2007/05/05

黒柳徹子が語るメイ・ウエスト

メイ・ウエストといっても映画で活躍したのが1930年代ですから、あまり日本では知られていないみたいで、
日本のビデオ屋さんには1本もありません。でも、アメリカでは、随分、若い人でも名前を知っています。というのも、彼女が、
セックスシンボル、と呼ばれたからです。かといって、マリリン・モンロウや、ジーン・ハーローのような可愛い女優ではありませんでした。
確かに映画で見ると、髪はブロンド、もの凄く胸が大きく、体全体が豊満で、目のお化粧も色っぽく、衣装もゴージャスで圧倒的です。ひと頃は、
彼女の映画の出演料が高くて、アメリカの全ての女の人の中で一番収入が多かった、と言われるくらい映画はヒットしたのです。


でも、彼女が、単なるセックスシンボルだけじゃなかったことは、彼女の映画の中のウイットのあるセリフや、男の人が喜ぶ
“あぶなっかしい”セリフは、全部、彼女が書いたものです。

映画に出演するまでブロードウエイに出ていたのですが、その脚本も全部、自分で書きました。

まだ、全くセックスなんていう言葉をみんなが口に出さない時代に『SEX』という題の芝居を書いて公演し、猥雑なセリフやシーンがあって、
警察の検閲を受け、10日間も留置所へ入れられた事だってあるのです。

彼女の『罪じゃないわよ』という映画の題名が書いてある映画館の前では「罪です」
というプラカードを持った神父さんが尼さんや信者とデモをするという事もあったくらいなのです。こんな事が、ますます彼女の人気を高め、
男の人にとってはたまらなかったのでしょう。


淀川長治さんが生きていらしたら、彼女の事を何ておっしゃるかと思って調べたら、ひとこと「メイ・ウエスト。彼女は大姐ごね。
こわいですね」と、ありました。

確かにものに動じない不思議な女性であったようです。

最近アメリカで「メイ・ウエストは本当は男だったらしい」と、ヒソヒソ話も出ています。

ちょっと噂のあったケイリー・グラントが生きていたら聞いてみたいですけど。

「私をセックスシンボルと呼ばないでください。私はセックスパーソナリティなんですから」と自分のことを言っています。そして、
面白いことに、そんな女優でありながら経済観念が発達していて、投資もしたし、1セントの行方までも、きちんと知っていました。


好きな男性のタイプは筋肉隆々の人、と限られていました。しかも驚くことに、芸歴は80年と言われるくらい長く(というのも、
7歳くらいの時に、もうコンテストに出て優勝し、ボードビルの世界に入ったのですから)そして77歳の時に『昔マイラは女だった』
という映画に出演し歌も歌い、85歳の時に『セックステット』(注・六重奏の彼女流のしゃれ?)という、
ウエディングドレスを着て6人目の若い旦那さんと結婚する役で、映画で主演を演じ、2年後の1980年、87歳で亡くなりました。
見方によっては、性の解放者、真の自由人といえる人。これがメイ・ウエストです。


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「ブロンドに首ったけ」)