今日は老僧も閑暇で退屈なれば茶話しの相手になって少時みてくれ、浮世の噂なんど老柄に聞かせてくれぬか、その代り老僧も古い話しの可笑なをニツミツ昨日見出したを話して聞かきう、と笑顔やさしく、朋友かなんぞのやうに二人をあしらふて、さて何事をいひ出さるるやら。

其九
小僧が将って来し茶を上人自ら汲み玉ひて侑めらるれば、二人とも勿体ながりて恐れ入りながら頂戴するを、左様遠慮きれては言葉に角が取れいで話が丸う行かぬは、きあ菓子も挟んではやらぬから勝手に摘んでくれ、と高圷推進りて自らも天目取り上げ喉を湿したまひ、面白い話といふも桑門の老僧らには左様沢山ないものながら、この頃読んだ御経の中につくづくなるほどと感心したことのある、聞いてくれかういふ話しちや、むかしある国の長者が二人の子を引きっれて麗かな天気の節に、香のする花の咲き軟かな草の滋ってゐる広野を愉快げに遊行したところ、水は大分に夏の初め故澗れたれどな
ほ清らかに流れて岸を洗ふてゐる大きな川に出逢ふた、その川の中には珠のやうな小磧やら銀のやうな砂で成てゐる美しい洲のあつたれば、長者は興に乗じて一尋ばかりの流を無造作に飛び越え、彼方此方を見廻せば、洲の後面の方もまた一尋ほどの流で陸と隔てられたる別世界、全然浮世の腫塑い土地とは懸絶れた清浄の地であつたまま独り歓び喜んで踊躍したが、渉らうとしても渉り得ない二人の児童が羨ましがつて喚ぴ叫ぷを可隣に思ひ、汝たちには来ることの出来ぬ清浄の地であるが、さほどに来たくば渡らして与るほどに待つてゐよ、見よ見よ我が足下の二の磧は一々蓮華の形状をなしをる世に珍しき磧なり、我が眼の前のこの砂は一々五金の光を有てる比類稀なる砂なるぞと説き示せば、二人は遠眼にそれを見ていよいよ焦躁り渡らうとするを、長者は徐に制しながら、洪水の時にても根こぎになったるらしき椋欄の樹の一号令りなを染渡して橋として与ったに、我が先へ汝は後にと兄弟争ひ間いだ末、兄は兄だけ力強く弟を終に投げ伏せて我意の勝を得たに誇り高ぶり、急ぎその橋を渡りかけ半途に漸く到りし時、弟は起き上りさま口惜さに力を籠めて橋を巌かぜは兄は忽ち水に落ち、苦しみ腕いて洲に達せしが、二の時弟は既その橋を難なく渡り超えかくるを見るより兄もその橋の端を一揺り揺
り動せぱ、固より丸木の橋なる故弟も堪らず水に落ち、僅に長者の立ったるところへ濡れ滴りて這ひ上つた、爾時長者は歎息して、汝たちには何と見ゆる、今汝らが足踏みかけしよりこの洲は忽然前と異なり、磧は黒く醜くなり沙は黄ばめる普通の沙となれり、見よ見よ如何にと告げ知らするに二人は驚き、眼を瞭りて見れぱ全く父の言葉に少しも違はぬ沙磧、ああ如是もの取らんとて可愛き弟を悩せしか、尊き兄を溺らせしかと兄弟共に漸ぢ悲みて、弟の扶を兄は絞り兄の衣裾を弟は絞りて互ひに位はり慰めけるが、かの橋をまた引き来りて洲の後面なる流れに打ちかけ、既この洲には用なければなほも彼方に遊び歩かん、汝たち先づこれを渡れと、長老の言葉に兄弟は顔を見合ひて先刻には似ず、兄上先に御渡りなされ、弟よ先に渡るがよいと譲合ひしが、年順なれば足先づ渡るその時に、転びやすきを気遣ひて弟は端を揺がぬやう確と抑ゆる、その次に弟渡れば兄もまた揺がぬやうに抑へやり、長者は苦なく飛び越えて、三人ともに最長閑く徐に歩むその中に、兄が図らず拾ひし石を弟が見れば美しき蓮華の形をなせる石、弟が摘み上げたる砂を兄が覗げば眼も眩く正金の光を放ちてゐたるに、兄弟ともども歓喜ぴ楽み、互に得たる幸福を互に深く讃歎し合ふ、爾特長者は懐中より真実の壁の蓮華を取り出し
兄に与へて、弟にも真実の砂金を袖より出して大切にせよと与へたといふ、話してしまへば子供欺しのやうぢやが仏説に虚言はない、小児欺しでは決してない、噛みしめて見よ味のある話しではないか、如何ぢや汝たちにも面白いか、老僧には大層面白いが、と軽くいはれて深く浸む、警喩方便も御胸の中に有たるる真実から。源太十兵衛二人とも顔見合せて荘然たり。

其十
感応寺よりの帰り道、半分は死んだやうになって十兵衛、どんつく希子の袖組み合はせ、腕棋きつつ迂潤迂潤歩き、御上人様の彼様仰やったは那方か一方おとなしく譲れと諭しの謎々とは、何程愚鈍な我にも知れたが、ああ譲りたくないものぢや、折角丹誠に丹誠凝らして、定めし冷て寒からうに御寝みなされと親切でしてくるる女房の世話までを、黙ってるよ余計など叱り飛ばして夜の眼も合さず、工夫に工夫を積み重ね、今度といふ今度は一世一代、腕一杯の物を建てたら死んでも恨はないとまで思ひ込んだに、悲
しや上人様の今日の御諭し、道理には違ひない左様もなければならぬ事ぢやが、これを譲って何時また五重塔の建っといふ的のあるではなレ、一生到底この十兵衛は世に出ることのならぬ身か、ああ情ない恨めしい、天道様が恨めしい、尊い上人様の御慈悲は充分了ってゐて露ばかりも難有うなくは思はぬが、肝どうにもかうにもならぬことぢや、相手は恩のある源太親方、それに恨の向けやうもなし、どうしてもかうしても温順に此方の身を退くより他に思案も何もない欺、ああない欺、といふて今更残念な、なまじこのやうな事おもひたたずに、のつそりだけで済してゐたらばこのやうに残念な苦悩もすまいものを、分際忘れた我が悪かつた、ああ我が悪い、我が悪い、けれども、ゑゑ、けれども、ゑゑ、思ぶまい思ぶまい、十兵衛がのっそりで浮世の怜例な人等の物笑ひになってしまへぱそれで済むのぢや、連添ふ女房にまでも内々活用の利かぬ夫ぢやと卿れながら、夢のやうに生きて夢のやうに死んでしまへばそれで済む事、あきらめて見れば晴ない、つくづく世間が詰らない、あんまり世間が酷過ぎる、と思ふのもやっぱり愚痴か、愚痴か知らねど情熱過ぎるが、言ばず語らず諭きれた上人様のあの御言葉の真実のと二ろを味はへば、飽まで御慈悲の深いのが五臓六鵬に浸み透って未練な愚痴の出端もない
訳、今ふ二人を何方にも傷つかぬやう捌きたまひ、末の末まで共に好かれと兄弟の子に事寄せて向い御経を解きほぐして、噛で含めて下さったあの御請に比べて見れば固より我は弟の身、ひとしぽ他に譲らねば人間らしくもないものになる、ああ弟とは辛いものぢやと、路も見分かで屈托の眼は涙に曇りつつ、とぼとぼとして何一ツ愉快もなき我家の方に、糸で曳かるる木偶のやうに我を忘れて行く途中、この馬鹿野郎発狂漢め、我の折角洗ったものに何する、馬鹿めと突然に噛つく如く罵られ、痴張声に胆を冷してハッと思べば瓦落離顛倒、手桶枕に立てかけありし張物板に、我知らず一足二足踏みかけて踏み覆したる不体裁さ。尻餅ついて驚くところを、狐懸め忌々しい、と駄力ばかりは近江のお兼、顔は子供の福笑戯に眼を付け歪めた多福面の如き房州出らしき下稗の憤怒、拳を挙げて丁と打ち猿膏を伸ばして突き飛ばせば、十兵衛堪らず汚塵に塗れ、はいはい、狐に証まれました御免なされ、といひながら悪口笛言聞き拾に痛さを忍びて逃げ走り、漸く我家に帰りっけぱ、おお御帰りか、遅いので如何いふ事かと案じてゐました、まあ塵埃まぶれになって如何なされました、と払ひにかかるを、構ぶなど:言、気のなさきうな声で打消す。そ
の顔を覗き込む女房の真実心配さうなを見て、何か知らず無性に悲しくなってぢっと湿のさしくる眼、自分で自分を叱るやうに、ゑゑと図らず声を出し、煙草を捻って何気なくもてなすことはもてなすものの言葉もなし。平時に変れる状態を大方それと推察してさて慰むる便もなく、間ふてよきやら間はぬが可きやら心にかかる今日の首尾をも、口には出して尋ね得ぬ女房は胸を痛めつつ、その一本は杉箸で辛くも用を足す火箸に挟んで添へる消炭の、あはれ甲斐なき火力を頼り土瓶の茶をば温むるところへ、遊びに出たる猪之の戻りて、やあ父様帰って来たな、父様も建てるか坊も建てたぞ、これ見てくれ、とさも勇ましく障子を明けて褒められたさが一杯に罪なく莞爾と笑びながら、指さし示す塔の横形。母は儒祥の袖を噛み声も得たてず泣き出せば、十兵衛涙に浮くばかりの円の眼を剥き出し、暇ぎもせでぐいと睨めしが、おお出来した出来した、好く出来た、褒美を与らう、ハッハハハと咽び笑ひの声高く屋の棟にまで響かせしが、そのまま頭を天に対はし、ああ、弟とは辛いなあ。

其十一
格子開くる響爽かなること常の如く、お吉、今帰った、と元気よけに上り来る夫の声を聞くより、心配を輪に吹き吹き吸てゐし煙草管を邪見至極に批り出して忙はしく立迎へ、大層遅かったではないか、といひつつ背面へ廻って羽織を脱せ、立ながら鵬に手伝はせての袖畳み小早く室隅の方にその巌さし置き、火鉢の傍へ直また戻って火急鉄瓶に松虫の音を発させ、むっと大胡坐かき込みゐる男の顔をちょっと見しなに、日は暖かでも風は冷く途中は随分寒ましたろ、一班媛酒まじょか、と痒いところへ能く届かす手は口をきくその間に、がたびしきせず膳ごしらへ、三輪漬は柚の香ゆかしく、大根卸で食はする鮭卵は無造作にして気が利たり。源太胸には苦慮あれども幾千かこれに慰められて、猪口把りさまに二、三杯、後一杯を混く飲んで、汝も飲れと与ふれば、お吉一口、つけて、置き、焼きかけの海苔畳み折って、追付三子の来きうなもの、と魚屋の名を独語しつ、猪口を返して酌せし後・上々
吉と腹に思へば動かす舌も滑かに、それはさうと今日の首尾は、大丈夫此方のものとは極めてみても、知らせて下きらぬ中は無益な苦労を妾はします、お上人様は何と仰せか、またのっそり奴は如何なったか、左様真面目顔でむつっりとしてゐられては心配で心配でなりませぬ、といはれて源太は高笑ひ。案じて貰ふ事はない、御慈悲の深い上人様はどの道我を好漢にして下さるのよ、ハハハ、なあお吉、弟を可愛がれば好い兄ではないか、腹の磯つたものには自分が少しは辛くても飯を分けてやらねばならぬ場合もある、他の怖いことは一厘ないが強いばかりが男児ではないなあ、ハハハ、じつと堪忍して無理に弱くなるのも男児だ、ああ立派な男児だ、五重塔は名誉の工事、ただ我一人で物の見事に千年壊れぬ名物を万人の眼に残したいが、他の手も智慧も寸分交ぜず川越の源太が手腕だけで遺したいが、ああ癩績を堪忍するのが、ゑゑ、男児だ、男児だ、なるほど好い男児だ、上人様に虚言はない、折角望みをかけた工事を半分他にくれるのはっくづく忌々しけれど、ああ、辛いが、ゑゑ兄だ、ハハハ、お吉、我はのっそりに半日与って二人で塔を建てやうとおもふは、立派な弱い男児か、賞めてくれ賞めてくれ、汝にでも賞めて貰はなくては余り張合ひのない話しだ、ハハハと嬉しさうな顔もせで意味のない
声ばかりはづませて笑へば、お吉は夫の気を量りかね、上人様が何と仰やつたか知らぬが妾にはさっぱり分らず些も面白くない話し、唐偏朴のあののっそりめに半口与るとはどういふ訳、日頃の気性にも似合はない、与るものならぱ未練気なしに悉皆与つてしまふが好いし、固より此方で取るはずなれぱ要りもせぬ助太刀頼んで、一人の首を二人で切るやうな卑劣なことをするにも当らないではありませぬか、冷水で洗つたやうな清潔な腹を有つてゐると他にもいはれ自分でも常々いふてゐた汝が、今日に限つて何といふ煮切ない分別、女の妾から見ても意地の足らない愚図愚図思案、賞めませぬ賞めませぬ、どうして中々賞められませぬ、高が相手は此方の恩を受けてゐるのっそり奴、一体ならば此方の仕事を先潜りする太い奴と高飛車に叱りつけて、ぐうの音も出きせぬやうにすれぱ成るのっそり奴を、左様甘やかして胸の焼ける連名工事を何でするに当るはずのあらうぞ、甘いばかりが立派の事か、弱いばかりが好い男児か、妾の虫には受け取れませぬ、何なら妾が一ト走りのつそり奴のところに行って、重々恐れ入りましたと思ひ切らせて謝罪らせて両手を突かせて来ませうか、と女賢しき夫思ひ。源太は聞いて冷笑ひ、何が汝に解るものか、我のすることを好いとおもふてゐてさへくるればそれで可いのよ。

