2007/05/22

近代におけるソフィストの復権

ソフィストに積極的な意義を見ようとする復権の方向は、とりわけ、ゴルギアスが発展させた弁論術(レトリック)の再評価として、
ここ数十年盛んになっている。伝統的にレトリック研究が盛んなフランス、イタリアに加えて、近年ではアメリカでも、
コミュニケーション理論としてのレトリックの意義が真剣に取り上げられ、その歴史的源としてソフィストが注目されている。この流行は、
ソフィストへの積極的評価と同時に、「反哲学」としてソフィストを復活させることにもなる。

ソフィストと哲学者の対置を尖鋭化し、その評価を逆転させたのが、ニーチェ以来の現代思想による「哲学批判」であった。
ニーチェは哲学の反動性をきびしく批判しながら、ソフィストこそが「ギリシア的」であると評価する。


「この瞬間はきわめて注目に値する。すなわち、ソフィストたちがはじめて道徳の批判に、はじめて道徳に関する洞察に着手し始める。」
(『力への意思』)


ソクラテスやキリスト教を「奴隷道徳」として徹底的に批判するニーチェにとって、自らが従事した「道徳の批判」
の始まりの栄誉を帰する意味は大きい。ニーチェ以降の伝統的な西洋「哲学」への反省は、ソクラテスとプラトンの知性主義を批判し、
それと対照的にソフィストを「反哲学」のヒーローとして称揚していくのである。


カール・ポパーは、有名な『開かれた社会とその敵 第一部』で、プラトンの全体主義的な思考を攻撃するにあたり、
ソフィストの自由で開かれた思考を評価した。ポパーにとってプロタゴラスやゴルギアス一派は、
反貴族主義的で平等主義的な人間主義を提唱した理論家であった。同様に、エリック・ハヴロックは、民主主義を擁護し相対主義・
多元主義の基盤を準備したプロタゴラスを、ギリシア文明の英雄と考える。


歴史の忘却の淵から復活したソフィストは、さまざまに自己主張を始めている。ソフィストは哲学に貢献した重要な思想家、あるいは、
反対に哲学そのものを批判した英雄とも見なされている。だが、ソフィストは、
各論者の時代や思想を映し出す鏡となっているに過ぎないのかもしれない。「ソフィストとは誰か」、その本質はいまだ明らかにされてはいない。


(「ソフィストとは誰か?」 納富信留 人文書院)