2007/06/14

経済学・別の視点

人間は経済的刺激に対していつでもどこでも決まった方法で反応するとする考えは、
社会や歴史について我々が築き上げてきた知識からしても不自然である、とベルチのような非正統の経済学者は主張している。
市場は制度的文脈によってかたちを変えるのであって、市場の動きは、市場を取り巻く法制度、政治制度、血縁的つながり、社会習慣、
歴史的記憶といった広大な非市場領域との関係によって理解されるものである。ここで社会的記憶にかかわる研究のパイオニアだった、
フランスのモーリス・アルヴァックスの言葉を思い出すべきだろう。需給関係や生産費用に基づいた経済の価格機構に関する考え方を、
アルヴァックスは断固として拒絶した。アルヴァックスによれば、価格は記憶や歴史と密接な関係がある。我々が物品につける相対価値は、
(しばしば無意識的に)人間の幸福や繁栄、社会組織化の手段をめぐる何世紀にもおよぶ社会的交渉と抗争の産物であった。


「経済システムは(ホモエコノミクスといった)同質の欲望の地平によって作用せず、多元的な欲望によって繁栄し、
それぞれ多様なイメージや嗜好によって形成されることを認めるべきである。経済宇宙には、
それぞれの関心や行動様式を持つ個人が存在しており、経済的な機能分化の歴史的過程がある。それゆえ個々人は・・・・・・摩擦の主体である」
とベルチは指摘した。


以上のことが示唆するのは、差異ある歴史的文脈に基づいた領域横断的な方法こそが、
現代社会における経済的変化の過程を理解する鍵であるという点だ。そして、その変化は、
非市場セクターから市場セクターへの社会的再生産の領域の移行や、
市場と非市場の力の結合による社会的再生産の根幹の管理を含むものでもある。


(『自由を耐え忍ぶ』 テッサ・モーリス-スズキ 辛島理人訳 岩波書店 P175)


補足:アルヴァックス(Maurice Halbwachs)、ベルチ(Lapo Berti)