其十二
色も香もなく二言に黙つてゐよと遣り込められて、聴かぬ気のお吉顔ふり上げ何かいひ出したげなりしが、自己よりは一倍きかぬ気の夫の制するものを、押返して何程いふとも機嫌を損ずる事こそはあれ、口答への甲斐は露なきを経験あつて知りをれば、連添ふものに心の奥を語り明して相談かけざる夫を恨めしくはおもひながら、そこは怜側の女の分別早く、何も妾が遮って女の癖に要らざる噴を出すではなけれど、っい気にかかる仕事の話し故思はず様子の聞きたくて、余計な事も胸の狭いだけに饒舌つた訳、と自分が真実籠めし言葉を態と極々軽うしてしまふて、何所までも夫の分別に従ふやう表面を粧ふも、幾許か夫の腹の底に在る煩悶を殺いでやりたさよりの真実。源太もこれに角張りかかった顔をやわらげ、何事も皆天運ぢや、此方の了見さへ温順に和しく有ってゐたならまた好い事の廻って来やうと、かうおもって見ればのつそりに半日与るも却って好い心持、世間は気次第で忌々しくも面白くもなるもの故、出来るだけは卑劣な鋪を
根性に着けず瀟洒と世を奇麗に渡りさへすればそれで好いは、といひきしてぐいと仰飲ぎ、後は芝居の曄やら弟子どもが行状の噂、真に罪なき雑話を干物に酒も過ぎぬほどしよく飲んで、下卑た体裁ではあれどとり膳睦ましく飯を喫了り、多方もう十兵衛が来さうなものと何事もせず待ちかくるに、時は空しく経過て障子の日暮一尺動けどなほ見えず、二反も移れどなほ見えず。是非先方より頭を低し身を縮めて此方へ相談に来り、何卒半分なりと仕事を割与て下されと、今日の上人様の御慈愛深き御言葉を頼りに泣きっいても頼みをかけべきに・何として如是は遅きや、思ひ断めて望を捨て、既早相談にも及ばずとて独り我家に嬢り居るか、それともまた此方より行くを待つてゐる歎、もしも此方の行くを待つてゐるといふ二とならば余り増長した了見なれど、まきかにそのやうな高慢気も出すまじ、例ののつそりで悠長に構へてゐるだけの事ならむが、さても気の長い男め迂潤にも程のあれと一煙草ばかり徒らに喫かしゐて、待っには短き日も随分長かりしに、それさへ暮れて群烏塒に帰る頃となれぱ、さすがに心おもしろからず漸く瘤績の起り起りて耐へきれずなりし潮先、据られし晩食の膳に対ふとその儘云ひ訳ばかりに箸をつけて茶きへ緩りとは飲
まず、お吉、十兵衛めかど二ろにちよつと行て来る、行違ひになって不在へ来ば待たして置け、といふ言葉さへとげとげしく怒りを含んで立山かかれば、気にはかかれど何とせん方もなく、女房は送って出したる後にて、ただ溜息をするのみなり。

其十三
渋って開きかぬる雨戸に一トしぼ源太は滴療の火の手を尤らせつつ、力まかせにがちがち引き退け、十兵衛家にか、といひさまに実生這入れば、声色知ったるお浪早くもそれと悟って、恩あるその人の敵に今は立ちゐる十兵衛に連添へる身の面を対すこと辛く、女気の繊弱くも胸を動悸つかせながら、まあ親方様、と唯二言我知らずいひ出したる限り挨拶さへどぎまぎして急には二の句の出ざる中、煤けし紙に針の孔、油条みなんど多き行燈の小蔭に惰然と坐り込める十兵衛を見かけて源太にずっと通られ、周章て火鉢の前に請ずる機転の遅鈍も、正直ばかりで世態を知悉ぬ姿なるべし。十兵衛は不束に一礼して重げに口を開き、明日の朝参上らうとおもふてをりました、
といへぱぢろりとその顔下眼に睨み、態と泰然たる源太、応、左様いふ其方の心算であつたか、此方は例の気短故今しがたまで待つてゐたが、何時になつて汝の来るか知れたことではないとして出掛けて来ただけ馬鹿であったか、ハハハ、しかし十兵衛、汝は今日の上人様のあのお言葉を何と聞たか、両人で熟く熟く相談して来よといはれた揚句に長者の二人の児の御話し、それでわざわざ相談に来たが汝も大低分別はもう定めてゐるであらう、我も随分虫持ちだが悟つて見れぱあの警諭の通り、尖りあふのは互に詰らぬ二と、まんざら敵同士でもないに身勝手ばかりは我もいはぬ、つまりは和熟した決定のところが欲い故に、我慾は充分折つて擢いて思案を凝らして来たものの、なほ汝の了見も腹蔵のないところを聞きたく、その上にまたどうともしやうと、我も男児なりや汚い謀計を腹には持たぬ、真実に如是おもふて来たは、と言葉を少時とどめて十兵衛が顔を見るに、脩伏たままただ唯、唯と答ふるのみにて、乱費の中に五、六本の白髪が瞬く燈火の光を受けてちらりちらりと見ゆるぱかり。お浪は既寝し猪の助か枕の方につい坐って、呼吸さへせぬやうこれもまた静まりかへりゐる淋しさ。却って遠くに売りあるく鍋焼超鈍の呼び声の、曲に外方より家の中に浸みこみ来るほどなりけり。
源太はいよいよ気を静め、語気なだらかに説き出すは、まあ遠慮もなく外見もつくらず我の方から打明けやうが、何と十兵衛かうしてはくれぬか、折角汝も望をかけ天晴名誉の仕事をして持つたる腕の光をあらはし、慾徳ではない職人の本望を見事に遂げて、末代に十兵衛といふ男が意匠ぶり細工ぷりこれ視て知れと残さうつもりであらうが、察しも付かう我とてもそれは同じこと、さらに有るべき普請ではなし、取り外つては一生にまた出逢ふ二とは覚束ないなれぱ、源太は源太で我が意匠ぶり細工ぷりを是非遺したいは、理屈を自分のためにつけていへぱ我はまあ感応寺の出入り、汝は何の縁もないなり、我は先口、汝は後なり、我は頼まれて設計までしたに汝は頼まれはせず、他の口からいふたらぱまた我は受負ふても相応、汝が身柄では不相応と誰しも難をするであらう、だとて我が今理屈を味方にするでもない、世間を味方にするでもない、汝が手腕の有りながら不幸でゐるといふも知ってゐる、汝が平素薄命を口へこそ出さね、腹の底ではどの位泣てゐるといふも知ってゐる、我を汝の身にしては椹忍の出来ぬほど恋い一生といふも知ってゐる、それ故に二そ去年一昨年何にもならぬことではあるが、まあ出来るだけの世話はしたっもり、しかし恩に被せるとおもふてくれるな、上人様だとて汝の清潔
な腹の中を御洞察になったればこそ、汝の薄命を気の毒とおもはれたれぱこそ今日のやうな御諭し、我も汝が慾かなんぞで対岸にまはる奴ならば、我の仕事に邪魔を入れる猪口才な死節野郎と一銑に脳天打欠かずにはおかぬが、っくづく汝の身を察すれぱ寧仕事もくれたいやうな気のするほど、といふて我も慾は捨て断れぬ、仕事は真実どうあってもしたいは、そこで十兵衛、聞ても貰ひにくくいふても退けにくい相談ぢやが、まあ如是ぢや、堪忍して承知してくれ、五重塔は二人で建てう、我を主にして汝不足でもあらうが副になつて力を仮してはくれまいか、不足ではあらうが、まあ厭でもあらうが源太が頼む、聴てはくれまいか、頼む頼む、頼むのぢや、黙つてみるのは聴てくれぬか、お浪さんも我のいふことの了ったなら何卒口を副て穂て貰っては下さらぬか、と脆くも涙になりゐる女房にまで頼めば、お、お、親方様、ゑゑありがたうござりまする、何所にこのやうな御親切の相談かけて下きる方のまた有らうか、何故御礼をぱいはれぬか、と左の袖は露時雨、涙に重くなしながら、夫の膝を右の手で揺り動しっ掻口説げと、先刻より無言の仏となりし十兵衛何ともなほ言ばず、再度三度かきくどけど黙々としてなほ言はざりしが、やがて垂れたる首を撞げ、どうも十兵衛それは厭でござりまする、と無
愛想に放つ;己、吐胸をついて驚く女房。なんと、と:戸烈しく鋭く、頚骨灰らす一、二寸、眼に角たててのっそりを幕内よりして酸下す源太。

其十四
人情の花も失さず義理の幹も確然立てて、普通のものには出来ざるべき親切の相談を、一方ならぬ実意の有ればこそ源太の懸けてくれしに、如何に伐つて批げ出したやうな性質がきする返答なればとて、十兵衛厭でござりまするとは余りなる挨拶、他の情愛の全で了らぬ土人形でもかうはいふまじきを、さりとては恨めしいほど没義道な、口惜いほど無分別な、どうすれぱそのやうに無茶なる夫の了見と、お浪は呆れもし驚きもし我身の急に絞木にかけて絞らるる如き心地のして、思はず知らず夫にすり寄り、それはまあ何といふこと、親方様があれほどに彼方此方のためを計って、見るかげもない此方連、いはば一卜足に蹴落しておしまひなさるる二ともなきらば成る此方連に、大抵ではない御情をかけて下きれ、御自分一人でなさりたい仕事をも分与て遣らう半日乗せてくれう
と、身に浸みるほどありがたい御親切の御相談、しかも御招喚にでもなってでのことか、坐蒲団さへあげる二との成らぬこのやうなところへわざわざ御来臨になっての御話し、それを無にして勿体ない、十兵衛厭でござりまするとは冥利の尽きた我轟勝手、親方様の御親切の分らぬはずはなからうに胴慾なも無遠慮なもおほかた程度のあつたもの、これこの妾の今着てゐるのも去年の冬の取り付きに袷姿の寒げなを気の毒がられてお吉様の、縫直して着よと下きれたのとは汝の眼には映らぬか、一方ならぬ御恩を受けてゐながら親方様の対岸へ廻るさへあるに、それを小療なとも恩知らずなとも仰やらず、何処までも弱い者を愛護ふて下きる御仁慈深い御分別にも頼り纏らいで一概に厭ぢやとは、たとへば真底から厭にせよ記憶のある人間の口から出せた言葉でござりまするか、親方様の手前お吉様の所思をも能く篤りと考へて見て下され、妾はもはやこれから先どの顔さげて厚ヶ間数お吉様の御眼にかかることの成るものぞ、親方様は御胸の広うて、ああ十兵衛夫婦は訳の分らぬ愚者なりや是も非もないと、その儘何とも思しめされず唯打捨て下さるか知らねど、世間は汝を何といはう、恩知らずめ義理知らずめ、人情解せぬ畜生め、彼奴は犬ぢや烏ぢやと万人の指印に弾かれものとなるは必定、犬や烏と身をなし
て仕事をしたとて何の功名、慾をかわくな躍齪するなと常々妾に諭された自分の言葉に対しても恥かしうはおもはれぬか、何卒柔順に親方様の御異見について下さりませ、天に從茸ゆる生雲塔は誰々二人で作つたと、親方様と諸共に肩を並べて世に称はるれぱ、汝の苦労の甲斐も立ち親方様の有難い御芳志も知るる道理、妾もどのやうに嬉しかろか喜ばしかろか、もし左様なれぱ不足といふは薬にしたくもないはずなるに、汝は天魔に魅られてそれをまだまだ不足ぢやとおもはるるのか、ああ宵ない、妾がいはずと知れてゐる汝自身の身の程を、身の分際を忘れてか、と泣声になり掻口説く女房の頭は低く垂れて、髭にさされし縫針の孔が脚へし一条の糸ゆらゆらと振ふにも、千々に砕くる心の態の知られていとど可欄しきに、眼を瞑ぎるし十兵衛は、その時例の濁声出し、喧しいはお浪、黙ってるよ、我の話しの邪魔になる、親方様聞て下され。

其十五
思ひの中に激すればや、じたじたと漂び出す膝の頭を緊乎と寄せ合せて、その上に
両手突張り、身を固くして十兵衛は、情ない親方様、二人でせうとは情ない、十兵衛に半分仕事を譲って下されうとは御慈悲のやうで膚ない、厭でござります、厭でござります、塔の建てたいは山々でももう十兵衛は断念てをりまする、御上人様の御諭を聞いてからの帰り道すつぱり思ひあきらめました、身の程にもない考を持つたが問違ひ、ああ私が馬鹿でござりました、のっそりは何処までものつそりで馬鹿にきへなってゐればそれで可い訳、溝板でもたたいて一生を終りませう、親方様堪忍して下きれ我が悪い、塔を建てうとはもう申しませぬ、見ず知らずの他の人ではなし御恩になつた親方様の、一人で立派に建てらるるを余所ながら視て喜ぴませう、と元気なげにいひ出づるを走り気の源太悠々とは聴でみず、ずいと身を進て、馬鹿をいへ十兵衛、余り道理が分らな過ぎる、上人様の御諭は汝一人に聴けといふてなされたではない我が耳にも入れられたは、汝の腹でも聞たらば我の胸でも受取った、汝一人に重石を背負って左様沈まれてしまふては源太が男になれるかやい、詰らぬ思案に身を過て馬鹿にさへなってゐれぱ可いとは、分別が撃実過ぎて至当とはいはれまいぞ、応左様ならば我がすると得たり賢で引受けては、上人様にも恥かしく第一源太が折角磨いた挾気もそこで廃ってしまふし、汝は固り
虻蜂取らず、智慧のないにも程のあるもの、そしては二人が何可からう、さあ其故に美しく二人で仕事をせうといふに、少しは気まづいところが有つてもそれはお互ひ、汝が不足なほどに此方にも面白くないのあるは知れきった事なれば、双方忍耐仕交として忍耐の出来ぬ訳はないはず、何もわざわざ骨を折つて汝が馬鹿になつてしまひ、幾日の心配を煙と消し天晴な手腕を寝せ殺しにするにも当らない、なう十兵衛、我のいふのが賄に落ちたら思案を翻然と仕変へてくれ、源太は無理はいはぬつもりだ、二れさ何故黙ってゐる、不足か不承知か、承知してはくれないか、ゑゑ我の了見をまだ呑み込んではくれないか、十兵衛、あんまり情ないではないか、何とかいふてくれ、不承知か不承知か、ゑゑ情ない、黙ってゐられては解らない、我のいふのが不道理か、それとも不足で腹立ててか、と義には強くて情には弱く意地も立つれぱ親切も飽くまで徹す江戸ヅ子腹の、源太は柔和く問ひかくれば、聞ゐるお浪は嬉しさの骨身に浸みて、親方様ああ有り難うござりますると口には出さねど、舌よりも真実を語る涙をば溢らす眼に、返辞せぬ夫の方を気遣ひて、見れば男は露一座身動きなさず無言にて思案の頭重く低れ、ぽろりぽろりと膝の上に散らす涙珠の零ちて声あり。
源太も今は無言となり少時ひとり考へしが、十兵衛汝はまだ解らぬか、それとも不足とおもふのか、なるほど折角望んだことを二人でするは口惜がろ、しかも源太を心にして副になるのは口惜がろ、ゑゑ負けてやれかうして遣らう、源太は副になっても町い汝を心に立てるほどに、さあさあ清く承知して二人でせうと合点せい、と己が望みは無理に折り、思ひきってぞいひ放つ。とツとんでもない親方様、仮令十兵衛気が狂へばとてどうして其様は出来ますものぞ、勿体ない、と周章ていふに、左様なら我の異見にっくか、と唯;日に返されて、それは、と窮るをまた追つ掛け、汝を心に立てやうか乃至それでも不足か、と烈しく突かれて度を失ふ傍にて女房が気もわくせき、親方様の御異見に何故まあ早く付かれぬ、と責むるが如く恨みわび、言葉そぞろに勧むれぱ十兵衛っひに絶体絶命、下げたる頭を徐に上げ円の眼を剥き出して、一ツの仕事を二人でするは、よしや十兵衛心になつても副になつても、厭なりやどうしても出来ませぬ、親方一人で御建なきれ、私は馬鹿で終りまする、と皆までいはせず源太は怒って、これほど事を分けていふ我の親切を無にしても歎。唯、ありがたうはござりまするが、虚言は申せず、厭なりや出来ませぬ。汝よくいった、源太の言葉にどうでもつかぬ歎。是非ないことで
ござります。やあ覚えてゐよこののっそりめ、他の情の分らぬ奴、そのやうの事いへた義理か、よしよし汝に口は利かぬ、一生溝でもいぢつて暮せ、五重塔は気の毒ながら汝に指もささせまい、源太一人で立派に建てる、成らば手柄に批点でも打て。

