2007/05/05

ダイアン・アーバスの裸の人びと

ダイアンの「裸の人びと」は、版元が見つからないために日の目を見なかったが、ヌーディスト・キャンプでの撮影は、
ダイアンにとってきわめて刺激的な経緯となった。撮られる相手にすっかり協力したからである。そもそも撮影の許可を得るために。
自分も裸になる必要にせまられたわけだが、これは彼女にとっても撮られる人びとにとっても覚悟のいるところだった。
「十分ぐらいは変な感じでしたが、それを過ぎれば何でもありません」と、ダイアンは言った。「ヌーディスト・キャンプは、
わたしにとってすごい素材でした」。ダイアンはヌーディスト撮影の体験をマーヴィン・イズラエルや娘たちや友人に繰り返し語ることによって、
その印象を整理していった。最初の印象は「幻覚の世界に入りこんだようで、しかもその幻覚が誰のものともわからない感じでした。最初は、
ほんとうにめんくらいました・・・・・・あんなに大勢の男の人が裸でいるのを見たことはなかったのです。
最初に見かけた男の人は芝刈りをしていました」


ダイアンはヌーディスト・キャンプについて多くの感想を抱いた。「あそこには社会の全階層が網羅されています。テント暮らしの人や
(ヌーディストになる人の大半は安あがりだからだということだった)トレーラーハウスの住人から、一戸 -それも大邸宅と言えそうな-
 を構えている人まで・・・・・・これは社会全体の縮図であり、そこでは誰もが平等だとされます -
ニュージャージーにはあちこちにヌーディスト・キャンプがありますが、それはニューヨーク州ではヌードがご法度だからです」


ダイアンは別の現象 -都市に住む、「かけす」と呼ばれるヌーディスト -についても語っている。この種の人びとはヌーディスト・
キャンプには参加しない -市内のアパートに住んで、帰宅すると衣服のすべてを脱ぎ捨てるのである。


ダイアンはあるとき、キャンプで刑務所の所長と会ったことがある。シンシン刑務所に勤めるその男は、
浜辺を散歩するヌーディストたちを何時間も眺めては、彼らが身につけているアクセサリーから職業をあてようとしていた。
ヌーディストたちは全裸ではあったが、男はパイプをくわえ、靴と靴下をはいていたし、煙草を靴下にはさみこんでいた。
また女性は帽子をかぶり、イヤリングやネックレスをつけ、ハイヒールやサンダルをはいていた。「ほんとうにいやらしい感じだった」
とダイアンは語っている。


(「炎のごとく 写真家ダイアン・アーバス」 パトリシア・ボズワーズ 名谷一郎訳 文藝春秋)