2007/06/11

アイヌと日本の分業化

アイヌ社会を「狩猟採集」社会の原型として再構築したのは、まさに初期近代の発展過程にほかならない。
交易の増加が日本とアイヌとのあいだによりはっきりと仕切られた分業を促進した。すなわち、アイヌの生活圏は漁撈と狩猟に特化し、
日本は農業と金属加工に特化した、そのような分業である。この意味で、アイヌ農業の衰退は、
徳川期日本における農業技術の発展と同じひとつの過程をなしていた。すなわち、西日本の綿作地の繁栄は、
アイヌ経済のモロコシや野菜作物の衰退と平行して進んだのだ。経済発展、交易、
いっそう複雑化する分業が数多くの近代社会のうちのある部分に脱産業化を生み出したのとまったくおなじように、
それらはアイヌ社会の脱農業化を促した。もちろん、この過程を経たからこそ、明治国家が「日本」と農業とを同一とする視座で、(未農業化の)
アイヌに農業を「伝える」ことによりアイヌを旧土人化するのが可能だった。


(『辺境から眺める』 テッサ・モーリス=鈴木 大川正彦訳 みすず書房 P61)