其十六
ゑい、ありがたうござります、滅法界に酔ひました、もう飲やせぬ、と空辞誼は五月蝿ほどしながら、猪口もつ手を後へは退かぬが可笑き上戸の常態、清吉既馳走酒に十分酔たれど遠慮に三分の真面目をとどめて殊勝らしく坐り込み、親方の不在に斯様燗酔ては済みませぬ、姉御と対酌では夕暮を躍るやうになつてもなりませんからな、アハハ無暗に嬉しくなつて来ました、もう行きませう、はめを外すと親方の御眼玉だ、だがしかし姉御、内の親方には眼玉を貰っても私は嬉しいとおもってゐます、なにも姉御の前だからとて軽薄をいふではありませぬが、真実に内の親方は茶袋よりもありがたいとおもつてゐます、日外の凌雲院の仕事の時も鉄や慶を対にして詰らぬことから喧嘩を初め、鉄
が肩先一大怪我をさしたその後で鉄が親から泣き込まれ、ああ悪かっ套の毒なことをしたと後悔しても此方も貧的、どうしてやるにも遣りやうなく、困りきつて逃亡とまで思ったところを、黙って親方から療治手当もしてやつて下きれた上・かけら半分叱言らしいことを私にいはれず、ただ物和しく、清や汝喧嘩は時のはづみで仕方はないが気の毒と書ったら謝罪って置け、鉄が親の気持も好かろし汝の寝覚差とい言のだとし付けて下すったその時は、ああどうして此様に仁慈深かろと有難くて有難くて私は泣きました、鉄に謝罪る訳はないが親方の一言に堪忍して警謝罪に行きましたが・それから異なもので何時差く鉄とは仲好になり、今では何方にで差一したことの有れば骨を拾って遣らうか貰はうかといふ位の交際になった喜親方の御蔭、それに引変一茶袋なんぞは無暗に叱言口をいふぱかりで、やれ喧嘩をする姦興をするなと下らぬ事を小五月蝿く耳の傍で口説きます、ハハハいやはや話になったものではありませぬ・ゑ・茶袋とは母親の事です、なに酷くはありませ集袋で沢山です、しか義をひいた番茶の方です、あツハハハ、ありがたうござります、套行きませう、ゑ、また一本欄たから飲んで行けと仰るのですか、ああありがたい、茶袋だと此方で一本といふところを反対に

もう廃せいひますは、ああ好い心持になりました、歌ひたくなりましたな、歌へるかとは情ない、松づくしなぞは彼奴に賞められたほどで、と罪のないことを云へばお吉も笑ひを含むで、そろそろ惚気は恐ろしい、などと調戯ひ居るところへ帰って来たりし源太、おお丁度よい清音みたか、お吉飲まうぞ、支度させい、清古今夜は酔ひ漬れろ、胴魔声の松づくしでも聞てやろ。や、親方立聞して居られたな。

其十七
音酔ふは瞼東なくなり、砕けた源太が談話ぶり捌けたお吉が接待ぶりに何時しか遠慮も打忘れ、擬きれて辞まず受けては突と干し酒蓋の数量ぬるままに、平常から可愛らしき江ら顔を一層沢々と、実の熟った丹波王母珠ほど紅うして、罪もなき高笑ひやら相手もなしの空示威、朋輩の誰の噂彼の噂、自己が仮声の何所某所で喝采を獲たる自慢、奪られぬ奪られるのいひ争ひの末何棲の獅顔火鉢を盛り出さんとして朋友の佃の野郎が大失策をした話、五十間で地廻りを郵った事など、縁に引かれ図に乗ってそれからそれ
へと饒舌りへと饒舌り散らす中、不図のっそりの噂に火が飛べば、とろりとなりし眼を急に見張って、ぐにやりとしてゐし肩を聾だて、冷たうなった飲みかけの酒を異しく唇まげながら吸ひ干し、一体あんな馬鹿野郎を親方の可愛がるといふが私には頭から解りませぬ、仕事といへぱ馬鹿丁寧で捗びは一向っきはせず、柱一本鴫居一ツで嘘をいへば鉋を三度も礪ぐやうな緩優な奴、何を一ツ頼んでも間に合つた例がなく、赤松の炉縁一ツに三日の手間を取るといふのは、多方ああいふ手合だらうと仙が笑つたも無理は有りませぬ、それを親方が贔屓にしたので一時は正直のと二ろ、済みませんが私も金も仙も六も、あんまり親方の腹が大きすぎてそれほどでもないものを買ひ込み過ぎてゐるではないか、念入りばかりで気に入るなら我たちもこれから羽目板にも仕上げ鉋、のろりのろりと充分清めて碁盤肌にでも削らうかと僻味をいった事もありました、第一波奴は交際知らずで女郎貫一度一所にせず、好闘鶏鍋つつき合った事もない唐偏朴、いつか大師へ一同が行く時も、まあ親方の身辺にっいてゐるものを一人ばかり仲間はづれにするでもないと私が親切に誘ってやったに、我は貧乏で行かれないといった切りの挨拶は、なんと愛想も義理も知らな過ぎるではありませんか、銭がなければ女房の一枚着を曲げ込んでも交際
は交際で立てるが朋友づく、それも解らない白痴の癖に段々親方の恩を被て、私や金と同じことに今では如何か一人立ち、しかも揮りながら青涕垂らして弁当箱の持運び、木片を担いでひよろひよろ帰る餓鬼の頃から親方の手についてゐた私や仙とは違つて奴は渡り者、次第をいへぱ私らより一倍深く親方を有難い悉ないと思つてゐなけりやならぬはず、親方、姉御、私は悲しくなって来ました、私はもしもの事があれば親方や姉御のためといや黒煙の煽りを食つても飛び込むぐらゐの了見は持つてゐるに、畜生ツ、ああ人情ない野郎め、のつそりめ、彼奴は火の中へは恩を脊負つても入りきるまい、藤な根性は有ってゐまい、ああ人情ない畜生めだ、と酔が図らずいひ出せし不平の中に潜り込んで、めそめそめそめそ泣き出せば、お吉は夫の顔を見て、例の癖が出て来たかと困った風情はしながらも自己の胸にものつそりの憎きがあれば、幾分かは清が言葉を道理と聞く傾きもあるなるべし。源太は腹に戸締のなきほど愚魯ならざれば、猪口を擬しつけ高笑ひし、何をいひ出した清音、寝惚るな我の前だは、三の初を出しても初まらぬぞ、その手で女でも口説きやれ、随分ころりと来るであらう、汝が惚けた小蝶さまの脚部屋ではない、アツハハハと
戯言をいへばなほ真面目に、木穣殊ほどの涙を払ふその手をぺたりと刺身皿の中につつ、一み、しやくり上げ戯識して泣き出し、ああ清ない親方、私を酔漢あしらひは清ない・酔つてはゐませぬ、小蝶なんぞは飲べませぬ、左様いへぱ披奴の面が何所かのつそりに似てゐるやうで口借くて清ない、のつそりは憎い奴、親方の対を張つて大それボ・五重の塔を生意気にも建てやうなんとは憎い妓憎い奴、親方が和し過ぎるので増長した謀反人め、謀反人も明智のやうなは道理だと伯竜が講釈しましたが彼奴のやうなは大悪無道・親方は何日のっそりの頭を鉄扇で打ちました、何日蘭丸にのっそりの領地を与るといひました、私は今にもしも彼奴が親方の言葉に甘へて名を外べて塔を達でれば打捨っては置けませぬ、灘き殺して狗にくれますかういふやうに郷き殺して、と明徳利の横面突然打き飛ばせば、砕片は散って血小鉢跳り出すやちん鋳然。馬鹿野郎め、と親方に大喝されてその鐘にぐづりと坐り沈静くゐるかと思へば、散かりし還原海苔の上に額おしつけ既軒声なり。源太はこれに打笑ひ、愛矯のある阿呆めに掻巻かけて遺れ、といひつつ手酌にぐいと引かけて酒気を吹くこと長久しく、怒って帰って来はしたものの彼様では高が清音同然、きて分別がまだ、要るは。

其十八
源太が怒って帰りし後、腕撲きて荘然たる夫の顔をさし覗きて、吐息つくづくお浪は歎じ、親方様は怒らする仕事は畢寛手に入らず、夜の眼も合さず雛形まで製造へた幾日の骨折も苦労も無益にした揚句の果に他の気持を悪うして、恩知らず人清なしと人の口端にかかるのは余りといへぱ情ない、女の差出た事をいふと唯一口にいはるるか知らねど・正直律義も程のあるもの、親方様があれほどにいふて下さる異見について一緒にしたとて耽辱にはなるまいに、煽僻張つて何の詰らぬ意気地立て、それを譲が感心なと褒ませう、親方様の御料簡につけば第一御恩ある親方の御心持もよい訳、またお前の名も上り苦労骨折の甲斐も立つ訳、三方四方みな好いに何故その気にはなられぬか、少しもお前の料簡が妾の腹には合点ぬ、能くまあ思案し直して親方様の御異見につい従ふては下きれぬか、お前が分別きへ更れば妾が直にも親方様のところへ行き、どうにかかうにか謝罪いふて一生懸命精一杯、打たれても螂かれても動くまいほど覚悟をきめ、謝罪つ
て謝罪て謝罪つて謝罪り貫いたら御情深い親方様が、まさかに何日まで怒つてばかりもゐられまい、一時の料簡違ひは堪忍して下さる事もあらう、分別し更て意地張らずに、親方様のいはれた通りして見る気にはなられぬか、と夫思ひの一筋に口説くも女の道理なれど、十兵衛はなほ眼も動かさず、ああもういふてくれるな、ああ、五重塔ともいふてくれるな、よしない事を思ひたつてなるほど恩知らずともいはれう人情なしともいはれう、それ十兵衛の分別が足らいで出来したこと、今更なんと皇非がない・しかし汝のいふやうに思案し更るはどうしても厭、十兵衛が仕事に手下は使はうが助言は頼むまい・人の仕事の手下になって使はれはせうが助言はすまい、桝組も橡配りも我がする日には我の勝手、何所から何所まで一寸たりとも人の指揮は決して受けぬ、善いも悪いも一人で背負って立つ、他の仕事に使はれれぱ唯正直の手間取りとなって渡されただけの事するばかり、生意気な差出口は夢にもすまい、自分が主でもない癖に自己の葉色を際立てて異った風を誇顔の寄生木は十兵衛の虫が好かぬ、人の仕事に寄生木となるも厭なら我が仕事に寄生木を容るるも虫が嫌へば是非がない、和しい源太親方が義理人情を噛み砕いて態、窓癒て下さるは我にも解ってありがたいが、なまじひ我の心を生して寄生木あしらひは情ない、十兵衛は馬鹿でものつそりでもよい、寄生木になって栄えるは嫌ぢや、罎小な下草になつて柿れもせう大樹を頼まば肥料にもならうが、ただ寄生木になつて一口同く止まる奴らを日頃いくらも見ては卑い奴めと心中で蔑視げてゐたに、今我が自然親方の情に甘へてそれになるのは如何あつても小恥しうてなりきれぬは、いっその事に親方の指揮のとほりこれを削れあれを挽き割れと使はるるなら嬉しけれど、なまじ情が却って悲しい、汝も定めて解らぬ奴と恨みもせうが堪忍してくれ、ゑゑ是非がない、解らぬところが十兵衛だ、此所がのつそりだ、馬鹿だ、白痴漢だ、何といはれても仕方はないは・ああツ火も小くなって寒うなつた、もうもう寝てでもしまはうよ、と聴けば一々道理の述懐。お浪もかへす言葉なく無言となれば、なほ寒き一室を照せる行燈も灯花に暗うなりにけり。

其十九
その夜は源太床に入りても由々眠らず、一番鶏二番鶏を耳たしかに聞て朝も平は夙う起き、含飲手水に見ぬ夢を洗って無茶一杯に酒の残り香を払ふ折しも・むくむくと起き上ったる清音寝惚眼をこすりこすり怪訊顔してまごっくに、お吉ともども噴飯して笑ひ、清音昨夜は如何したか、と錫れば急に危坐って無茶苦茶に頭を下げ、つい御馳走になり過ぎて何時か知らず寝てしまひました、姉御、昨夜私は何か悪いことでもしはしませぬか、と心配相に尋ぬるも可笑く、まあ何でも好いは、飯でも食って仕事に行きやれ、と和しくいはれてますます畏れ、胱然として腕を組み頻りに考へ込む風情、正直なるが可愛らし。清音を出しやりたる後、源太はなほも考にひとり沈みて日頃の快活とした調子に似もやらず、轟々お吉に口きへきかで思案に思案を凝らせしが、ああ解ったと独り言するかと思べば、慰然など溜息つき、ゑゑ批やうかといふかとおもへば、どうしてくれうと腹立つ様子を傍にてお吉の見る辛さ、間ひ慰めんど口を出せば黙ってゐよとやりこめられ・詮方なきに胸の中にて空しく心をいたむるぱかり。源太はそれらに関ひもせず夕暮方まで考へ考へ、漸く思ひ定めやしけむ衝と身を起して衣服をあらため、感応寺に行き上人に見えて昨夜の始終をば隠すことなく物語りし末、一旦は私も余り解らぬ十兵衛の答に
腹を立てしものの帰つてよくよく考ふれば、たとへぱ私一人して立派に塔は建っるにせよ、それでは折角御諭しを受けた甲斐なく源太がまた我慾にばかり強いやうで男児らしうもない話し、といふて十兵衛は十兵衛の思わくを減多に捨はすまじき様子、彼も全く自己を押へて譲れば源太も自己を押へて彼に仕事をさせ下されと譲らねぱならぬ義理人情、いろいろ愚昧な考を使つて漸く案じ出したことにも十兵衛が乗らねぱ仕方なく、それを怒つても恨むでも是非のない訳、既二の上には変った分別も私には出ませぬ、唯願ふはお上人様、たとへぱ十兵衛一人に仰せっけられますればとて私かならず何とも思ひますまいほどに、十兵衛になり私になり二人共々になりどうとも仰せっけられて下さりませ、御口づからの事なれば十兵衛も私も互に今ふ心は捨てをりまするほどに露きら故障はござりませぬ、我ら二人の相談には余って願ひにまゐりました、と実意を面に現しつつ願へば上人ほくほく笑はれ、左様ぢやろ左様ぢやろ、さすがに汝も見上げた男ぢゃ、好い好い、その心掛一ってもう生霊塔見事に建てたより立派に汝はなってをる、十兵衛も先刻に来て同じ事をいふて帰ったは、彼も可愛い男ではないか、のう源太、可愛がって遣れ可愛がって遣れ、と心あり気にいはるる言葉を源太早くも合点して、ゑゑ可
愛がって遣りますとも、といと清しげに答れば、上人満面皺にして悦びたまひつ、好いは好いは、ああ気味のよい男児ぢやな、と真から底から褒美られて、勿体なさはありながら源太おもはず頭をあげ、お蔭で男児になれましたか、と一語に無限の感慨を含めて喜ぶ男泣き。既この時に十兵衛が仕事に助力せん心の、世に美しく嘉たるなるし。

