2007/06/20

文化的諸制度という保護の被いがとり去られれば

市場メカニズムに、人間の運命とその自然環境の唯一の支配者となることを許せば、いやそれどころか、
購買力の量と使途についてそれを許すだけでも、社会はいずれ破壊されてしまうことになるだろう。なぜなら、いわゆる「労働力」商品は、
たまたまこの特殊な商品の担い手となっている人間個々人にも影響を及ばさずには無理強いできないし、見境なく使ったり、
また使わないままにしておくことさえできないからである。つけ加えれば、人間の労働力を処理する場合、このシステムは、
労働力というレッテルの貼ってある肉体的、心理的、道徳的実在としての「人間」を処理することになるのである。


文化的諸制度という保護の被いがとり去られれば、人間は社会に生身をさらす結果になり、やがては滅びてしまうであろう。人間は、悪徳、
堕落、犯罪、飢餓という激しい社会的混乱の犠牲となって死滅するだろう。自然は個々の元素に分解され、近隣、風景は汚され、河川は汚染され、
軍事的安全は脅かされ、食料、原料の生産力は破壊されるだろう。最後に、市場による購買力管理は企業を周期的に破産させることになるだろう。
なぜなら、貨幣の払底と過多は企業にとっては未開社会での洪水、干魃と同じくらいの災難であろうから。疑いもなく、労働、土地、
貨幣市場は市場経済にとって本源的なものなのである。しかし、もし社会の人間的・
自然的実体が企業の組織ともどもこの悪魔のひき臼から保護されることがなかったら、どのような社会も、
そのようなむき出しの擬制システムの影響には一時たりとも耐えることはできないであろう。


(『大転換』 カール・ポラニー 吉沢英成、野口建彦、長尾史郎、杉村芳美訳 東洋経済新報社 P97)


補足:新自由主義への批判に多く引用されているカール・ポラニー「大転換」の中でも、おそらく最も引用されている箇所。