2007/06/01

文化的な偏見が存在する場合には真の問題を大きく見誤らせ、不明瞭にし、偽装されることがある

一般にこの同意の根拠となるのが、アントニオ・グラムシのいう「常識(コモンセンス)」(それは「共通に持たれる感覚」と定義される)
である。常識は、地域的ないし国民的な伝統にしばしば深く根ざした文化的社会化の長期的な慣行の中から形成される。それは、
その時々の問題に批判的に関与することで形成される「良識(グッドセンス)」とは異なる。それゆえ常識は、
文化的な偏見が存在する場合には真の問題を大きく見誤らせ、不明瞭にし、偽装されることがある。


神や国への信仰、あるいは女性の社会的地位についての考え方といった文化的・伝統的価値観や、共産主義者・移民・異邦人・「他者」
への怖れといったものが、他の現実を隠蔽するために動員される。政治的スローガンは曖昧なレトリックを凝らすことで、
特定の戦略を覆い隠すことができる。「自由」という言葉は、アメリカ人の常識的理解の中であまりにも広く共鳴を受けるので、それは
「大衆への扉を開くためのエリートたちの押しボタン」になってしまい、ほとんどあらゆるものを正当化する。


今から見るとこのようにしてブッシュはイラク戦争を正当化することができたのである。だからグラムシは、政治問題は
「文化的なものに偽装される」と「解決不能」になると結論づけた。政治的同意の形成についての理解を深めるために、
われわれはその文化的外皮の内部から政治的意味を抽出しなければならない。


(『新自由主義』 デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺治監訳 作品社 P60-61)