其二十
十兵衛感応寺にいたりて朗田上人に見え、涙ながらに辞退の旨いふて帰りしその日の味気奮、煙草のむだけの気畠かずに力なく、浩然としてっくづく我が身の薄命・浮世の渡りぐるしき事など思ひ廻せば思ひ廻すほど嬉しからず、時刻になりて食ふ飯の味が今更異れるではなけれど、箸持つ手さ一露ひ勝にて舌が美味うは受けとらぬに・平常は六碗七碗を快う喫ひしも僅に一碗二碗で終へ、茶ばかり却って多く飲むも・心に不悦の有る人の免れ難き慣例なり。主人が浮かねぱ女房も、何の罪なき頑要ざかりの猪之まで自然と浮き立たず・しき
貧家のいとど淋しく、希望もなければ快楽も一点あらて日を暮らし、暖味のない夢に物寂た夜を明かしけるが、お浪暁天の鐘に眼覚めて猪之と一所に賑たる床より密と出るも、朝風の寒いに火のない中から起すまじ、も少し睡させて置かうとの慈しき親の心なるに、何もかも知らいでたわいなく廉てゐし平生とは違ひ、如何せし二とやら忽ち飛び起き、濡洋一つで夜具の上跳ね廻り跳ね廻り、厭ぢやい厭ぢやい、父様を打つちや厭ぢやい、と蕨のやうな手を眼にあてて何かは知らず泣き出せば、ゑゑこれ猪之はどうしたものぞ、と吃驚しながら抱き止むるに抱かれながらもなほ泣き止まず。誰も父様を打ちはしませぬ、夢でも見たか、それそこに父様はまだ廉て居らるる、と顔を押向け知らすれば不思議さうに覗き込で、漸く安心しはしてもまだ疑惑の晴れぬ様子。猪之や何にもありはしないは、夢を見たのぢや、さあ寒いに風邪をひいてはなりませぬ、床に這入って廉てゐるがよい、と引き倒すやうにして横にならせ、掻巻かけて隙間なきやう上から押しっけ遣る母の顔を見ながら眼をぱっちり、ああ怖かった、今他所の怖い人が。おおおお、如何かしましたか。大きな、大きな鉄能で、黙って坐ってゐる父様の、頭を打って幾度も打って、頭が半分砕れたので坊は大変吃驚した。ゑゑ鶴亀厭なこと、延喜でもないことをいふ、と盾を皺むる折も折、戸外を通る納豆売りの戦へ声に覚えある奴が、ちエツ忌々しい草鮭が切れた、と打独語きて行き過ぐるに女房ますます気色を悪くし、台所に出て釜の下を焚きっくれば思ふ如く燃えざる薪も腹立しく・引窓の滑よく明かぬも今更のやうに焦れつたく、ああ何となく厭な日と思ふも心からぞとは知りながら、なほ気になる事のみ気にすれぱにや多けれど、またいひ出さぱ笑はれむと自分で呵って平日よりは笑顔をっくり言葉にも活気をもたせ、灌々として夫をあしらひ子をあしらへど、根が態とせし偽飾なれば却って笑ひの尻声が憂愁の響きを遺して去る光景の悲しげなるところ一、十兵衛殿お宅か、と押柄に大人ぴた口ききながら這入り来る小坊主、高慢にちよこんと上り込み、御用あるにっき直と来られべしと前後なしの棒口上。お浪も不審、十兵衛も分らぬことに思へども辞みもならねぱ、既感応寺の門くぐるき一無益しくは孝一っつも、何御用ぞと行って間一ば、天地留こりや何ぢや・夢か現か真実か、円道右に為左衛門左に朗田上人中央に坐したまふて、円遺言葉おごそかに・この度建立なるところの生霊塔の一切工事川越源太に任せられべきはずの圭一ろ・丈思しめし寄らるることあり格別の御詮議例外の御慈悲をもって、十兵衛其方に確と御任せ相成る、辞退の銭は決して無用なり、早々ありがたく御受申せ、といひ渡さるるそれさへあるに、上人雛枯れたる御声にて、これ十兵衛よ、思ふ存分社遂げて見い、好う仕上らば嬉しいぞよ、と荷担に余る冥加の御言葉。のっそりバツと脩伏せしまま五体を濤と動がして、十兵衛めが生命はき、さ、さし出しまする、といひし限り咽塞がりて言語絶え、琴閑とせし広座敷に何をか語る呼吸の響き幽にしてまた人の耳に徹ぬ。

真一十一
紅蓮白蓮の香ゆかしく衣挟に裾に薫り来て、浮葉に露の玉動ぎ立案に風の軟吹ける面白の夏の眺望は、赤蜻蛉菱藻を賜り初霜向ぶが岡の樹梢を染めてより全然となくなったれど、赫色になりて荷の茎ばかり情なう立てる間に、世を忍び気の白鷺が徐々と歩む姿もをかしく、紺青色に暮れて行く天に漸く輝り出す星を背中に擦って飛ぶ雁の、鳴き渡る音も趣味ある不忍の池の景色を干物の外の干物にして、客に酒をば亀の子ほどる蓬莱屋の真二階に、気持の好ささうな顔して欣然と人を待っ勇一人。唐浅揃ひの淡泊づくりに住吉張の銀煙管おとなしきは、職人らしき侠気の風の言語挙動に見えながら毫末も下卑ぬ上品質、いづれ親方親方と多くのものに立らるる棟梁株とは、予てから知り居る馴染のお伝といふ女が、きぞお待ち遠で、こざりませう、と膳を置つっいふ世辞を、待っ退屈さに捕へて、待遠で待遠で堪りきれぬ、ほんとに人の気も知らないで何をしてゐるであらう、といへば、それでもお化粧に手間の取れまするが無理はないはず、といひさしてホホと笑ふ慣れきった返しの太刀筋。アハハハそれも道理ぢや、今に来たらば能く見てくれ、まあ恐らく北地辺に類はなからう、といふものだ。阿呪恐ろしい、何を散財って下さります、そして親方、といふものは御師匠きまですか。いいや。娘さんですか。いいや。後家様。いいや。お婆さんですか。馬鹿をいへ可愛想に。では赤ん坊。此奴め人をからかふな、ハハハハハ。ホホホホホとくだらなく笑ふところへ襖の外から、お伝きんど名を呼んで御連様と知らすれば、立上って唐紙明けにかかりながらちよつと後向いて人の顔へ異に眼をくれ無言で笑ふは、御嬉しかろと調戯って焦らして底悦喜さする冗談なれど、源太は却って心から可笑く思ふとも知らずにお伝はすいと明くれば、
のろりと入り来る客は色ある新造どころか香も艶もなき無骨男、ぼうぼう頭髪のごりごり躍彰・面は汚れて衣服は垢づき破れたる見るから厭気のぞつとたつほどな様子に、きずが呆れて挨拶きへどぎまぎせしまま急には出ず。源太は笑を含みながら、さあ十兵衛此所へ来てくれ、関ふ戸一とはない大胡坐で楽にゐてくれ・とおづおづし居るを無理に坐に居ゑ、やがて膳部も具備りし後、さてあらためて飲み干したる酒盃とつて源太は擬し、沈黙でゐる十兵衛に対ひ、十兵衛、先刻に富松を態々遣つて二んな所に来て貰つたは、何でもない、実は仲直りして貰ひたくてだ、どうか汝とわっさり飲んで互ひの胸を和熟させ、過日の夜の我がいふた彼いひ過ぎも忘れて貰ひたいとおもふからの事、聞てくれ斯様いふ訳だ、過日の夜は実は我も余り汝を解らぬ奴と一途に思つて腹も立つた、恥しいが肝騒も起し業も沸し汝の頭を打砕いて遣りたいほどにまでも思ふたが、しかし幸福に源太の頭が悪玉にばかりは乗取られず、清音めが家へ来て酔った揚句にいひちらした無茶苦茶を、ああ了見の小い奴は詰らぬ事を理屈らしく恥かしくもなくいふものだと、聞てゐるさへ可笑くて堪らなさにふと左様思ったその途端一その夜泣の家で陳べ立って来た我の云ひ草に気がついて見れば清音が一一目薬
と似たり寄つたり、ゑゑ間違つた一時の腹立に捲き込まれたか残念、源太男が廃る、意地が立たぬ、上人の蔑視も恐ろしい、十兵衛が何もかも捨て辞退するものを斜に取って逆意地たてれぱ大間違ひ、とは思つても余り汝の解らな過ぎるが腹立しく、四方八方何所から何所まで考へて、此所を推せば其所に嚢積が出る、彼点を立てれば此点に無理があると、まあ我の智慧分別ありたけ尽して我の為ぱかり篶るではなくいふたことを、無下にいひ消されたが忌々しくて忌々しくて随分堪忍もしかねたが、さていよいよ了見を定めて上人様の御眼にかかり所存を申し上げて見れば、好い好いと仰せられた唯の;一口に雲霧はもうなくなって、清しい風が大空を吹いてゐるやうな心持になったは、昨日はまた上人様から態々の御招で、行って見たれば我を御賞美の例言葉数々のその上、いよいよ十兵衛に普請一切申しつけたが蔭になって助けてやれ、皆汝の善根福種になるのぢや、十兵衛が手には職人もあるまい、彼がいよいよ取掛る日には何人も傭ふその中に汝が手下の者も交らう、必ず猜忌邪曲など起さぬやうにそれらには汝から能くいひ含めて遣るがよいとの細い御諭し、何から何まで見透しで御慈悲深い上人様のありがたさにつくづく我折って帰って来たが、十兵衛、過日のいひ過こしば堪忍してくれ、かうした我の心気が解つてくれたら従来通り浄く睦じく交際つて貰はう、一切がかう定つて見れば何と思つた彼と思つたは皆夢の中の物詮議、後に遺して面倒こそあれ益ない二と、二の不忍の池水にさらりと流して我も忘れう、十兵衛汝も忘れてくれ、木材の引合ひ、鳶人足への渡りなんど、まだ顔を売込んでゐぬ汝にはちよつと仕憎からうが、それらには我の顔も貸さうし手も貸さう、丸丁、山六、遠州屋、好い間屋は皆馴染でなうては先方がこつちを呑んでならねば、万事歯痒い事のないやう我を自由に出しに使へ、め組の頭の鋭次といふは短気なは汝も知つてゐるであらうが、骨は黒鉄、性根玉は揮りながら火の玉だと平常いふだけ、さてじつくり頼めばぐっと引受け一立退かぬ頼母しい男、塔は何より他行が大事、空風大水の四ツを受ける地盤の固めを彼にさせれぱ、火の玉鋭次が根性だけでも不動が台座の岩より堅く基礎確と据さすると諸肌ぬいでしてくるるは必定、彼にもやがて紹介せう、もうかうなった暁には源太が望みは唯一ツ、天晴十兵衛汝が能く仕出来レさへすりやそれで好のぢや、唯々塔さへ能く成ればそれに越した嬉しいことはない、荷且にも百年千年末世に残っていはば我等の弟子筋の奴らが眼にも入るものに、へまがあっては悲しからうではないか、情ないではなかと似たり寄つたり、ゑゑ間違つた一時の腹立に捲き込まれたか残念、源太男が廃る、意地が立たぬ、上人の蔑視も恐ろしい、十兵衛が何もかも捨て辞退するものを斜に取って逆意地たてれぱ大間違ひ、とは思つても余り汝の解らな過ぎるが腹立しく、四方八方何所から何所まで考へて、此所を推せば其所に嚢積が出る、彼点を立てれば此点に無理があると、まあ我の智慧分別ありたけ尽して我の為ぱかり篶るではなくいふたことを、無下にいひ消されたが忌々しくて忌々しくて随分堪忍もしかねたが、さていよいよ了見を定めて上人様の御眼にかかり所存を申し上げて見れば、好い好いと仰せられた唯の;一口に雲霧はもうなくなって、清しい風が大空を吹いてゐるやうな心持になったは、昨日はまた上人様から態々の御招で、行って見たれば我を御賞美の例言葉数々のその上、いよいよ十兵衛に普請一切申しつけたが蔭になって助けてやれ、皆汝の善根福種になるのぢや、十兵衛が手には職人もあるまい、彼がいよいよ取掛る日には何人も傭ふその中に汝が手下の者も交らう、必ず猜忌邪曲など起さぬやうにそれらには汝から能くいひ含めて遣るがよいとの細い御諭し、何から何まで見透しで御慈悲深い上人様のありがたさにつくづく我折って帰って来たが、十兵衛、過日のいひ過こしば堪忍してくれ、かうした我
の心意気が解つてくれたら従来通り浄く睦じく交際つて貰はう、一切がかう定つて見れば何と思つた彼と思つたは皆夢の中の物詮議、後に遺して面倒こそあれ益ない二と、二の不忍の池水にさらりと流して我も忘れう、十兵衛汝も忘れてくれ、木材の引合ひ、鳶人足への渡りなんど、まだ顔を売込んでゐぬ汝にはちよつと仕憎からうが、それらには我の顔も貸さうし手も貸さう、丸丁、山六、遠州屋、好い間屋は皆馴染でなうては先方がこつちを呑んでならねば、万事歯痒い事のないやう我を自由に出しに使へ、め組の頭の鋭次といふは短気なは汝も知つてゐるであらうが、骨は黒鉄、性根玉は揮りながら火の玉だと平常いふだけ、さてじつくり頼めばぐっと引受け一立退かぬ頼母しい男、塔は何より他行が大事、空風大水の四ツを受ける地盤の固めを彼にさせれぱ、火の玉鋭次が根性だけでも不動が台座の岩より堅く基礎確と据さすると諸肌ぬいでしてくるるは必定、彼にもやがて紹介せう、もうかうなった暁には源太が望みは唯一ツ、天晴十兵衛汝が能く仕出来レさへすりやそれで好のぢや、唯々塔さへ能く成ればそれに越した嬉しいことはない、荷且にも百年千年末世に残っていはば我等の弟子筋の奴らが眼にも入るものに、へまがあっては悲しからうではないか、情ないではなからうか、源太十兵衛時
代にはこんな下らぬ建物に泣たり笑つたりしたきうなといはれる日には、なあ十兵衛、二人が舎利も魂塊も粉灰にされて消し飛ぱさるるは、拙な細工で世に出ぬは恥も却つて少ないが、遺したものを弟子めらに笑はる日には馬鹿親父が息子に異見さるると同じく、親に異見を食ふ子より何段増して恥かしかろ、生礫刑より死んだ後塩漬の上礫刑になるやうな目にあってはならぬ、初めは我もこれほどに深くも思ひ寄らなんだが、汝が我の対面にたつたその意気張から、十兵衛に塔建てきせ見よ源太に劣りはすまいといふか、源太が建てて見せくれう何十兵衛に劣らうぞと、腹の底には木を鐘つて出した火で観る先の先、我意は何もなくなった唯だ好く成てくれさへすれば汝も名誉我も悦び、今日はこれだけいひたいばかり、ああ十兵衛その大きな眼を湿ませて聴てくれたか嬉しいやい、と磨いて礪いで礪ぎ出した純粋江戸ツ子粘り気なし、一でなければ六と出る、盆怒の裏の温和さも飽まで強き源太が言葉に、身動ぎさへせで聞ぎるし十兵衛、何もいはず畳に食ひっき、親方、堪忍して下され口がきけませぬ、十兵衛には口がきけませぬ、こ、こ、この通り、ああ有り難うござりまする、と愚魯しくもまた真実に唯平伏して泣きゐたり。

