2007/01/29

The Joy Luck Club

・千里を越えてきた母


老女は、上海にいた若いころ、ほんのはした金で買った白鳥のことを思い出した。屋台の主人がこう自慢した・・・・この鳥は、
前は家鴨だったんだよ。鵞鳥になりたいと首を伸ばしてるうちに、ほら! 食べるには惜しいような美しい白鳥になっちまった。


やがて、その女と白鳥は、首をアメリカに伸ばしながら数千里の海原を渡った。旅の途中、彼女は白鳥に優しい声で囁いた。 
「アメリカに着いたら、わたしそっくりの女の子を産むわ。女の価値は夫のゲップの大きさで計られるなんて言う人は、
向こうにはいないでしょうよ。人から見下されないように、娘には完璧なアメリカ英語を身につけさせるわ。向こうに行ったら、
娘はいつも満腹で悲しみなど入り込む隙間もないでしょうね! 自分が望む以上のものになったこの白鳥を娘にあげれば、
きっと娘はわたしの思いを汲んでくれるはずだわ」


だが、新しい国に着いたとき、移民局の役人はその白鳥を取り上げ、うろたえて両手をばたつかせる彼女に一枚の羽だけ返してよこした。
それから彼女は、ここにやってきたわけや後に残してきたものなど、もう忘れてしまったことを幾つもの書類に書き込まなければならなかった。


そして彼女は年老いた。生まれた娘は英語しかしゃべらず、悲しみよりもコカコーラのほうをたくさん飲んだ。彼女は、
そんな娘に一枚の白鳥の羽を渡してこう言いたいとずっと願っていた・・・・「なんの価値もないと思うだろうけど、
この羽はわたしのすべての望みを携えて遠くから渡ってきたのよ」と。それを完璧なアメリカ英語で娘に伝えられる日がくるのを、
彼女はじっと待ち続けた。


・つまづいた子どもたち


「自転車で角までいっちゃだめよ」 七つの娘に母親が言った。

「どうしてよ!」 娘は逆らった。

「あなたが見えなくなるし、転んで泣いても聞こえないからよ」

「転ぶってどうしてわかるの?」 娘は文句を言った。

「本にそう書いてあるわ、二十六の鬼門があるって。この家のまわりから離れたら、悪いことばかり起きるってね」

「あたし信じないわ。その本を見せてよ」

「中国語で書いてあるから、あなたにはわからないわ。だからお母さんの言うことは聞かなくちゃならないの」

「じゃあ、悪いことってどんなこと?」 娘は言いつのった。 「二十六の悪いことがなんなのか教えてよ」

だが母親は黙って編み物をしていた。

「二十六ってなによ!」 娘は叫んだ。

それでも母親は答えなかった。

「知らないから言えないんだわ! なんにも知らないくせに!」 娘は外に走りでて自転車に乗り急いで漕ぎだしたが、
角を曲がる前に転んでしまった。


・アメリカ人となった娘たち


「うわー!」 母親は、新しいコンドミニアムに引っ越した娘のマスター・ベットルームにある鏡張りの衣装箪笥をみて大声を上げた。 
「ベッドの足下に鏡を置いてはだめよ。結婚の幸せがみんな跳ね返って逆のほうを向いてしまうから」

「でも、そこしか置く場所がないから、どこにも動かせないわ」 娘は、すべてに悪い兆候を見つける母親に苛々して言う。
生まれてからずっとこの調子だったのだ。


母親は顔をしかめ、捨てずにとっておいたメーシーの買い物袋を手に突っ込んだ。 「わたしがなんとかしてあげるから、
幸運だと思いなさい」 彼女は、娘の引っ越し祝いに先週”プライス・クラブ”で買っておいた金縁の鏡を取り出した。
それを二つの枕の上に置いてヘッドボードにもたせかけた。


「そこにかけるのよ」 母親は、上の壁を指差した。 「この鏡が足元の鏡を反射して-ピカッ!-
あんたの桃の花の幸運を何倍にも増やしてくれるからね」

「桃の花の幸運って?」

母親は、いたずらっぽい目で笑った。 「それはここにあるわ」 彼女は鏡を指差した。 「中を覗いてごらん。
わたしの言葉が正しいかどうかわかるから。この中に、未来のわたしの孫がいるのよ。来年の春、わたしの膝に座っている孫がね」

娘は鏡を覗いた-ピカッ! そこには自分を見つめ返している自分の顔があった。


・中国の母たちの物語


「オー! フワイドンシ!」-なんて悪い子なの-幼い孫娘をあやしながら、その老女は言った。 「仏さまは、
意味もなく笑えとおっしゃったのかい?」 声をたてて笑っている赤ん坊を前にして、老女は深い願望が胸の奥に疼くのを感じた。


「わたしが永遠に生きられたとしても」 彼女は赤ん坊に話しかけた。 「どうやってあんたに教えたらいいか見当もつかないよ。
 かつては、わたしも自由で無邪気だった。意味もなく笑ったものだった。


「でも、あとでわたしは自分を守るために無邪気な心を捨ててしまったんだよ。そして、娘にも、あんたのお母さんにも、
傷つかないために無邪気な心を捨てるように教えた


「フワイドンシ、それは間違いだったかねえ? わたしが人の邪悪な心に気づくとしたら、
それはわたしもまた邪悪な人になったからじゃないのかい? 人を疑ってばかりいる人に気づくとしたら、
わたしも疑う気持ちを持っているからじゃないのかい」


赤ん坊は、おばあさんの繰り言を聞きながら笑い声をたてた。


「オー! オー! あんたはもう幾度も蘇って永遠に生きているといって笑っているのかい? あんたは西王母(シーワンシー)で、
わたしに答えてくれるために戻ってきたっていうのかい? いいとも、答えをきかせておくれ・・・・


「ありがとうよ、小さい女王さま。それじゃ今度は、わたしの娘にも同じことを教えてやっておくれ。
無邪気な心を失っても希望だけはなくさない方法を。永遠に笑っていられる方法をねえ」


(「ジョイ・ラック・クラブ」 エィミ・タン 小沢瑞穂訳)


各章の先頭にある短編を繋ぎ合わせた内容です。