2007/06/14

自由市場をすべての問題の万能薬とする空虚なイデオロギー

市場の社会的深化は矛盾に満ちた結果を生じさせた。「自由競争」のイデオロギーが支配的になり、
企業は自由市場の名のもとで社会の再生産や管理といったものにより深く浸透する。その一方で、市場の社会的深化によって、
国家と企業の複合的な連携と結合が強まり、生や知にかかわる私的所有の領域は拡大し、それは排他的独占的な障壁で守られることになった。
こうしてみると、「民営化」や企業市場の権力の増大は、「選択の自由」の幅を広げるどころか、逆に狭めるものと考えられるだろう。
とするなら、経済理論と新自由主義による日々の実践は、ますます乖離してしまう。おかしなことに、理論と実践との間に、
生きた経験から生み出された乖離の存在がありながら、新自由主義理論の信奉者たちは自分たちへの批判を「ユートピアを語っている」
と切り捨て、新自由主義が世界で唯一の「現実」であると主張する。自由市場をすべての問題の万能薬とする空虚なイデオロギーは、政治的、
社会的、文化的自由にかかわる豊穣かつ複合的な事象を、単に「企業の成長の自由」という概念へと矮小化した。


(『自由を耐え忍ぶ』 テッサ・モーリス-スズキ 辛島理人訳 岩波書店 P173)