其二十二
言葉はなくても真情は見ゆる十兵衛が挙動に源太は悦び、春風湖を渡つて霞日に蒸すともいふべき温和の景色を面にあらはし、なほもやさしき語気円暢に、かう打解けてしまふた上は互に不妙こともなく、上人様の思召にも叶ひ我等の一分も皆立つといふもの、ああ何にせよ好い心持、十兵衛汝も過してくれ、我も充分今日こそ酔はう、といひつつ立って違棚に載せて置たる風呂敷包とりおろし、結ぴ目といて二東にせし書類いだし、十兵衛が前に置き、我にあつては要なき此品の、一ツは面倒な材木の委細い当りを調べたのやら、人足軽子その他種々の入目を幾晩かかかって漸く調べあげた積り書、また一ツは彼所をどうして此所をかうしてと工夫に工夫した下絵図、腰屋根の地割だけなもあり、平地割だけなのもあり、初重の仕形だけのもあり、二手先または王手先、出組ばかりなるもあり、雲形波形唐草生類彫物のみを書きしもあり、何より彼より面倒なる真性から内法長押腰長押切目長押に半長押、橡板橡かつら亀腹在高欄垂木桝肘木、貫やら
角木の割合算法、墨縄の引きゃう規尺の取りゃう余さず洩きず記せしもあり、中には我のせしならで家に秘めたる先祖の遺品、外へは出せぬ絵図もあり、京都やら奈良の堂塔を写しとりたるものもあり、これらは悉皆汝に預くる、見たらば何かの足しにもなろ、と自己が精神を籠めたるものを惰気もなしに譲りあたふる、胸の広さの頼母しきを解せぬといふにはあらざれど、のつそりもまた一ト気性、他の巾着で我が口濡らすやうな事は好まず、親方まことに有り難うはござりまするが、御親切は頂戴いたも同然、これは其方に御納めを、と心はさほどになけれども言葉に膠のなさ過ぎる返辞をすれば、源太そ大きに悦ばず。此品をば汝は要らぬといふのか、と橿を底に匿して問ふに、のっそり左様とは気もつかねば、別段拝借いたしても、と一句迂潤り答ふる途端、鋭さ気性の源太は堪らず、親切の上親切を尽して我が智慧思案を凝らせし絵図まで与らむといふものを、無下に返すか慮外なり、何程自己が手腕の好で他の好情を無にするか、そもそも最初に汝めが我が対岸へ廻はりし時にも腹は立ちしが、じっと堪へて争ばず、普通大体のものならば我が庇蔭被たる身をもって一つ仕事に手を入るるか、打郵いても飽かぬ奴と、怒って怒ってどうにもすべきを、可愛きものにおもへぱこそ;目半句の厭味もいはず、
唯々自然の成行に任せ置きしを忘れし歎、上人様の御諭しを受けての後も分別に分別渇らしてわざわざ出掛け、汝のために相談をかけてやりしも勝手の意地張り、大体ならぬものとても堪忍なるべきところならぬを、よくよく汝を最惜が札ぱぞ踏み耐へたるとも知らざる歎、汝が運の好きのみにて汝が手腕の好きのみにて汝が心の正直のみにて、上人様より今度の工事命けられしと思ひ居る歎、此品をば与つてこの源太が恩がましくでも思ふと思ふか、乃至は既慢気の萌して頭から何の詰らぬ者と人の絵図をも易く思ふか、取らぬとあるに強はせじ、余りといへば人情なき奴、ああ有り難うござりますると喜び受けてこの中の仕様を一所二所は用ひし上に、あの箇所は御蔭で笑う行きましたと後で挨拶するほどの事はあっても当然なるに、開けて見もせず覗きもせず、知れ切ったるといはぬぱかりに愛想も菅もなく要らぬとは、汝十兵衛よくも擾ねたの、この源太がした図の中に汝の知った者のみ有らうや、汝らが工風の輪の外に源太が跳り出ずに有らうか、見るに足らぬと其方で思ばば汝が手筋も知れてある、大方高の知れた塔建たぬ前から眼に映って気の毒ながら批難もある、もう堪忍の緒も断れたり、卑劣い返報はすまいなれど源太が烈しい意趣返報は、する時なさで置くべき歎、酸くなるほどに今までは口もき
いたがもうきかぬ、一旦思ひ捨っる上は口きくほどの未練も有たぬ、三年なりとも十年なりとも返報するに充分な事のあるまで、物蔭から眼を光らして睨みっめ無一言でじっと待つててくれうと、気性が違へば思はくも一、二度終に三度めで無残至極に蛆鯖ひ、いと物静に言葉を低めて、十兵衛殿、と殿の字を急にっけ出し町嘩に、要らぬといふ図はしまひましよ、汝一人で建つる塔定めて立派に出来やうが、地震か風の有らう時壊るることは有るまいな、と軽くはいへど深く嘲ける語に十兵衛も快よからず、のっそりでも恥屠は知つてをります、と底力味ある捜を打てば、中々見事な;日ぢや、忘れぬやうに記臆えてゐやうと、釘をさしっっ恐ろしく碑みて後は物いばず、やがて忽ち立ち上って、ああ飛んでもない事を忘れた、十兵衛殿寛りと遊んでゐてくれ、我は帰らねばならぬこと思ひ出した、と風の如くにその座を去り、あれといふ間に推量勘定、幾金か遺して風と出つ、直その足で同じ町のある家が間またぐや否、厭だ厭だ、厭だ厭だ、詰らぬ下らぬ馬鹿馬鹿しい、愚図愚図せずと酒もて来い、蟻燭いぢってそれが食へるか、鈍痴め肴で酒が飲めるか、小策春告お房螺子回の五のいはせず掴むで来い、儒の達者な若い衆頼も、我家へ行て清、仙、鉄、政、誰でも彼でも直に遊びに遣こすやう、といふ片手間に
ぐいぐい仰飲る間もなく入り来る女どもに、今晩なぞとは手ぬるいぞ、と藩向から焦躁を吹っ掛けて、飲め、酒は車懸り、猪口は巴と廻せ廻せ、お房外見をするな、春婆大人ぷるな、ゑゑお蝶めそれでも血が循環つてゐるのか頭上に魍花火載せて火をつくるぞ、きあ歌へ、ぢやんぢやんと遣れ、小兼め気持の好い声を出す、あぐり踊るか、かぐりもつと跳ねろ、やあ清吉来たか鉄も来たか、何でも好い減茶滅茶に騒げ、我に嬉しい事が有るのだ、無礼講に遣れ遣れ、と大将無法の元気なれば、後れて来たる仙も政も煙に巻かれて浮かれたち、天井抜けうが根太抜けうが抜けたら此方の御手のものと、飛ぷやら舞ふやら捻るやら、潮来出島もしほらしからず、甚句に園の声を湧かし、かつぽれに滑って転倒び、手品の太鼓を杯洗で鉄がたたけぱ、清音はお房が傍に牒転んで銀銀にお前その様に酢ばかり飲んでを稽古する馬鹿騒ぎの中で、一丁簡あり顔の政が木遣を丸めたやうな声しながら、北に峨々たる青山をと異なことを吐き出す勝手三昧、やっちやもっちやの末は拳も下卑て、乳房の脹れた奴が贋の下に紙幕張るほどになれぱ、さあもう此処は切り上げてと源太が;目、それから先は何所へやら。

其二十三
蒼鶴の飛ぶ時他所視はなさず、鶴なら鶴の一点張りに雲をも穿ち風にも逆って目ざす獲物の、咽喉仏把握までは合点せざるものなり。十兵衛いよいよ五重塔の工事するに定まつてより廉ても起きても其事三味、朝の飯喫ふにも心の中では塔を嘘み、夜の夢結ぷにも魂塊は九輪の頂を饒るほどなれば、まして仕事にかかつては妻あることも忘れ果て児のあることも忘れ果て、昨日の我を念頭に浮べもせず明日の我を想ひもなさず、唯一-・銑ふりあげて木を伐るときは満身の力をそれに籠め、一枚の図をひく時には一心の誠をそれに注ぎ、五尺の身体こそ犬鳴き鶏歌ひ権兵衛が家に吉慶あれぱ木工右衛門が所に悲哀ある俗世に在りもすれ、精神は紛たる因縁に奪られで必死とばかり勤め励めば、前の夜源太に面白からず思はれし二との気にかからぬにはあらざれど、日頃ののっそり益々長じて、既何処にか風吹きたりし位に自然軽う取り傲し、やがては頓と打ち忘れ、唯々仕事にのみ掛りしは愚惹なるだけ情に鈍くて、一条道より外へは駈けぬ老年の痴に
似たりけり。金箔銀箔瑠璃真珠水精以上合せて五宝、丁子沈香自膠薫陸白檀以上合せて五香、その他五薬五穀まで備へて大土祖神埴山彦神埴山媛神あらゆる鎮護の神々を祭る地鎮の式もすみ、地曳土取故障なく、さて竜伏はその月の生気の方より右旋りに次第据ゑ行き五星を祭り、銑初めの大礼には鍛冶の道をば創められし天の目一箇の命、番匠の道闘かれし手置帆負の命彦狭知の命より思兼の命天児屋根の命太玉の命、木の神といふ句々廼馳の神まで七神祭りて、その次の清鉋の礼も首尾よく済み、東方提頭頼旺持国天王、西方尾噌叉広日天王、南方毘留勒叉増長天、北方毘沙門多聞天王、四天にかたどる四方の柱千年万年動ぐなと祈り定むる柱立式、天星色星多願の玉女三神、貧狼巨門等北斗の七星を祭りて願ふ永久女護、順に柱の仮轄を三ツつっ打って脇司に打ち緊めさする十兵衛は、幾千の苦心も此所まで運べば垢穣顔にも光の出るほど喜悦に気の勇み立ち、動きなき下津盤根の太柱と式にて唱ふる古歌さへも、何とはなしにつくづく嬉しく、身を立つる世のためしぞとその下の句を吟ずるにも莞爾しつつ二度し、壇に向ふて礼拝恭み、拍手の音溝く響かし一切成就の祓を終る此所の光景には引きかへて、源太が家の物淋し
さ。
主人は男の心強く思ひを外には現さねど、お吉は何ほどさぱけたりとて流石女の胸小さく、出入るものに感応寺の塔の地曳の今日済みたり柱立式昨日済みしと聞く度ごとに忌々敷、嫉妬の火炎衝き上がりて、汝十兵衛恩知らずめ、良人の心の広いのをよい事にして付上り、うまうま名を揚げ身を立るか、よし名の揚り身の立たば差詰礼にも来べきはずを、知らぬ顔して鼻高々とその日その日を送りくさる欺、余りに性質の好過ぎたる良人も良人なら面憎きのつそりめもまたのつそりめと、折にふれては八重縦横に疲療の虫跳ね廻らし、自己が小費の後毛上げても、ゑゑ焦ったいと罪のなき髪を掻きむしり、一文貰ひに乞食が来ても甲張り声に酷く謝絶りなどしけるが、ある日源太が不在のと一一ろへ心易き医者道益といふ饒舌坊主遊びに来りて、四方八方の話の末、ある人に連れられて過般蓬莱屋へまゐりましたが、お伝といふ女からききました一分始終、いやどうも此方の棟梁は違ったもの、えらいもの、男児は左様ありたいと感服いたしました、と御世辞半分何の気なしにいひ出でし詞を、手繰ってその夜の仔細をきけば、知らずにゐてさへ口惜しきに知っては重々憎き十兵衛、お吉いよいよ腹を立ちぬ。

其二十四
清吉汝は蹄甲斐ない、意地も察しもない男、何故私には打明けて過般の夜の始末をば今まで話してくれなかつた、私に聞かして気の毒と異に遠慮をしたものか、余りといへぱ狭盤な根性、よしや仔細を聴たとてまさか私が狼狽まはり動転するやうなことはせぬに、女と軽しめて何事も知らせずに置き隠しだてして置く良人の了簡はともかくも、汝たちまで私を聾に盲目にして済してゐるとは余りな仕打、また親方の腹の中がみすみす知れてゐながらに平気の平左で酒に浮かれ、女郎買の供するばかりが男の能でもあるまいに、長閑気でかうして遊びに来るとは、清吉汝もおめでたいの、平生は不在でも飲ませるところだが今日は私は関へない、海苔一枚焼いて遣るも厭なら下らぬ世間咄しの相手するも虫が嫌ふ、飲みたくば勝手に台所へ行って谷口ひねりや、談話がしたくば猫でも相手にするがよい、と何も知らぬ清音、道益が帰りし跡へ偶然行き合はせて散々にお吉が不機嫌を浴せかけられ、訳も了らず驚きあきれて、へどもどなしっっ段々と様子を
問へぱ、自己も知らずに今の今までゐし事なれど、聞けばなるほどどうあっても堪忍の成らぬのっそりの憎さ、生命と頼む我が親方に重々恩を被た身をもって無遠慮過ぎた十兵衛めが処置振り、飽まで親切真実の親方の顔踏みつけたる憎さも憎しどうしてくれ、つoムム親方と十兵衛とは相撲にならぬ身分の差ひ、のつそり相手に争つては夜光の壁を小礫に郵付けるやうなものなれば、腹は十分立たれても分別強く堪へて堪へて、誰にも彼にも麓憤を洩さず知らさず居らるるなるべし、ゑゑ親方は情ない、他の奴はともかく清吉だけには知らしてもよさそうなものを、親方と十兵衛では此方が損、我とのつそりなら損はない、よし、十兵衛め、ただ置かうやと逸りきったる鼻先思案。姉御、知らぬ中は是非がない、堪忍して下され、様子知っては揮りながらもう叱られてはをりますまい、この清音が女郎買の供するばかりを能の野郎か野郎でないか見でみて下され、左様ならば、と後声烈しくいひ捨て格子戸がらり明っ放し、草履も穿かず後も見ず風より疾く駆け去れば、お古今さら気遣はしくつづいて追掛け呼ぴとむるニダ声三声、四声めには既影さへも見えずなったり。

其二十五
材を銑る斧の音、板削る鉋の音、孔を馨るやら釘打っやら下々かちかち響忙しく、木片は飛んで疾風に木の葉の翻へるが如く、鋼屑舞って晴天に雪の降る感応寺境内普請場の景況賑やかに、紺の腹掛頸筋に喰ひ込むやうなを懸けて小路の切り上がった股引いなせに、つっかけ草履の勇み姿、さも怜倒気に働くもあり、汚れ手拭肩にレて日当りの好き場所に躍鋸み、悠々然と襲を刷く衣服の垢稼き爺もあり、道具捜しにまごつく小量、頻りに木を挽割日傭取り、人さまざまの骨折り気遣ひ、汗かき息張るその中に、総棟梁ののつそり十兵衛、皆の仕事を監督りかたがた、墨壷墨さし矩尺もって胸三寸にある切紙を実物にする指図命令。斯様裁れ彼様穿れ、此処を何様して何様やって其処に是だけ勾配布たせよ、孕みが何寸凹みが何分と口でも知らせ墨縄でもいはせ、面倒なるは板片に矩尺の仕様を書いても示し、鵜の目鷹の目油断なく必死となりて自ら励み、今しも一人の若佼に彫物の画を描き与らんと余念もなしにゐしところへ、野猪よりもなほ疾く
産土を蹴立てて飛び来し清音。盆怒の面火玉の如くし逆釣つたる目を一段視開き、畜生、のつそり、くたばれ、と大喝すれぱ十兵衛驚き、振り向く途端に藩向より岩も裂けよと打下すは、ぎらぎらするまで研ぎ澄ませし銑を縦にその柄にすげたる大工に取っての刀なれぱ、何かは堪らむ避くる間足らず左の耳を殺ぎ落され肩先少し切り割かれしが、仕損じたりとまた踏込んで打つを逃げつっ、批げ付くる釘箱才槌墨壼矩尺、利器のなさに防ぐ術なく、身を翻へして退く機に足を突込む道具箱、ぐざと踏み貫く五寸釘、思はず転ぷを得たりやと笠にかかつて清吉が振り冠つたる銑の刃先に夕日の光の閃りと宿つて空に知られぬ電光の、疾しや遅しやその時この時、背面の方に乳虎:戸、馬鹿め、と叫ぷ男あって二問丸太に論もなく両嬬脆く薙ぎ倒せば、倒れて並々怒る清音、忽ち勃然と起きんとする襟元肥って、やい我だは、血迷ふなこの馬鹿め、と何の苦もなく折もぎ取り捨てながら上からぬつと出す顔は、八方眼みの大限、一文字口怒り鼻、渦巻縮れの両髪は不動を欺くぱかりの相形。やあ火の玉の親分か、訳がある、打捨って置いてくれ、と力を限り払ひ除けむと腕き
焦燥るを、栄螺の如き拳固で鎮圧め、ゑゑ、じたばたすれぱ拳殺すぞ、馬鹿め。親分、情ない、此所を此所を放してくれ。馬鹿め。ゑゑ分らねへ、親分、彼奴を活しては置かれねへのだ。馬鹿野郎め、べそをかくのか、従順くしなけれぱ尚打っぞ。親分酷い。馬鹿め、やかましいは、拳殺すぞ。あんまり分らねへ、親分。馬鹿め、それ打っぞ。親分。馬鹿め。放して。馬鹿め。親分。馬鹿め。放して。馬鹿め。親。馬鹿め。放。馬鹿め。お。馬鹿め馬鹿め馬鹿め馬鹿め、醜態を見ろ、従順くなったらう、野郎我の家へ来い、やいどうした、野郎、やあ此奴は死んだな、詰らなく弱い奴だな、やあい、誰奴か来い、肝心の時は逃げ出して今頃十兵衛が周囲に蟻のやうに群って何の役に立っ、馬鹿ども、此方には亡者が出来かかってゐるのだ、鈍遅め、水でも汲んで来て打注けて遣れい、落ちた耳を拾ってゐる奴があるものか、白痴め、汲んで来たか、関ふことはない、一時に手桶の水不残面へ釘付ろ、此様野郎は脆く生るものだ、それ占めた、清音ツ、確乎しろ、意地のねへ、どれどれ此奴は我が背負って行って遣らう、十兵衛が肩の疵は浅からうな、むむ、よしよし、馬鹿ども左様なら。

其二十六
源太ゐるか土這入り来る鋭次を、お吉立ち上つて、おお親分きま、まあまあ此方へと誘へぱ、ずっと通って火鉢の前に無遠慮の大胡坐かき、汲んで出さるる桜湯を半分ばかり飲み干してお吉の顔を視、面色が悪いがどうかした歎、源太は何所ぞへ行つたの歎、定めしもう聴たであらうが清吉めが詰らぬ事を仕出来しての、それ故ちよつと話があつて来たが、むむ左様か、もう十兵衛がところへ行ったと、ハハハ、敏捷い敏捷い、さすがに源太だは、我の思案より先に身体が疾に動いてゐるなぞは頼母しい、なあにお吉心配する事はない、十兵衛と御上人様に源太が謝罪をしてな、自分の示しが足らなかったで手下の奴が飛だ心得違ひをしました、幾重にも勘弁して下されと三ツ四ツ頭を下げれば済んでしまふ事だは、案じ過しはいらぬもの、それでも先方が愚図愚図いへば正面に源太が喧嘩を買って破裂の始末をつければ可いさ、薄々聴いた噂では十兵衛も耳朶の一ツや半分析り奪られても恨まれぬはず、随分清音の軽操行為もちよいとをかしな可い
酒落か知れぬ、ハハハ、しかし欄然に我の拳固を大分食つて咋々苦しがつてゐるばかりか、十兵衛を殺した後はどう始末が着くと我にいはれて漸く悟つたかして、ああ悪かつた、逸り過ぎた間違った事をした、親方に頭を下げきするやうな事をした歎ああ済まないと、自分の身体の痛いのより後悔にぽろぽろ涙を翻してゐる懸然きは、何と可愛い奴ではない歎、哺お吉、源太は酷く清吉を叱って叱って十兵衛が所へ謝罪に行けとまでいふか知らぬが、それは表向の義理なりや是非はないが、此所は汝の儲け役、彼奴をどうか、なあそれ、よしか、其所は源太を抱寝するほどのお吉様に了らぬことはない寸法か、アハハハハ、源太がゐないで話も要らぬ、どれ帰らうかい御馳走は預けて置かう、用があったら何日でもお出、とぽっぽつ語って帰りし後、思へば済まぬことばかり。女の浅き心から分別もなく清音に毒づきしが、逸りきったる若き男の間違仕出して可欄や清音は自己の世を狭め、わが身は大切の所天をまで憎うてならぬのつそりに謝罪らするやうなり行きしは、時の拍子の出来事ながら畢寛は我が口より出し過失、兎せん角せん何とすべきと、火鉢の縁に党する肘のついがつくりと滑るまで、我を忘れて思案に思案凝らせしが、思ひ定めて、応左様ぢやと、立って箪笥の大抽厘、明けて爵香の気と共に投げ
出し取り出すたしなみの、帯はそもそも北家へ来し嬉し恥かし恐ろしのその時締めし、ゑゑそれよ。懇話って買って貰ふたる博多に繕子に未練もなし、三枚重ねに忍ぱるる往時は罪のない夢なり、今は苦労の山繭縞、ひらりと飛ばす飛八丈この頃好みし毛万筋・手筋百節気は乱るとも夫おもふは唯一筋、唯一筋の唐七糸帯は、お屋敷奉公せし叔母が記念と大切に秘蔵だれと何か厭はむ手放すを、と何やらかやら有たけ出して稗に包ませ・夫の帰らぬその中と櫛笄も手ばしこく小箱に纏めて、きて其品を無残や余所の蔵に籠らせ、幾千かの金懐中に浅黄の頭巾小提灯、闇夜も恐れず鋭次が家に。

其二十七
池の端の行き違ひより翻然と変りし源太が腹の底、初めは可愛う思ひしも今は小績に障ってならぬその十兵衛に、頭を下げ両手をついて謝罪らねばならぬ忌々しき。さりとて打捨置かば清音の乱暴も我が命令けてさせし歎のやう疑がはれて、何も知らぬ身に心地快からぬ濡衣被せられむ事の口惜しく、唯さへおもしろからぬこの頃余計な魔がさし
て下らぬ心労ひを、馬鹿馬鹿しき清音めが挙動のためにせねばならぬ苦々しさに並々心平穏ならねど、処分く道の処分かで済むべき訳もなければ、これも皆自然に湧きし事、何とも是非なしと諦めて厭々ながら十兵衛が家音問れ、不慮の難をば討ひ慰め、且は清音を戒むること足らざりレを謝び、のっそり夫婦が様子を視るに十兵衛は例の無言三味、お浪は女の物やさしく、幸ひ傷も肩のは浅く大した事ではござりませねば何卒お案じ下されますな、態々御見舞下されては実に恐れ入りまする、と如才なく口はきけど言葉遣ひのあらたまりて、自然と何処かに稜角あるは間はずと知れし胸の中、もしゃ源太が清音に内々含めてさせし歎と疑ひ居るに極ったり。ゑゑ業腹な、十兵衛も大方我を左様視てゐるべし、疾時機の来よこの源太が返報仕様を見せてくれむ、清音ごとき卑劣な野郎のした事に何似るべき歎、銑で片耳殺ぎ取る如き下らぬ事を我がせうや、我が腹立は木片の火のばつと燃え立ち直消ゆる、堪へも意地もなきやうなる事では済まさじ承知せじ、今日の変事は今日の変事、我が瘤績は我が瘤騒、まるで別なり関係なし、源太がしやうは知るとき知れ悟らする時悟らせくれむと、裏にいよいよ不平は懐げと露座ほども外には出きず、義理の挨拶見事に済まして直その
足を感応寺に向け、上人に御目通り願ひ、一応自己が隷属の者の不埼を御謝罪し・我家に帰りて、卒これよりは鋭次に会ひ、その時清を押へくれたる礼をも演べっその時の暴状をも聞きつ、また一ツには散々清を罵り叱って以後我家に出入り無用といひっけくれむと立出掛け、お吉のゐぬを不審して何所へと問へば、何方へかちよとげて来るとてお出になりました、と何食ばぬ顔で稗の答へ、口禁されてなりとは知らねば、応左様歎・よしよし、我は火の玉の兄がところへ遊びに行たとお吉帰らばいふて置け、と草履つっかけ出合ひがしら、胡麻竹の杖とばとぽと焼痕のある提灯片手、老の歩みの見る目笑止にへの字なりして此方へ来る婆。おお清の母親ではないか。あ、親方様でしたか、

其二十八
ああ好いところで御眼にかかりましたが何所べか御出掛けでござりまするか・と忙し気に老婆が問ふに源太軽く会釈して、まあ能いは、遠慮せずと此方へ這入りゃれ・態々夜道を拾ふて来たは何ぞ急の用か、聴いてあげやう、と立戻れば、ハイハイ・有り難う
ござります、御出掛のところを済みません、御免下さいまし、ハイハイ、といひながら後に随いて格子戸くぐり、寒かつたらうに能う出て来たの、生憎お吉もゐないで関ふことも出来ぬが、縮まってゐずとずっと前へ進て火にでもあたるがよい、と親切にいふてくるる源太が言葉に愈々身を堅くして縮まり、お構ひ下さいましては恐れ入りまする、ハイハイ、懐櫨を入れてをりますればこれで恰好でござりまする、と意久地なく落かかる水沸を洲の立った半天の袖で拭きながら遥下つて入口近きところに躍まり、何やらいひ出したさうな素振り、源太早くも大方察して老婆の心の中撫かしと気の毒さ堪らず、余計な事仕出して我に肝煎らせし清吉のお先走りを罵り懲らして、当分出入ならぬ由いひに鋭次がところへ行かんとせし矢先であれと、視れば我が子を除いては阿弥陀様より他に親しい者もなかるべき屋弱き婆のあはれにて、我清音を突き放さば身は腰弱弓の弦に断れられし心地して、在るに甲斐なさ生命ながらへむに張りもなく的もなくなり、どれほどか悲み歎いて多くもあらぬ余生を愚痴の涙の時雨に暮らし、時々とした気持のする日もなくて終ることならむと、思ひ遣れば思ひ遣るだけ欄然さの増し、煙草捻ってっいゐるに、婆は少しくにぢり出で、夜分まゐりまして実に済みませんが、あの少しお願
ひ申したい訳のござりまして、ハイハイ、既御存知でもござりませうがあの清吉めが飛んだ事をいたしましたきうで、ハイハイ、鉄五郎様から太概は聞きましたが・平常からして気の逸い奴で、直に打つの研るのと騒ぎましてその度にひやひやさせまする、お蔭きまで一人前にはなつてをりましてもまだ児童のやうな真一酷、悪いことや曲つたことは決してしませぬが取り上せては分別のなくなる困った奴で、ハイハイ、悪気は夢さらない奴でござります、ハイハイそれは御存知で、ハイ有り難うござります、何様いふ筋で喧嘩をいたしましたか知りませぬが大それた手斧なんぞを振り舞はしましたそうで・左様ききました時は私が手斧で研られたやうな心持がいたしました、め組の親分とやらが幸ひ抱き留めて下されましたとか、まあ責めてもでござります、相手が死にでもしましたら彼奴は下手人、わたくしは彼を亡くして生きてゐる瀬はござりませぬ・ハイ有り難うござります、彼めが幼少ときは烈い虫持で苦労をさせられましたも大抵ではござりませぬ、漸く中山の鬼子母神様の御利益で満足には育ちましたが、癒りましたら七歳までに御座の土を踏ませませうと申して置きながら、遂何彼にかまけて御礼参りもいたさせなかったその御罰か、丈夫にはなりましたが彼通の無鉄砲、毎々お世話をかけまする・
今日も今日とて鉄五郎様がこれこれと掻摘んで話されました時の私の吃驚、刃物を準備までしてと聞いた時には、ゑゑまたかと思はずどっきり胸も裂けさうになりました、め組の親方様とかが預かつて下されたとあれぱ安心のやうなものの、清めは怪我はいたしませぬかと聞けぱ鉄様の曖昧な返辞、別条はない案じるなといはるるだけになほ案ぜられ、その親分の家を尋ぬれぱ、其処へ汝が行つたが好いか行かぬが可いか我には分らぬ、兎も角も親方様のところへ伺つて見ろといひつ放しで帰ってしまはれ、猶々胸がしくしく痛んでゐても起てもゐられませねぱ、留守を隣家の傘張りに頼むでやうやく参りました、どうかめ組の親分とやらの家を教へて下さいまし、ハイハイ直にまゐりまするつもりで、どんな態してをりまするか、もしや却って大怪我などしてゐるのでは、二ざりますまいか、よいものならば早う逢で安堵したうござりまするし喧嘩の模様も聞きたうござりまする、大丈夫曲った事はよもやいたすまいと思ふてをりまするが若い者の事、ひょっと筋の違った意趣ででもした訳なら、相手の十兵衛様に先この婆が一生懸命で謝罪り、婆は仮令如何きれても借くない老毫、生先の長い彼奴が人様に恨まれるやうなことのないやうにせねぱなりませぬ、とおろおろ涙になっての話し。始終を知らで一卜筋に我子
をおもふ老の蟹言、この返答には源太こまりぬ。

其二十九
八五郎某所にゐるか、誰か来たやうだ明けてやれ、といはれて、なんだ不思議な、女らしいぞと口の中で独語ながら、誰だ女嫌ひの親分の所へ今頃来るのは、さあ這入りな、とがらりと戸を引き退くれば、ハッ様お世話、と軽い挨拶、提灯吹き減して頭巾を脱ぎにかかるは、この盆にもこの正月にも心付してくれたお吉と気がついて八五郎めんくらひ、素肌に一枚どてらの祇広がって鼠色になりし憤鼻揮の見ゆるを急に押し隠しなどしっ、親分、なんの、あの、なんの姉御だ、と忙しく奥へ声をかくるに、なんの尽しで分る江戸ツ児。応左様か、お古来たの、能く来た、まあ其辺の塵埃のなきさうなところへ坐ってくれ、油虫が這って行くから用心しな、野郎ばかりの家は不潔のが粉飾だから仕方がない、我も汝のやうな好い舅でも持ったら清潔にしやうよ、アハハハと笑へばお吉も笑びながら、左様したらまた不潔不潔と厳敷御叱めなきるか知れぬ、と互ひにニツ三
ッ冗話しして後、お吉少しく改まり、清吉は眠てをりまするか、どういふ様子か見ても遣りたし、心にかかれば参りました、といへぱ鋭次も打頷き、清は今がたすやすや睡着いて起きさうにもない容態ぢやが、疵といふて別にあるでもなし頭の顔骨を打破つた訳でもなけれぱ、整骨医師の先刻いふには、烈く逆上したところを減茶減茶に撲たれたため一時は気絶までもしたれ、保証大したことはない由、見たくばちよつと覗いて見よ、と先に立つて導く後にっき行くお吉、三畳ばかりの部屋の中に一切夢で眠りゐる清吉を見るに、顔も頭も膨れ上りて、このやうに撲つてなしたる鋭次の酷さが恨めしきまで可欄なる態なれど、済んだ事の是非もなく、座に戻って鋭次に対ひ、武夫では必ず清音が余計な手出レに腹を立ち、御上人様やら十兵衛への義理をかねて酷く叱るか出入りを禁むるか何とかするでござりませうが、元はといへば清音が自分の意恨でしたではなし、畢尭は此方の事のため、筋の違った腹立をっいむらむらとしたのみなれば、妾はどうも武夫のするばかりを見でみる訳には行かず、殊更少し訳あって妾がどうとかしてやらねぱこの胸の済まぬ仕誼もあり、それやこれやを種々と案じた末に浮んだは一年か半年ほど清音に北地退かすること、人の噂も遠のいて武夫の機嫌も治ったら取成しやうは幾千
も有り、まづそれまでは上方あたりに遊んでゐるやうしてやりたく、路用の金も調へて来ましたれば少しなれども御預け申しまする、何卒宜敷いひ含めて清吉めに与って下さりませ、我夫は彼通り表裏のない人、腹の底には如何思つても必ず辛く清吉に一旦あたるに違ひなく、未練気なしに叱りませうが、その時何と清吉が仮令いふても取り上げぬは知れたこと、傍から妾が口を出しても義理は義理なりや仕様はなし、さりとて慾で傲出来した各でもないに男一人の寄り付く島もないやうにして知らぬ顔では如何しても妾が居られませぬ、彼が一人の母のことは彼さへゐねぱ我夫にも話して扶助るに厭はいはせまじく、また厭といふやうな分らぬことをいひもしますまいなれぱ掛念はなけれど、妾が今夜来たことやら蔭で清をば助ることは、武夫へは当分秘密にして。解った、えらい、もう用はなからう、お帰りお帰り、源太が大抵来るかも知れぬ、撞見しては拙からう、と愛想はなけれど真実はある言葉に、お吉嬉しく頼み置きて帰れば、その後へ引きちがへて来る源太、果して清音に、出入りを禁むる師弟の縁断るとの言ひ渡し。鋭次は笑って黙り、清音は位て詫びしが、その夜源太の帰りし跡、清音鋭次にまた泣かせられて、狗になっても我や姉御夫婦の門辺は去らぬと捻りける。
四、五日過ぎて清音は八五郎に送られ、箱根の温泉を志して江戸を出しが、それよりたどる東海道いたるは京か大阪の、夢はいつでも東都なるべし。

其三十
十兵衛傷を負ふて帰ったる翌朝、平生の如く夙く起き出づればお浪驚いて急にとどめ、まあ滅相な、緩りと臥むでおいでなされおいでなされ、今日は取りわけ朝風の冷たいに破傷風にでもなったら何となさる、どうか臥むでゐて下され、お湯ももう直沸きませうほどに含歎手水も其所で妾がさせてあげませう、と破土竈にかけたる羽魔け釜の下焚きつけながら気を揉んでいへど、一向平気の十兵衛笑つて、病人あしらひにきれるまでの事はない、手拭だけを絞つて貰へば顔も一人で洗ふたが好い気持ぢや、と箱の緩みし小盟に自ら水を汲み取りて、別段悩める容態もなく平日の如く振舞へば、お浪は呆れ且つ案ずるに、のっそり少しも頓着せず朝食終ふて立上り、突然衣物を脱ぎ捨てて股引腹掛着にかかるを、飛んでもない事何処へ行かるる、何程仕事の大事ぢやとて昨日の今日は
疵口の合ひもすまいし痛みも去るまじ、泰然としてゐよ身体を使ふな、仔細はなけれど治癒るまでは万般要慎第一といはれた御医者様の言葉さへあるに、無理圧して感応寺に行かるる心か、強過ぎる、仮令行つたとて働きはなるまじ、行かいでも誰が答めう、行かで済まぬと思はるるなら妾がちよと一ト走り、お上人様の御目にかかつて三日四日の養生を直々に願ふて来ましよ、御慈悲深いお上人様の御承知なきれぬ気遣ひない、かならず大切にせい軽挙すなと仰やるは知れた事、さあ此衣を着て家に引籠み、せめて疵口の悉皆密着くまで沈静てゐて下ざれ、と只管とどめ宥め慰め、脱ぎしをとって復被すれば、余計な世話を焼かずとよし、腹掛着せい、これは要らぬ、と利く右の手にて嬢ね退くる。まあ左様いはずと家にゐて、とまた打破する、嬢ね退くる、男は意気地女は情、言葉あらそひ果しなければさすがにのつそり少し怒って、訳の分らぬ女の分で邪魔立てするか忌々しい奴、よしよし頼まぬ一人で着る、高の知れたる蛆矧膨に一日なりとも仕事を休んで職人どもの上に立てるか、汝は少も知るまいがの、この十兵衛はおろかしくて馬鹿と常々いはるる身故に職人どもが軽う見て、眼の前では我が指揮に従ひ働くやうなれど、蔭では勝手に怠惰るやら譲るやら散々に茶にしてゐて、表面二そ粗へ誰一人真
実仕事を好くせうといふ意気組持つてしてくるるものはないは、ゑゑ情ない、如何かして虚飾でなしに骨を折って貰ひたい、仕事に膏を乗せて貰ひたいと、諭せぱ頭は下げながら横向いて鼻で笑はれ、叱れぱ口に謝罪られて顔色に怒られ、つくづく我折つて下手に出れぱ直と増長さるる口惜さ悲しさ辛き、毎日毎日棟梁棟梁と大勢に立てられるは立派で可けれど腹の中では泣きたいやうな事ぱかり、いつそ穴襲りで引使はれたはうが苦しうないと思ふ位、その中でどうかかうか此日まで運ばして来たに今日休んでは大事の蹟き、胸が痛いから早帰りします、頭痛がするで遅くなりましたと皆に怠惰られるは必定、その時自分が休んでゐれば何と:冒いひやうなく、仕事が雨垂拍子になって出来べきものも仕損ふ道理、万が一にも仕損じてはお上人様源太親方に十兵衛の顔が向られうか、これ、生きても塔が成ねばな、この十兵衛は死んだ同然、死んでも業を仕送げれば汝が夫は生てゐるはい、二寸三寸の手斧傷に臥てゐられるかゐられぬ歎、破傷風が怖しい歎仕事の出来ぬが怖しい歎、よしや片腕奪られたとて一切成就の暁までは駕籠に乗っても行かではゐぬ、ましてやこれしきの虹矧膨に、といひっつお浪が手中より奪ひとったる腹掛に、左の手を通さんとして擾・むる顔、見るに女房の争べず、争ひまけて傷をい
たはり、遂に半天股引まで着せて出しける心の中、何とも口にはいひがたかるべし。十兵衛よもや来はせじと思ひ合ふたる職人ども、ちらりほらりと辰の刻頃より来て見て吃驚する途端、精出してくるる嬉しいぞ、との;目を十兵衛から受けて皆冷汗をかきけるが、これより一同励み勤め昨日に変る身のこなし、一をきいては三まで働き、二といはれしには四まで動けば、のっそり片腕の用を欠いて卸て多くの腕を得っ日々工事捗取り、肩疵治る頃には大抵塔も成あがりぬ。

其三十一
時は一月の末つ方、のっそり十兵衛が辛苦経営むなしからで、感応等生霊塔いよいよ物の見事に出来上り、段々足場を取り除けば次第次第に露るる一階一階また一階、五重毅然と聾えしさま、金剛力士が魔軍を脾睨んで十六丈の姿を現じ坤軸動がす足ぷみして康上に突立ちたるごとく、天晴立派に建ったる哉、あら快よき細工振りかな、希有ぢや未曾有ぢや再あるまじと為左衛門より門番までも、初手のっそりを軽しめたる事は忘れ
て讃歎すれば、円道はじめ一山の僧徒も躍りあがって歓喜び、これでこそ感応寺の五重塔なれ、あら嬉しや、我らが頼む師は当世に肩を比すべき人もなく、八宗九宗の碩徳たち虎豹鶴鷺と勝ぐれたまへる中にも絶類抜群にて、警へば獅子王孔雀王、我らが頼むこの寺の塔も絶類抜群にて、奈良や京都はいざ知らず上野浅草芝山内、江戸にて此塔に勝るものなし、殊更塵土に埋もれて光も放たず終るべかりし男を拾ひあげられて、心の宝珠の輝きを世に発出されし師の美徳、困苦に携まず知己に酬いて遂に仕遂げし十兵衛が頼もしさ、おもしろくまた美はしき奇因縁なり妙因縁なり、天の成せしか人の成せし歎はたまた諸天善神の蔭にて操り玉ひし歎、屋を造るに巧妙なりし達賦伽導者の噂はあれど世尊在世の御時にも如是快き事ありしを未だきかねぱ漢土にもきかず、いで落成の式あらば我偲を作らむ文を作らむ、我欲をよみ詩を作して頒せむ讃せむ詠ぜむ記せむと、各々互に語り合ひじは慾のみならぬ人間の情の、やさしくもまた殊勝なるに引替へて、測り難きは天の心、円道為左衛門二人が計らひとしていと盛んなる落成氏執行の日も略定まり、その日は貴賎男女の見物をゆるし貧者に剰れる金を施し、十兵衛その他を惰らひ賞する一方には、また伎楽を奏して世に珍しき塔供養あるべきはずに支度とりどり
なりし最中、夜半の鐘の音の曇って平日には似っかず耳にきたなく聞えしがそもそも、漸々あやしき風吹き出して、眠れる児童も我知らず夜具踏み脱ぐほど時候生暖かくなるにつれ、雨戸のがたつく響き烈しくなりまさり、闇に操まるる松柏の梢に天魔の号びものすごくも、人の心の平和を奪へ平和を奪へ、浮世の栄華に誇れる奴らの胆を破れや睡りを撹せや、愚物の胸に血の濤打たせよ、偽物の面の紅き色奪れ、斧持てる者斧を揮へ、矛もてるもの矛を揮へ、汝らが鋭き剣は餓えたり汝ら剣に食をあたへよ、人の膏血はよき食なり汝ら剣に飽まで喰はせよ、飽まで人の膏賦を餌へと、号令きびしく発するや否、猛風一陣どつと起って、斧をもっ夜叉矛もてる夜叉餓えたる剣もてる夜叉、皆一斉に暴れ出しぬ。

其三十二
長夜の夢を覚まされて江戸田里四方の老若男女、悪風来りと驚き騒ぎ、雨戸の横柄子緊乎と挿せ、辛張棒を強く張れと家々ごとに狼狽ゆるを、可懸とも見ぬ飛天夜叉王、怒
号の声音たけだけしく、汝ら人を揮るな、汝ら人間に揮られよ、人間は我らを軽んじたり、久しく我らを賎みたり、我らに捧ぐべきはずの定めの牲を忘れたり、這ふ代りとして立つて行く狗、騎著の塒巣作れる禽、尻尾なき猿、物言ふ蛇、露誠実なき狐の子、汚稼を知らざる家の女、彼らに長く侮られて遂に何時まで忍び得む、我らを長く侮らせて彼らを何時まで誇らすべき、忍ぷべきだけ忍びたり誇らすべきだけ誇らしたり、六十四年は既に過ぎたり、我らを縛せし機運の鉄鎖、我らを囚へし慈忍の岩窟は我が神力にて祉断り棄てたり崩潰さしたり、汝ら暴れよ今こそ暴れよ、何十年の恨の毒気を彼らに返せ一時に返せ、彼らが騎慢の気の臭さを鉄囲山外に擾んで捨てよ、彼らの頭を地につかしめよ、無慈悲の斧の刀味の好さを彼らが胸に試みよ、惨酷の矛、瞑志の剣の刀糞と彼らをなしくれよ、彼らが喉に氷を与へて苦寒に怖れ顔かしめよ、彼らが胆に針を与へて秘密の痛みに堪ざらしめよ、彼らが眼前に彼らが生したる多数の奢像の子孫を殺して、現物の念を嵯歎の灰の河に埋めよ、彼らは蚕児の家を奪ひぬ汝ら彼らの家を奪べや、彼らは蚕児の智慧を笑ひぬ汝ら彼らの智慧を讃せよ、すべて彼らの巧みとおもへる智慧をかな讃せよ、大とおもへる意を讃せよ、美しと自らおもへる情を讃せよ、協へりとなす理を
讃せよ、剛しとなせる力を讃せよ、すべては我らの矛の餌なれば、剣の餌なれば斧の餌なれぱ、讃して後に利器に餌ひ、よき餌をっくりし彼らを笑へ、鰯らるるだけ彼らを鰯れ、急に屠るな麗り殺せ、活しながらに一枚一枚皮を剥ぎ取れ、肉を剥ぎとれ、彼らが心臓を鞠として蹴よ、枳棘をもて脊を鞭てよ、歎息の呼吸涙の水、動悸の血の音悲鳴の声、それらをすべて人間より取れ、残忍の外快楽なし、酷烈ならずば汝ら疾く死ね、暴れよ進めよ、無法に住して放逸無漸無理無体に暴れ立て暴れ立て進め進め、神とも戦へ仏をも灘け、道理を壊つて壊りすてなば天下は我らがものなるぞと、叱陀する度土石を飛ぱして丑の刻より寅の刻、卯となり辰となるまでも毫も止まず励ましたっれば、数万の春属勇みをなし、水を渡るは波を蹴かへし、陸を走るは抄を蹴かへし、天地を塵埃に黄ばまして日の光をもほとほと掩ひ、斧を揮って数寄者が手入れ怠りなき松を冷笑ひつつほっきと研るあり、矛を舞はして仮屋根に忽ち穴を穿っもあり、ゆさゆさゆさと怪力もてさも堅固なる家を動かし橋を揺がすものもあり。手ぬるし手ぬるし酷きが足らぬ、我に続けと憤怒の牙噛み鳴らしつつ夜叉王の躍り上って焦躁ば、虚空に充ち満ちたる替属、をたけび鋭くをめき叫んで遠に無に暴威を揮ふほどに、神前寺内に立てる樹も富家
の庭に養はれし樹も、声振り絞つて泣き悲み、見る見る大地の髪の毛は恐怖に一々竪立なし、柳は倒れ竹は割るる折しも、黒雲空に流れて樫の実よりも大きなる雨ぱらりばらりと降り出せぱ、得たりとますます暴るる夜叉、垣を引き捨て塀を蹴倒し、門をも破し屋根をもめくり軒端の瓦を踏み砕き、唯一ト採に屑屋を飛ばしニタ探み揉んでは二階を捻ぢ取り、三たび探んでは某寺を物の見事に漬し崩し、どうどうどつと園をあぐるその度毎に心を冷し胸を騒がす人々の、あれに気づかひ二れに案ずる笑止の様を見ては喜び、居所きへもなくされて悲むものを見ては喜び、いよいよ図に乗り狼籍のあらむ限りを逞しうすれば、八百八町百万の人みな生ける心地せず顔色さらにあらぱこそ。中にも分けて驚きしは円道為左衛門、折角僅に出来上りし五重塔は揉まれ揉まれて九輪は動ぎ、頂上の宝珠は空に得読めぬ字を書き、岩をも転ばすべき風の突掛け来り、楯をも貫くべき雨の釘付り来る度携む姿、木の軋る音、優る姿、また擦む姿、軋る音、今にも傾覆らんず様子に、あれあれ危し仕様はなぎか、傾覆られては大事なり、止むる術もなき事か、雨さへ加はり来りし上周囲に樹木もあらざれば、未曾有の風に基礎狭くて丈のみ高きこの塔の堪へむことの覚束なし、本堂さへもこれほどに動けば塔は如何ばか
りぞ、風を止むる呪文はきかぬか、かく恐ろしき大暴風雨に見舞に来べき源太は見えぬ歎、まだ新しき出入なりとて重々来では叶はさる十兵衛見えぬか寛怠なり、他さへかほど気づかふに己がせし塔気にかけぬか、あれあれ危しまた携むだば、誰か十兵衛招びに行け、といへども天に瓦飛ぴ板飛び、地上に砂利の舞ふ中を行かむといふものなく、漸く賞美の金に飽かして掃除人の七歳爺を出しやりぬ。

其三十三
毫膝頭巾に首をっっみてその上に雨を凌かむ準備の竹の皮笠引被り、篤子合羽に胴締して手ごろの杖持ち、恐怖ながら烈風強雨の中を駈け抜けだる七歳爺、やうやく十兵衛が家にいたれぱ、これはまた酷い事、屋根半分はもう疾に風に奪られて見るさへ気の毒な親子三人の有様、隅の方にかたまり合ふて天井より落ち来る点滴の飛沫を古莚で僅に避けゐる始末に、さてものつそりは気に働らきのない男と呆れ果つつ、これ棟梁殿、この暴風雨に左様してゐられては済むまい、瓦が飛ぶ樹が折れる、戸外は全然戦争のやう
な騒ぎの中に、汝の建てられたあの塔は如何あらうと思はるる、丈は高し周囲に物はなし基礎は狭し、どの方角から吹く風をも正面に受けて揺れるは揺れるは、旗竿ほどに饒むではきちきちと材の軋る音の物凄さ、今にも倒れるか壊れるかと、円道様も為右衛門様も胆を冷したり縮ましたりして気が気ではなく心配して居らるるに、一体ならば迎ひなど受けずとも二の天変を知らず顔では済まぬ汝が出ても来ぬとは余りな大勇、汝の御蔭で険難な使を嚇吋かり、忌々しいこの瘤を見てくれ、笠は吹き捜はれる全濡にはなる、おまけに木片が飛んで来て額に打付りくさつたぞ、いい面の皮とは我が二と、さあさあ一所に来てくれ来てくれ、為右衛門様円道様が連れて来いとの御命令だは、ゑゑ吃驚した、雨戸が飛んで行てしまふたのか、これだもの塔が堪るものか、話しする間にももう倒れたか折れたか知れぬ、愚図愚図せずと身支度せい、疾く疾くと怠り立っれば、傍から女房も心配気に、出て行かるるなら途中が危険い、腐ってもあの火事頭巾、あれを出しましよ冠ってお出なされ、何が飛んで来るか知れたものではなし、外見よりは身が大切、何程濫襖でも仕方ない刺子絆纏も上に被ておいでなきれ、と戸棚がたがた明けにかかるを、十兵衛不興気の眼でぢつと見ながら、ああ構ふてくれずともよい、出ては行かぬは、風が吹いたとて騒ぐには及ばぬ、七蔵殿御苦労でござりましたが塔は大丈夫倒れませぬ、なんのこれほどの暴風雨で倒れたり折れたりするやうな脆いものではござりませねば、十兵衛が出掛けてまゐるにも及びませぬ、円道様にも為右衛門様にも左様いふて下され、大丈夫、大丈夫でござります、と泰然はらって身動きもせず答ふれば、七蔵少し膨れ面して、まあともかくも我と一緒に来てくれ、来て見るがよい、あの塔のゆきゆききちきちと動くさまを、此処にゐて目に見ねばこそ威張って居らるれ、御開帳の幟のやうに頭を振つてゐるきまを見られたら何程十兵衛殿寛潤な気性でも、お気の毒ながら魂塊がふはりふはりとならるるであらう、蔭で強いのが役にはたたぬ、きあさあ一所に来たり来たり、それまた吹くは、ああ恐ろしい、由々止みさうにもない風の景色、円逆様も為左衛門様も定めし肝を煎って居らるるぢやろ、さつさと頭巾なり絆纏なり冠るとも被るともして出掛けさつしやれ、と遣り返す。大丈夫でござりまする、御安心なきって御帰り、と突嬢る。その安心が左様子易くは出来ぬわい、と五月蝿いふ。大丈夫でござりまする、と同じことをいふ。末には七歳焦れこむで、何でも彼でも来いといふたら来い、我の言葉とおもふたら違ふぞ円道様為左衛門様の御命令ぢや、と語気あらく
なれぱ十兵衛も少し勃然として、我は円道様為右衛門様から五重塔建ていとは命令かりませぬ、御上人様は定めし風が吹いたからとて十兵衛よべとは仰やりますまい、そのやうな清ない事をいふては下さりますまい、もしも御上人様までが塔危いぞ十兵衛呼べといはるるやうにならば、十兵衛一期の大事、死ぬか生きるかの瀬門に乗かかる時、天命を覚悟して駈けつけませうなれど、御上人様が;己半句十兵衛の細工を御疑ひなさらぬ以上は何心配の事もなし、余の人たちが何をいはれうと、紙を材にして仕事もせず魔術も手抜もしてゐぬ十兵衛、天気のよい日と同じことに雨の降る日も風の夜も楽々としてをりまする、暴風雨が怖いものでもなけれぱ地震が怖うもござりませぬと円道様にいふてトされ、と愛想なくいひ切るにぞ、七歳仕方なく風雨の中を駈け抜けて感応寺に帰りつき円道為左衛門にこのよしいへぱ、さてもその場に臨むでの智慧のない奴め、何故その時に上人様が十兵衛来いとの仰せぢやとはいはぬ、あれあれあの揺るる態を見よ、汝までがのつそりに同化て寛怠過ぎた了見ぢや、是非はない、も一度行って上人様の例言葉ちゃと欺証り、文句いはせず連れて来い、と旧道に烈しく叱られ、忌々しさに独語きつつ七歳ふたたび寺門を出てぬ。

其三十四
さあ十兵衛、今度は是非に来よ四の五のはいはせぬ、上人様の御召ぢやぞ、と七蔵爺いきりきつて門口から我鳴れば、十兵衛聞くより身を起して、なにあの、上人様の御召なきるとか、七蔵殿それは真実でござりまするか、ああなさけない、何程風の強ければとて頼みきったる上人様までが、二の十兵衛の一心かけて建てたものを脆くも破壊るる歎のやうに思し召きれたか口惜しい、世界に我を慈悲の眼で見て下さるる唯一つの神とも仏ともおもふてゐた上人様にも、真底からは我が手腕たしかと思はれざりし歎、つくづく頼母しげなき世間、もう十兵衛の生き甲斐なし、たまたま当時に双なき尊き智識に知られしを、これ一生の面目とおもふて空に悦びしも真に果敢無き少時の夢、嵐の風のそよと吹けば丹誠凝らせしあの塔も倒札やせむと疑はるるとは、ゑゑ腹の立つ、泣きたいやうな、それほど我は腋のない奴か、恥をも知らぬ奴と見ゆる歎、自己がしたる仕事が恥辱を受けてものめのめ面押拭ふて自己は生きてゐるやうな男と我は見らるる鮒、た
とへばあの塔倒れた時生きてゐやうか生きたからう歎、ゑゑ口惜い、腹の立っ、お浪、それほど我が都しからうか、ああああ生命ももういらぬ、我が身体にも愛想の尽きた、二の世の中から見放された十兵衛は生きてゐるだけ恥辱をかく苦悩を受ける、ゑゑいっその事塔も倒れよ暴風雨もこの上烈しくなれ、少しなりともあの塔に損じの出来てくれよかし、空吹く風も地打つ雨も人間ほど我には情無からねぱ、塔破壊されても倒されても悦びこそせめ恨はせじ、板一枚の吹きめくられ釘一本の抜かるるとも、味気なき世に未練はもたねば物の見事に死んで退けて、十兵衛といふ愚魯漢は自己が業の粗漏より恥辱を受けても、生命惜しさに生存へてゐるやうな郡劣な奴ではなかりしか、如是心を有ってゐしかと責めては後にて吊はれむ、一度はどうせ捨つる身の捨処よし捨時よし、仏寺を汚すは恐れあれど我が建てしもの壊れしならぱその場を一歩立去り得べきや、諸仏菩薩も御許しあれ、生霊塔の頂上より直ちに飛んで身を捨てむ、投ぐる五尺の皮嚢は潰れて醜かるべきも、きたなきものを盛ってはをらず、あはれ男児の醇粋、清浄の血を流きむなれば愁然ともこそ照覧あれと、おもひし事やら思はざりしや十兵衛自身も半分知らで、夢路を何時の間にか辿りし、七歳にさへ何処でか分れて、此所は、おお、それ、
その塔なり。上りつめたる第五層の戸を押明けて今しもぬつと十兵衛半身あらはせば、礫を投ぐるが如き暴雨の眼も明けさせず面を打ち、一ツ残りし耳までも祉断らむぱかりに猛風の呼吸さへさせず吹きかくるに、思はず一足退きしが屈せず奮って立出でっ、欄を握むで屹と脾めぱ天は五月の闇より黒く、ただ鴛々たる風の音のみ宇宙に充て物騒がしく、さしも堅固の塔なれど虚空に高く聾えたれぱ、どうどうどっと風の来る度ゆらめき動きて、荒浪の上に採まるる棚なし小舟のあはや傾覆らむ風情、きすが覚悟を極めたりしもまた今更におもはれて、一期の大事死生の岐路と八万四千の身の毛竪たせ牙咬定めて眼を艀り、いざその時はと手にして来し六分襲の柄忘るるぱかり引握むでぞ、天命を静かに待つとも知るや知らずや、風雨いとはず塔の周囲を幾度となく排個する、怪しの勇一人ありけり。

其三十五
去る日の暴風雨は我ら生れてから以来第一の騒なりしと、常は何事に逢ふても二十年前三十年前にありし例をひき出して古きを大袈裟に、新しきを訳もなくいひ消す気質の老人さへ、真底我折って噂しあへば、まして天変地異をおもしろづくで談話の種子にするやうの劉軽な若い人は分別もなく、後腹の疾まぬを幸ひ、何処の火の見が壊れたり彼処の二階が吹き飛ばされたりと、他の憂ひ災難を我が茶受とし、醜態を見よ馬鹿慾から芝居の金主して何某め痛い日に逢ふたるなるベレ、さても笑止あの小屋の漬れ方はよ、また日頃より小面憎かりし横町の生花の宗匠が二階、御神楽だけの事はありしも気味よし、それよりは江戸で一、二といはるる大寺の脆く倒れたも仔細こそあれ、実は檀徒から多分の寄附金集めながら役僧の私曲、受負師の手品、そこにはそこの有りし由、察するに本堂のあの太い柱も桶でがな有ったらうなんどと様々の沙汰に及ひけるが、いづれも感応等生霊塔の釘一本ゆるまず板一枚剣がれざりしには舌を巻きて讃歎し、いや彼塔を作った十兵衛といふは何とえらいものでは、こざらぬ歎、あの塔倒れたら生きてはゐぬ覚悟であったさうな、すでの事に襲脚んで十六間真逆しまに飛ふところ、欄干を斯う踏み、風雨を睨んであれほどの大撰の中に泰然と構へてゐたといふが、その一念でも破壊るまい、風の神も大方血眼で睨まれては遠慮が出たであらう欺、甚五郎このかたの名人ぢや
真の棟梁ぢや、浅草のも芝のもそれぞれ損じのあったに一寸一分歪みもせず退りもせぬとは能う造った事の。いやそれについて話しのある、その十兵衛といふ男の親分がまた滅法えらいもので、もしも些なり破壊れでもしたら同職の恥辱知合の面汚し、汝はそれでも生きてゐられうかと、到底再度鉄槌も手斧も握る事の出来ぬほど引叱って、武士でいはば詰腹同様の目に逢はせうと、ぐるぐるぐる大雨を浴びながら塔の周囲を巡ってゐたきうな。いやいや、それは間違ひ、親分ではない商売上敵ぢやさうな、と我れ知り顔に語り伝べぬ。暴風雨のために準備狂ひし落成氏もいよいよ済みし日、上人わざわざ源太を召びたまひて十兵衛と共に塔に上られ、心あって雛僧に持たせられし御筆に墨汁したたか含ませ、我この塔に銘じて得させむ、十兵衛も見よ源太も見よと宣ひつつ、江都の住人十兵衛これを造り川越源太郎これを成す、年月日とぞ筆太に記し了られ、満面に実を湛へて振り顧りたまへば、両人ともに言葉なくただ平伏して拝謝みけるが、それより宝塔長べに天に聾えて、西より謄れば飛檜ある時累月を吐き、東より望めば勾欄タに紅日を呑んで、百有余年の今になるまで、講は活きて遺りける。